5. 史料館 3
「彼は江戸末期の天保十一年(一八四〇)に、現在の埼玉県深谷市血洗島(ちあらいじま)の豪農の家に生まれた」
 恵理子が思わず、
「ちあらい=H」
「そうなんだ、昔もね。地名の由来は諸説あるようだ。昔ここで激戦があり多くの将兵の血が流れたとか、利根川がこのあたりで毎年氾濫し地が荒れたので、地荒れがなまったとか…」
 と須賀は笑って含蓄披歴に及ぶが、恵理子のさらに言いたそうな素振りを見て、促す。
 彼女は確かな記憶をたどるように話しだす。
「その年って、一八四〇年よね。フランスでは、セザンヌやロダン、モネ、ルノアールといった近代の画家たちが生まれた頃よ。近代美術の夜明け。渋沢栄一は、彼らと同年代だわ。面白い巡り合わせじゃない?」
 ほてった顔で、息を継ぐ間もなく津船に向かう。
「あなたのお好きなクラシック音楽の世界でもそうよ、ね」
 恵理子は心当たりがあるようだ。
 津船は戸惑いながらも、使い慣れた電子手帳を開けて見当を辿り、感心したようにひとこと加える。
「おっしゃるとおり。十九世紀中頃というと、音楽もいろいろありますね。ヨーロッパではいわゆる古典≠フ時代が過ぎて、メンデルスゾーン、ワーグナー、ブラームスといったロマン派全盛の時代です。同時に、民俗学派や印象派の旗手となる作曲家たちが生まれた時期なんですね。チャイコフスキー、ドヴォルザーク、グリーグ、……」
 自宅で夜は、テレビ桟敷よりもステレオでクラシック音楽を好む彼のことだ。声がはずんでいる。
 老先輩も思わぬ展開に気をよくし、
「確かに、日本の幕末から明治にかけての頃は、ヨーロッパでは近代芸術・文化が咲き乱れていたのだね。日本も鎖国が長かったが、一方でその間に歌舞伎とか浮世絵とか独特の文化が根付いている」
 と、比較、感心しつつも、須賀は我に返って、話を本筋に戻す。
「渋沢は身長一五〇センチ余りの小男なのだが、若いころは血気盛んだった。千葉道場で剣道を習い、成人しては、大真面目で尊皇攘夷の志士気取り……、本当かどうか、高崎城乗っ取りや横浜焼き討ちを企んだ、という逸話もある」
 パンフレットをテーブルに置きっぱなして、よみがえった記憶をこう付け加える。
 その後渋沢は幕臣となり、十五代将軍徳川慶喜(よしのぶ)の弟昭武の随員として、パリで行われた一八六七年(慶応三年)の万博を視察する。それを機に彼は欧州諸国を回った。だから滞在期間をとおして彼がそのようなヨーロッパの芸術を目の当たりにしたことは容易にうなずける。恵理子と津船が話した芸術家たちの活躍の模様も(じか)に……

「当然、絵画・彫刻展やコンサートにも行ったろう。美術家や音楽家のだれかと親しくなったとしても不思議ではないね。言葉はたどたどしくても、度胸百倍だから」
 老人のひと言に、
「調べてみる価値がありそうだわ」
 恵理子は本気らしい。須賀老が続けて語ったところによると、

 欧州滞在の間、日本では明治維新が起こって徳川幕府が崩壊したため、途中二年足らずで帰国せざるを得なくなってしまう。だがこの経験が、政治・経済界で、大きく羽ばたく(いしずえ)になった。一方、維新政府がこの男を見逃すはずはなかった。強い要請で彼は新政府に参画することになり、郵便や貨幣、銀行、鉄道など、国の仕組みになるところをどんどん立案・推進していく。

「これは、彼、三十代前半までの仕事だ。その後すぐ野に下ってしまう。それからが彼の真骨頂で、民間経済人として、わが国の近代化を進めていく」
 ここに来ると須賀老も威勢がいい。ビールのグラスは三つとも、忘れられてぽつねんとしている。
「まずは実行部隊の創設だ。銀行、鉄道、汽船、製紙、化学、製鉄、電力……、次々と。要するに、ほとんどの分野の勃興に関わった。関係した企業が五百余りというから。それも日本を支えて現在に至っている企業が多い」
 津船がパンフレットをなぞってつぶやく。
「第一国立銀行、東京電力、東京ガス、日本郵船、王子製紙……」
 名前を挙げればきりがないとしてか、須賀老は次へ急ぐ。
「社会福祉や公共事業にも力を入れ、女子教育にも尽力されているよ。今の日本女子大や東京女学館の創立は渋沢翁の功績で、パリ万博を通じてヨーロッパ文化を体験したことが、底流で繋がっているんだね」
 須賀はここで話を一旦切り上げるように、
「散り際もきれいだった。七十歳の古希を機に現役からさっと身を引かれた。その後も世間が放っておくはずはないから、何かと社会事業に貢献され、佐野学長辞任騒動を収めた半年後に、九十一歳で永眠された。昭和六年(一九三一)だった」
「…………」
 恵理子は物足りなげだ。それに気づいてか、
「渋沢翁のことは話し出したらきりがないんだよ」
 と頭を掻きながら、
「500もの会社創業に関わり、わが母校の原点と云える商法講習所を含め次の世代の育成に力を入れ、国の発展にこれほど貢献した人物はそれこそ数少ないが、この生き方によって渋沢は自らに何を期待したのだろうか?」
 須賀はこの問いに続けて、
「翁の著書『論語と算盤(そろばん)』はある種わが校のバイブルだが、それを持ちだすまでもなく、富をなす根源は仁義と道徳、これが生涯を通しての渋沢の信念なんだよ。ずい分銀行や株式会社を世に出した日本資本主義の父だが、財閥とは一切関わりがないばかりか、一方で日本の社会福祉事業の創始者でもあった。これを一生貫いた。貧民救済は福祉のみにあらず、福祉政策こそ最大の利益追求だと真剣に信じていた。彼の著書「論理と算盤(そろばん)」に一貫して述べられているとおり、孔子の『道理を得た富貴』を死ぬまでぶれずに追い求めたのだね」、と結ぶ。

 一息ついて、須賀はもう一つこぼれ話を加える。
 翁が実業界だけでなく、政府顔負けの日本の牽引車だったとして、
「彼は国際人であり、強い愛国者でもあった。彼が六十四歳の時、日露戦争が勃発した。ここでも青淵先生は、陰の功労者として活躍している。財界を引っ張って、資金調達の(かなめ)になった。『一兵卒として働きます。どんな無理でもやりましょう』、と言って。彼が亡くなったすぐあとに満州事変が起きた。もし生きていたらどう関わられたか。それからの日本は大変。歯車が大狂いして、太平洋戦争に突進し、第二次世界大戦に巻き込まれていくわけだ」

5.史料館ー3の朗読 11’ 14”
< 5.史料館ー2 5.史料館ー4 >
目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
閉じる