1. オールド・コックス 3
 須賀五郎次の邸宅は鎌倉市(だい)にある。JR大船駅からタクシーで十分ほどの高台だ。敷地百五十坪に建坪五十坪ほどの二階建てで、金正木(きんまさき)の垣根で囲んだ芝生は小庭園の(おもむき)がある。
 長男夫婦との同居だが、須賀の余生の気ままな生活は維持されている。
 一階大広間横の和室には十年前に他界した夫人の仏壇があり、書斎や寝室は、須賀の性格そのままに、整理整頓されている。
 二〇〇三年初夏、大学後輩の津船が千葉八街(やちまた)のスイカを手みやげに玄関を入ると、須賀は縁側で、後輩の到着を知らぬげに、庭に向かって座っていた。丸まった背中に老いの孤独が見える。
 老人の手の平に小雀が一羽ちょこんと乗っかっているではないか。思わず津船は息を殺す。
 雀は手の平の何かをついばんでいるようでもあり、家主の語りかけに聞き入っているようでもある。
 日の当たった芝生では、五羽ほどがあちらこちらに、早足で歩き回っては止まり、また歩き回っている……。
「こんにちは」
 ささやき声に須賀が気づいて振り向くと、手の平の小雀も庭の仲間たちと一緒に柿の木へ飛んだ。
「いらっしゃい」
 と言って、また芝生に目を戻す。
「この家を手放すことにしたよ。雀たちともお別れだ」
 芝生に向かってぽつり言う。
「三十年住んだ。寄る年波でね。庭の手入れがままならない」
「それは……」
「甲一は会社で忙しいし、妻の沙智子さんも子育てで大変だ。三人で相談して、マンションに引っ越すことにしたよ」
 津船は須賀を見つめたまま、言葉にならない。
「手ごろなのが近くに建つことになってね」
「どこですか?」
「大船駅からは、君の足で十五分といったところかな。モノレールなら、次の駅から二、三分だ。甲一夫婦も喜んでいるよ」
「引越しはいつですか?」
「秋に完成だから、その頃だね。整理が大変だ。その前にここで君と語ろうと思ってね……。そうだ。いらなくなった本だが、好きなのがあれば、持って行っていいよ」
 部屋の隅は書籍の山だ。平凡社と小学館の百科事典が積み重なって、横に能・謡曲・落語・歴史書・自然紀行……。母校に関する書籍が、それらを上回って広く一塊(ひとかたまり)になっている。中には、大平正芳(全4巻)、中山伊知郎(全19巻)、……。
「全部いただいていいですか?」

 数日後、津船はワゴンを運転して、残らずゆずり受けた。帰り道は、荷台が重い。ハンドルを取られないように、余分な気をつかった。
 何より母校関係の多さには目を見張る。無理もない、須賀は会社経営のかたわら、如水会の要職を八年間も務めたのだから。
 須賀が常務理事だった頃、学園の百年史資料集が編纂された。昭和五十年代で、当時の予算一億円は今も語り草である。その基金集めから膨大な資料の編纂(へんさん)まで、彼が中心人物の一人だった。何年かに亘る一大事業の成果が数十冊からなる「百年史」として残っている。それらも全て津船にゆずった。落語の志ん生のような口ぶりでこう言って。
「ゴミになるも肥やしになるも君次第だ」

