疾走する湘南電車の窓を、霙混じりの雨がたたき続けている。
午後二時を過ぎたばかりなのに、外はどんよりとして、対向電車はヘッドライトに飛沫を散らせて通過していく。
もっと、速く! 曇った窓ガラスを拭って、ジッと目を凝らす津船良平の手の中で、大船行きの切符が折れ曲がっていた。
切迫した声で、深海恵理子の電話があったのは、一週間前の夜だった。二〇〇四年師走半ば。
「須賀さんが」
「先輩が?」
「昨日、湘南病院で手術を……。動脈瘤が破裂……」
「動脈瘤?」
「ええ、胃壁内の出血がひどかったとか……。手術は成功のようですが……目覚められて、私の名をつぶやかれたそうで、駆けつけました」
「今は?」
「白血球が極端に落ちています。生気はまだありません。お歳ですので……」
心配していたことがついに。津船は壁に掛かった須賀との写真をにらみつけた。
「お見舞いできます?」
「まだ二、三日は集中治療室のようです。その間、何もなければいいのですが。……うわ言で兼松講堂のことを」
「面会できるようになったら、すぐにお願いします」
「承知しました」
六日後、津船は恵理子の電話を受けた。
「明日ご都合は?」
「行っていいのですね」
「ええ。今も点滴が命綱のようですが……。信じられないと、お医者さんは喜んでくれています」
「一般病棟に移られたのですね?」
「そうです、今日から。六人部屋にいます。個室は望みのない&のためだそうですので……」
電車は、東京から小一時間で大船駅に着いた。
急ぎモノレールに乗り換えて次の駅で降りると、恵理子が待っていた。笑顔がこわばっている。
「ここから十分ほどですので」
横なぐりの吹雪の中、傘をすぼめ、足早に津船を案内した。
五階、六人部屋に須賀五郎次がいる。入口側のベッドに横たわって、薄目を開けた。点滴の管が二本、左腕と右肩に痛々しい。
「ありがとう」
微かに聞き取れる。日頃の快活さやユーモアは微塵もない。八十五歳の老人の顔があった。
津船の励ましにしばらく耳を傾けたあと、たどたどしく口を開く。
「君のハワイ土産を、家から持って来させた」
ベッド横の置き台にそれがある。先月津船が妻とホノルルへ行ったとき、民芸店で購入したものだ。コアという聖なる木≠ナ作った小さな蓋付きボール。
「お届けする方に『私のスピリット(心)が詰まっていますので、何もお入れにならないように』と言ってください」
──店員が親切に説明し、念入りに包装した。誕生祝いのいいプレゼントになった。
これを手渡した半月前は、いつもと変わらず元気だった。
老人は、もう一度ホノルルのことを話してくれと言う。声は聞き取れないくらいに弱々しい。
「私にも聞かせたいようなのです」
恵理子が小声で促す。
津船は躊躇しつつも、旅を語った。全て、竹橋・如水会館の十四階ラウンジで、須賀のスーパーニッカ・オンザロックに相手しながら話したと同じストーリーだ。
老人は静かに聞いている。ほのかな安らぎが閉じた目尻に現れる。
恵理子に耳を寄せさせて、
「直ったら、ワイキキでゆっくりしたいね」
と同意を求める。
津船に向かって、
「兼松講堂の論文は、向こうで仕上げるよ」
かすかな笑顔に意欲をにじませている。
「いいお考えですね。海辺のそよ風に吹かれてください」
「風か……、ハワイの風はいいね」
目を閉じた老人の頬に、うっすらと血の気がさしたかに見えた。
兼松講堂と怪獣たちの話≠ヘ、須賀五郎次にとって、ある意味人生の締めくくりと云えるかもしれない。
東京都心から最寄りの国立駅まで、電車で一時間ほど離れた大学キャンパスにある講堂と、そのファサードに刻まれた四つの紋様だ。
レンガ色の講堂は、いわゆる背高のカレッジ・ゴシックではなく、古風なロマネスク様式で建てられている。
紋様は、それぞれ小振りの円盤状で、杖に二匹の蛇が絡み付いた同校の校章と、その下で横に並んだ三匹の怪獣戯画のレリーフである。アカデミックな場に奇妙な取り合わせと、感じられなくもない。
須賀自身、母校自慢の講堂とはいえ、なじみも手伝って、入学以来七十年近く、格別の詮索をせずにきた。
五月、新装なった講堂の記念コンサートに、深海恵理子を誘ったときの出来事が発端だった。持ち前の探究熱心に火が点いた。
猛暑の夏から秋深まるまで、調査に明け暮れた。苦心の推論≠煌Tねまとまった。
先月は関係者に披露もし、仕上げにもうひと踏ん張りの段階に来ていた。
「こうなれば正月がうっとうしいよ。客は引きもきらないだろうし、初詣やら年始の会合やらで。……年末までは野暮用が立て込んでいるしね」
日程の詰まった手帳を見せながら言っていた。
「しばらく小休憩ということで、いいじゃないですか。ここはじっくり腰を落ちつけられて……」
津船もその時は、そう励ましたのだった。
いま須賀は病床に仰向けで、潤んだ目はホノルルでの仕上げに思いを馳せている。
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