2. 怪獣 1
 二〇〇四年五月下旬の午後。一橋大学国立(くにたち)キャンパスの新装なった兼松講堂で、チェコ・フィルによる記念コンサートがあった。
 以前から、ここで演奏した指揮者ウラディーミル・アシュケナージやピアニストの園田高弘、といった世界有数の音楽家たちが、音響のいい会場に挙げていた講堂だが、昭和二年(一九二七)の完成以来八十年近い歳月を経ていた。
 その間の老朽は極に達しており、根本的に改造して蘇生させるべく、大型工事が施されたのだった。
 国の登録有形文化財に指定されている原型に配慮しつつ、より快適な空間と音響の維持改善に重点が置かれた。改修期間は一年に亘り、この三月に完了した。

 須賀五郎次は深海恵理子を誘ってコンサートを楽しんだ。前半はバルトークのルーマニア民俗舞曲とドヴォルザークのピアノ協奏曲、インターミッションのあとはスメタナの『わが祖国』──。東欧の民俗色豊かな中に、優れた音響のお披露目が垣間見えた。弦・ピアノ・オーケストラ、ともに生の醍醐味横溢(おういつ)、と識者は語っている。

 インターミッションのとき、席に戻った恵理子が何やら浮かぬ顔。
「兼松講堂って変わっているわね。ロマネスク様式だからそうなのだけど、動物の彫刻やレリーフがずいぶん……。イタリアの教会や修道院のより奇妙なのが多いわ」
 美術史の素養が彼女の注意を引いたか。
「舞台の両サイドでしょ。バルコニーにも、後ろの壁にも……たくさん。上のシャンデリアだって、小さな怪獣が何匹も周囲にすがり付いているわ」
 須賀の反応を気にせず、一方的に話す。
「舞台やバルコニーの怪獣レリーフは、横に繋がるように並んでいるわね。干支(えと)順のようなのもあるし、その逆順のようなのも……?」
 恵理子のつぶやきは後半のプログラムに(さえぎ)られた。
 この講堂は、須賀にとって六十年も前からのなじみだし、もはや気にもとめていなかったが、言われてみればそうだ。彼女の小声の感嘆に相づちしながら、別のことが脳裏をかすめていた。

 コンサート終えて会場を出ると、外はまだ午後の日差しで、風が肌にやさしい。広場に立って振り向くと、雲一つない空にレンガ色の講堂が()える。
 二人は、ファサード(正面玄関)中央上部に取り付けてある円盤状の四つの紋様が見えるところに立った。
「上にある少し大きいのがわが校の校章で、僕たちはマーキュリー≠ニいっている」
 ローマ神話の商業の神マーキュリーが常に携えたという翼状の取っ手を付けた杖に、蛇が二匹絡み付いている、先端部分の絵柄だ。蛇にぶら下がっている二つのCは、Commercial College(商業大学)を意味する。
 その下横なりに三つの円形レリーフが並ぶ。こちらはいずれも奇妙な生き物の戯画紋様である。
「左から鳳凰、獅子、そして龍、と言っているのだが……」
 それぞれどう猛な形相ながら、滑稽味がある。
 恵理子は目を凝らしながら、
「上のマーキュリー≠ヘ洋風と言っていいわね。それに対して下の三匹が中国風なのはなぜかしら? ……右側は確かに龍よね。左の鳳凰は鶏みたい。真ん中は獅子? 狛犬といったほうがよさそうだけど……」
「さっき会場であなたが話していたとき、ファサードのこの紋様がひらめいたのだ」
「中といい外といい、変な建物ね。……マーキュリーは校章ですからよしとしましょう。下の三体はそれぞれ怪獣の戯画よね。それも会場内のとは全然ちがうわ。作った人も別人でしょうし、考え方も異なるんじゃないかしら。だけど……単なる飾りではなさそう。何らかの意図があるみたい。いたずらっぽい感じでいて、講堂の守護神たちのようでもあるわ」
「僕たちは単に四神像と呼んできたのだけど、あなたもそう思う?」

 …………
 須賀は月に一、二度、津船良平を竹橋の如水会館に呼び出している。その都度何らかの会合やら紹介やら、明白な目的がある。
 今日はちがった。六月半ばのこと。同窓生懇親の場である十四階の一橋(いっきょう)ラウンジ≠ノいる。いつものスーパーニッカ・オンザロックを一口してから、とりあえずコーヒーで相手している津船に、
「君、兼松講堂内外の怪物というか、怪獣たちについて、知ってるかね?」
「えゝ、だいぶん前のHQ(学園季刊誌)にありましたね。あれで初めて知りました。私は兼松講堂には、入学式と卒業式のほかは入った覚えがありませんから……」
「これだろ、君の言うのは」
 須賀は手提げバッグからA4大の一冊を取り出す。一年前の創刊号だ。

