3. 模索 1
 国立(くにたち)の兼松講堂を巡り歩いてから、十日たつ。須賀五郎次は津船良平を如水会館に呼んだ。
 二時少し前に津船は十四階の一橋(いっきょう)ラウンジに入る。ここからは、皇居の森から、東京タワー、遠くは新宿・池袋のビル群まで一望できる。津船は夜景が気に入っている。
「いらっしゃってますよ」
 ウエイトレスが指し示す窓際のテーブルで、小柄・猫背・つるつる頭の老先輩が手を上げた。
 津船も須賀と同じスーパーニッカ・オンザロックをたのむ。くつろいでグラスを傾けながら、他ならぬ怪獣≠フ話になる。
 先輩の仕事は幾分進んだようだ。というか、あれから須賀老は、書棚や物置きをくまなく探して、はるか昔学生時代からの資料を洗いざらい引っ張り出したらしい。が、まだほとんど手つかずで、整理がはかどっていない。そのことを話してから、
「もっと周辺情報がほしい」
 ぼんやり外を見やりながら言う。
「このままじゃ、とても四神像の正体を云々するわけにいかない。推測だらけだから……」
 津船はじっと考える。後輩の女性二人の名が浮かんだ。
「祝田さんと山辺さんはご存知ですよね。先輩が紹介してくれたのですから」
 祝田睦美(むつみ)と山辺みどりのことだ。老人は微笑む。
「彼女たちにも手伝ってもらってはどうですか? どちらも情報力十分です。忙しい人たちですが、先輩には協力してくれますよ」
 四十歳になったばかりの祝田睦美は、服飾関係の会社を経営している。江戸っ子気質で、如水会ではかなり発言力がある。子供三人の母で、長男は中学三年になる。
 津船が彼女と親しくなったのは、須賀の誘いで、ボージョレ・ヌーボーの試飲会に出席したときだった。雑談に花が咲いて、気のあった数人で三次会まではしごした。開けっぴろげで、自己主張も強いが、敵はなさそうだった。第一、交遊の広さに驚いた。その後時々彼女から仲間うちの会合に誘いの声がかかっている。
 睦美より五歳若い山辺みどりは、卒業して数年後にIT関係の会社を立ち上げて、結構繁盛しているようだ。大学講師も引き受けている。話し上手で人当たりがよい。彼女も小学生の子供が二人いる。
 みどりと津船は商売仲間だ。いつぞや賀詞交換会で須賀先輩に紹介されたのが機縁となって、会社同士の付き合いが続いている。みどりの会社が制作した業務ソフトの販売を津船側が引き受けている。他に、ITの専門知識やセキュリティ等、細々したウェブ上の問題について、彼女が力になっている。
 彼女たち二人は二人で、母校の女性グループを通じて繋がっている。
「お願いするよ。都合がつけばということで……」

 津船の依頼に二人とも応じたばかりでなく、反応は早かった。
 数日もすると、山辺みどりから須賀に宛てて分厚い情報≠ェ郵送された。ほとんどがインターネットで得たものだ。書籍もまじって、伊東忠太に関するものが多い。
 続いて、
「ありましたよ」
 祝田睦美が、川治啓造の『兼松講堂について』という論文を探し出して、須賀、津船、恵理子、みどりの四人に送る。OBの川治が、仲間のメーリング・リストに投稿した長文だ。
 この講堂の成り立ちについて、彼自身の推論≠、こう展開している。

 関東大震災で東京商大は神田の全校舎を失った。すぐあと、再興に立ち上がり、武蔵野に自由と自治の殿堂≠ニして、兼松講堂建設に邁進したのは当時の母校教授陣であり、同窓生の活動も大きい。
 兼松講堂は兼松商店の寄付金五十万円で建設された。同店創業者兼松房次郎氏の崇高な遺志である『日本の商業発展のため、その方面の学術振興に寄与すべし』が、後進によって生かされた。
 わが校は長きに亘る血涙奮闘≠フ結果、大正九年に大学昇格を果たした。当時の教授陣は、佐野善作学長をはじめ、福田徳三、堀光亀(みつき)、三浦新七、上田貞次郎(ていじろう)左右田(そうだ)喜一郎など、生え抜きの著名学者を揃え、この先生方がキャンパスの武蔵野移転を企画し、用地取得、学園設計、周辺住宅地・道路計画、鉄道駅新設計画等の諸活動を行った形跡がうかがわれる。
 なかでも、三浦新七博士と堀光亀博士を特筆しなければならない。学界・政界・金融界に幅広い交友人脈を持つ三浦博士は、大学復興委員として果敢に飛び回られた。堀博士は、大震災後の政府主導による首都復興計画の立案に深く関与された。(中略)
 兼松講堂がロマネスク様式で設計されたいきさつに、ギリシャ・ローマの美術・建築に造詣の深い三浦新七博士の関わりを強く感じる。
 実学の府≠スる母校と、古代ローマ文化の意思主義・実践への執着≠ニの繋がりに強い共感を持たれた三浦先生が、施主側≠ニして設計者伊東忠太に、様式選定について≠「ろいろ注文をつけたのではないだろうか、と推測する。
 三浦博士は伊東忠太の十歳下で、同じ山形県人である。だから交流の形跡があってもおかしくない。
 が、伊東忠太に何らかの注文をつけた証拠は、いまのところ残念ながら見いだせていない。
3.模索ー1の朗読 9’ 11”
< 2.怪獣ー2 3.模索ー2 >
目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
閉じる