 九月下旬に、須賀一家は新築マンションに引っ越した。十階建ての十階で、駿河湾を見渡せ、富士山の眺めがとくにいい。日によって、時間によって、窓ガラス越しに様々な艶姿を見せる。
「富嶽三十七景にしたいですね」
 招待された津船が感想を漏らすと、
「年寄りにとっては目の薬だよ」
 と、うれしそうだ。
 問題は、これまで住んでいた高台邸宅の買い手が見つかっていない。須賀もこれには困った。
 時の氏神は深海(ふかみ)恵理子だった。四十三歳の少壮画家である彼女は、姪の野溝(のみぞ)マリに、日ごろ、「いい一軒家があれば……」と話していた。
 母校女子美大の教授だった夫を、数年前にガンで亡くしたあと、気を紛らわす意を込めて、同大学で西洋美術史の講師を務めるようになり、北鎌倉の自宅マンションでは絵画教室を開いている。生徒は数人に限っているが、志願者が次々とやって来る。
 自身の油絵は玄人受けして、毎年秋銀座の画廊で開いている個展は評判がよい。
 マリは大船に住んでいる。二十八歳の彼女は、まだ青春真っ只中だ。東京外大でスペイン語を学んだから、英語と合わせて二カ国語が堪能なうえ、フランス語とポルトガル語も何とかこなせる。
 特技を生かして、旅行社で三年間添乗員を務めたが、その後は自由度を求めてフリーランサー(嘱託)の待遇に切り替えた。実力にもよるのだろう、海外旅行ブームに乗って、選り好みできるほど仕事は来る。
 十五歳上の恵理子とは伯母・姪のよしみで、空いた時間を彼女のマネジャー役と油絵修業に費やしている。
 新聞の折り込みがマリの目にとまった。不動産屋に問い合わせ、彼女なりに調査した。
「いい一戸建を見つけたわ。大船駅に近い閑静な高台で、環境は申し分なしよ。築三十年だけど、造りはしっかりしてるわ。丁寧にお住まいになっていたようね。庭も広いから、お好きな園芸を存分に楽しめそう。坂を下りるとスーパーやドラッグストアや、病院もあるわ。隣近所も同じような高級住宅よ。でも、お値段が……」
 野溝マリは徹底していた。チラシの広告を一項目ずつノートに書き写して、裏付け調査の結果を付記している。不動産屋とのやり取りも念が入っている。それに彼女は大船が地元だから、周辺の事情にも明るかった。恵理子はノートにじっと目を通しながら、マリの話に聞き入る。
「それなら明日にでも覗いてみようかしら」…………

 高台の邸宅は、須賀家が引っ越してしばらく、深海恵理子を迎えることになった。ちょっとした改装も終えて、十一月中旬には新しい家主が住み着いた。
 玄関を入ると正面に大広間が見える。壁は象牙色で、夏は涼しく冬には温かく感じさせるのだろう。
 一、二階とも、各部屋を分ける欄間の透かし彫刻とふすまの絵模様が目を引く。いずれも前家主の今は亡き奥様の故郷沖縄石垣島から取り寄せたものだとか。
 それに庭の作り……、〈那智黒のような置き石はどこから持って来たのかしら〉
 恵理子は前家主に興味を覚えた。
 恵理子の引越しが一段落すると、前家主たる須賀五郎次が、持ち前の世話焼きで、連日高台を訪れることになった。杖を離さず、近い距離を往復タクシーで。
 新家主は相談相手を得て喜んだ。近所への挨拶、地域のこまごましたこと、新生活への情報等々、須賀のアドバイスは当を得ている。過分な親切も須賀の性格からすれば奇異なことではない。
 恵理子も細やかに応対する。お茶請けも昼食も、須賀の好みをすぐ理解した。心配りは行き届いて、気遣いはつゆほども感じさせない。
 そうした恵理子を身近にして、須賀の胸に、遠く忘れ去ったはずの青春が再来したかのようで、孫ほども歳のちがう彼女に好意を抱いた。
 恵理子はこだわりのない気性で、縁なしメガネをかけた色白の丸顔に、笑窪(えくぼ)がくっきりしている。背は丸まった須賀より高い。聞き上手だから、須賀も話しながら、自身心地よさそうだ。
 須賀は妻を亡くして十年になる。恵理子も今は同じ身の上だ。が、一方は八十を超えた老人で、他方は四十歳近くも若い。一人身の境遇は同じでも、隔たりは大き過ぎる。第一、恵理子が………。

 恵理子が母校である女子美大の助教授と結婚したのは、卒業して六年後の、二十八歳のときだった。助教授の深海俊之は西洋美術史を担当し、ルネッサンス・バロック絵画についての造詣の深さでは、当時から定評を得ていた。恵理子が深海のクラスを専攻して師弟関係がはじまり、それが二人のなれ初めとなる。
 恵理子の美術史への思いとは裏腹に、深海は彼女の画才を見抜いた。彼のアドバイスで恵理子は油絵にも重心を置くようになった。深海は恵理子の卒業を待ってプロポーズした。が、彼は彼女の画才を大きく羽ばたかせようと、イタリア・フィレンツェでの修業を強く勧めた。同地は彼の古巣だから、事情は知り尽くしており、友人は何人もいる。それを生かして準備に怠りはなかった。
 恵理子も自身密かにあこがれていたことであり、フィアンセのこれ以上ない好意に甘える気になった。両親は心配をあらわにして反対したが、ついには彼女の()を受け入れた。
 彼女のフィレンツェの数年は、納得ずくとはいえ、二人にとって長かった。恵理子はその間、美術館に通い詰めてはルネッサンス絵画の模写に打ち込み、有名画家に教えを請い、日夜絵に没頭して、自らの画風を形作っていった。