巻頭グラビア 『兼松講堂の怪』
講演──東京大学教授 開田伸武(かいだのぶたけ)

「ざっと目を通しただけですので……」
 津船の弁解を聞き流して、須賀は本題にはいる。
「この前、兼松講堂のコンサートに深海さんと行ったのだが、さすが美術家だ。その時の彼女の話がヒントになってね、少し調べたんだよ」
 津船は深見恵理子のことはよく知っている。
「私の興味は、このHQで面白おかしく書いている内部の怪物じゃなくて、ファサードの四つの紋様というか紋章なのだがね」
「それが……?」
「ちょっとのめりこみそうなんだ」
 須賀はいたずらっ子のような笑顔を見せ、オンザロックをもう一口すする。
国立(くにたち)の校舎に来るたびに見慣れた紋章ですね。校章のマーキュリーと、たしか、変な動物が三匹……」
「私は、ご存知のように、学生時代端艇部(たんていぶ)のコックスで明け暮れた。その頃からOBの『四神会』には、資金面は勿論として、ずいぶんお世話になった。戦後端艇部が復活してからは、私も役員としてお役に立ってきた」
「そうでしたね」
 津船は冷め加減のコーヒーで間合いを取る。
「その関係もあって、私たちは講堂ファサードのあの四つの紋章を中国の神話にある四神≠ニ考えてきた。つまり、上のマーキュリーが玄武(げんぶ)で、ほかの三つは、朱雀(すざく)白虎(びゃっこ)青龍(せいりゅう)だ。朱雀が鶏に見えるのはご愛敬として」
「はあ……?」
「大相撲の四本柱ね──。あれ、四神なんだよね」
「あれがですか? 今は柱を無くして天井に吊ってますが、私も昔の四本柱は覚えています」
「今は柱の代わりに、青・赤・白・黒のふさが四方にぶら下がっている。青が青龍で、赤が朱雀、白が白虎、そして黒が玄武と名付けられて、東西南北それぞれの方角の守護神というわけだ」
「なるほど、どこかで聞いたような……。それが何か?」
「深海さんはね、あの紋章の獅子を狛犬じゃないかと言った。それなら四神の白虎に通じるでしょう」
「はあ……」
「もう一つ。HQでは触れてないんだけど」
 とグラスを揺らせながら、
「私は、兼松講堂の至るところにある怪獣は、大きく三種類に分けられると思うのだ。深海さんとも一致した。会場内外にうじゃうじゃいるのをよく見ると、まず、ヨーロッパ・ロマネスク様式の建築で見かける怪獣。これ、ほとんどが外壁にあるのだが、数は比較的少ない。といってもあの数だ」
 目は津船の熱心な顔つきを楽しんでいる。
「次に講堂内部のそれこそ無数の怪物というか、妖怪・怪獣の(たぐい)なのだが、これは全て伊東忠太の創作らしい」
「伊東……?」
「そう、伊東忠太は兼松講堂の設計者だが、彼は子供の頃から死ぬまで漫画を描いたそうだ。それも怪獣や化け物ばかり……。彼が兼松講堂に関わったのは、東京帝大教授の頃だ。この講堂にその本領を思い切りぶつけていると言ってよさそうだね。開田教授は、講演でここに力点を置いている。この講堂は『伊東忠太の趣味の集大成』であると。集大成≠ヘ肯けるのだが」
 須賀は少し顔をしかめて続ける。
「一方、大学の顔たる兼松講堂の何たるか≠ノは触れておられない。今もわれわれはこの講堂を自慢気に『自由・自治の殿堂』と言っているでしょう。そうした建物に対する伊東忠太の意図≠ノは特段の説明がない」
「そうですね……」
 津船には曖昧模糊(あいまいもこ)で、返答のしようがない。

 須賀はここでハードカバーの一冊をテーブルに置く。深見恵理子が取り寄せてくれたと断ってから、
「開田教授が編さんしたものだが……、彼の云う忠太オリジナル≠フ怪獣やお化けの漫画で一杯だよ。お貸しするから読んでごらん」
「ありがとうございます。伊東忠太の勉強になりますね」
 須賀は話を元に戻して、
「私が言いたいのは、これら講堂内部と外壁の怪獣じゃなくて、もう一つ。ファサードの四つの紋章なんだ」
 そう言いながら、ラウンジ真横の壁に飾られた二メートル幅の講堂全景写真を指さす。上に一つ、下に三つの円形レリーフが見て取れる。