 その間に、彼女が、現地で巻き込まれた出来事は、二人の間で固く封印したが、消し去ることが出来るはずはない。
 帰国を一年後に控えたある日、模写作業に一区切りつけて、夕刻ウフィッツィ美術館を出た。食料品店で買い物をすませ、あとはいつものルートで家路だったのに……。
 どんな考えごとにわれを忘れていたのか、いつもと違う路地裏に来てしまっていた。危険≠ニ注意されていたのに、気づいたときは遅かった。
 人影が途絶えてしまっている。狭い通りはうす暗い。左右の建物は汚れて、空き屋同然である。目の前に浅黒い出稼ぎ労働者風の数人が、その場ごしらえのテーブルを囲んでたむろしていた。暇をもてあましてカードでもやっているのか、足下にワインの空き瓶が数本転がっている。
 手ぐすねして待ち受けていたとはいえ、突然の、それもうら若き獲物に、一同の目が走る。舌なめずりの薄笑いで、やおら腰を上げる。
 …………

 修業を勧めてさえいなければ……。はらわたの千切れる思いも、フィアンセの事故を元に戻せるはずはない。深海俊之は、耐え難くも、すべて自身が犯してしまった大罪として、この世の果てまで彼女を守り抜くと、心に誓った。
 どこにそんな力が潜んでいたのか、恵理子は精神的奈落の底で、それでも修業を全うした。
 二人が結婚したとき、すでに彼女の力量を二、三の評論家が認め、専門誌で紹介していた。夫の力に負うところはいうまでもない。
 深海は間もなく教授に昇格した。実力は美術史界が認めている。
 だが、人も羨む理想のカップルに対して、天は無情だった。恵理子は卵巣を摘出してしまっていたから、当然子宝には恵まれないし、結婚十二年して、彼女がやっと心の病から解きほぐされたと思えた四十歳のとき、夫は肝臓の末期ガンを宣告され、五ヶ月で急逝した。
 絵を描く以外にわれを忘れさせる(すべ)はなかった。死の欲望にさいなまれながら、キャンバスに向かって絵筆を叩きつける毎日になった。母校で講師を引き受けもした。それでも人知れぬ煩悶(はんもん)をぬぐい去れるはずがない。自宅で絵画教室を開いて、自らを忙しくした。
 彼女の荒んだ現実を知らぬげに、油絵の作品は、世評を得ていた。異色の画風と昼夜を分かたぬ打ち込みようは、独創を醸し出している。
 マスコミが注目しはじめたこともあり、姪の野溝マリに煩わしいマネジャー役を任せるようになった。マリの物怖じしない性格は、この役にはまった。
 外見上は平静を取り戻したかに見えた恵理子ではあった……。

 須賀老人と深見恵理子は、津船の理解を超えて接近した。
 絵画鑑賞がことのほか趣味の須賀にとって彼女は得がたいアドバイザーとなったし、専門の西洋美術史は、後の話になるが、実質助けになる。
 須賀の幼児にも似た喜びが、恵理子の気持ちを和らげた。須賀は現実を余生と達観して楽しんでいたから、気持ちの揺れに抵抗することはなかった。
 恵理子にとって、当初いい相談相手に過ぎなかった須賀老人は、元は自邸の恵理子宅に通いつめては、何もかも忘れて話し込んだ。話の一つ一つが彼女の耳に心地よく、真綿にくるまれた温もりにも似て、大いなる歳の隔たりを忘れさせた。同時に亡き夫深海俊之への思慕も徐々に和らいでいくように見えた。
「伯母さんの気持ちは、到底理解できない! 恋はやっぱり思案のほかなのね」
 姪の野溝マリに真顔でからかわれながらも、恵理子は須賀の愛情を受け入れていった。

1.オールドコックスー3の朗読 21’ 48”
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目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
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