「その本に載っているのや、いま言った外壁と内部の二種類とは明らかにちがうでしょ。デザインが、基本的にね。上のは校章のマーキュリーでいわば洋風だね。知ってのとおり、二匹の蛇が翼を頂いた杖に巻き付いている。ぶら下がっている二つのCは、Commercial Collegeの頭文字だよね」
 相手の理解を確かめ、オンザロックをすすって、須賀老の話は次に移る。津船もいまはオンザロックをたしなんでいる。
「それに対して、下の三匹の動物は唐様のレリーフで、独特のこっけい味がある」
 津船はごもっとものまなざしで、壁の大型写真に目をやりながら耳を傾けている。
「では、こちらはだれの作か。こんな戯画模様がなぜ講堂の一番目立つところに堂々と飾られているのか。考えれば考えるほど変なんだよ」
 須賀は(なご)やかな表情のまま一呼吸する。身を乗り出す津船に、
「実はもっと気になることがあってね。しばらくこのことで付き合ってほしいのだ。自分なりに調べてみたい」
 恵理子も協力を約束しているらしい。オンザロックのお代わりを注文しながら、彼女の美術に関する知識が心強いと、照れ笑いする。
「お手伝いしてもいいのですが……」
 他人事(ひとごと)として聞いていた津船は一瞬緊張する。須賀先輩のこと、興味のありかはわかるが、野次馬根性だけではあり得ない。
 彼がいまいち気が乗らないのは、母校への愛着に欠けることによる。須賀先輩について行けないただ一つのわだかまりで、これが大きい。校歌に蛮声を張り上げたりすることにやぶさかではないが、燃えるところまでは行かない。……、母校愛ってなんだろう。誇り≠ノ根ざしているのかなあ。同じ釜の飯を食ったとかいう(きずな)≠ネのかなあ……、などと空々しい。

 家族を思いやったり、ふる里を懐かしむといったことは人並みと考えている。国についても、海外生活を経験しているせいか、日本人≠セという自覚はある。
 が、こと学校や会社になると、何故か特別の思い入れがない。愛校心・愛社心といったものになじめないのだ。小・中学校には往時の懐かしさを覚えて、校歌に目を潤ませたり、恩師に思いを馳せたりもするが、それまで。
 まして大学は、入学がゴールのようで、在学の目的たる学問に身を入れず、かといってスポーツや課外活動にもほぼ無縁で、大した思い出はない。先生や先輩との特別の出会いがあったわけでもなく、同期の友数名との交遊がかすかに続いているのみだ。従って同窓会といった集まりには、須賀五郎次に出会うまで、ついぞ参加したことがなかった…………

 そんな津船だから、この話、あまり愉快なことではない。謎解きめいた調査への協力ということにして、座り直し、神妙な顔つきで先輩の目を見る。
「どのように進められるのですか?」
 須賀は後輩の鈍い反応を認めつつ、承諾とみなして話を進める。
「昭和六年(一九三一)に、兼松講堂を含めて、いまで言う一橋大学国立(くにたち)キャンパス全体の完成式が行われた」
 と、A4用紙にワープロした自作の年表を広げる。用意周到だ。
 津船は指と目で追う。
「兼松講堂の完成は四年前の昭和二年ですか。時計台の図書館や本館校舎はその三年後で、国立へのキャンパス移転式典は、おっしゃるように、昭和六年ですね」
 なんとか歯車がかみ合ってきた。
「そうだね。わが校≠ヘ、大正末期(一九二三年)の関東大震災で神田の全校舎が壊滅し、そのあと武蔵野の国立(くにたち)に移転した。当時の校名が東京商科大学だったことはご存じのとおりだ」
 わが校≠フ言い回しにも杓子定規に違和感のある津船だが、対座する老人は、それを受け入れられる数少ない人物の一人だ。
「たしかに」
 と、さりげなく相づちする。
国立(こくりつ)ではあるが、歴史を辿ると、旧制高等学校や帝国大学とは生まれも育ちもちがいすぎるから、それがもとで、文部省から継子扱いにされたり、何度も潰されそうになった。そんなときの大震災だ。修復の予算調達はままならず、政府は冷淡だった。それを押し切る形で、神田キャンパスから遙か遠方の武蔵野の当時は原野に、なぜ、どのように移転したのか。もっと深くを知りたくなるでしょう……。ファサードの四つの紋章がその謎かけをしているように見えるのだ」

2.怪獣ー1の朗読 22’ 50”
< 1.オールド・コックスー3 2.怪獣ー2 >
目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
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