15. 籠城事件

 階下の食堂は客が入りはじめたようだ。
 四神会議は、いつの間にか名物の女将もにわか仲間となって加わっている。

 津船がさっきから発言の機会を(うかが)っていた。
「五月にキャンパス移転式のあった昭和六年(一九三一)ですが……、その十月に籠城事件≠ェ起きていますね。名前は時代がかってますが、これは兼松講堂が完成して四年後だということで、ここでは触れなくてもいいのでしょうか? 場所は神田の旧校舎ですし…」
 恵理子も思い出したようで、
「渋沢史料館へ行った帰りに、この事件の名は聞きました。内容はまだ伺っていませんよ。いつかということで、そのままになっています」
 と、津船を後押しする。
「そうだったね。話が長くなるから、別の機会にと思っていたのだが……。明治四十一年(一九〇八)の(さる)年から四十二年(一九〇九)の(とり)年にかけて起こった申酉(しんゆう)事件≠ヘみなさんご存知だが、それに劣らずこの出来事、学園史に欠かせない」
 川治はバッグから冊子を取り出して、それをみんなに見せながらの発言となる。
「この事件にも、四神像の精神が息づいていますよ。ここは僕に説明させてください」
 初老の青年は大真面目だ。

 …………
 籠城事件について、自ら進んでバトンを受け継いだ川治啓造が、得意の言い回しで話しはじめる。

「昭和のはじめを振り返りますと、国内は暗澹(あんたん)としていました。昭和四年(一九二九)の世界恐慌に端を発した大不況、企業倒産が社会不安をあおっていた頃です。加えて、農業不況に財政破綻、それに軍部の跋扈(ばっこ)が加速して満州事変へ……。ちょうど底なし沼に足を踏み込んでしまったという状態でした」
 手元の小型本「申酉籠城事件史」(依光良馨著)を目で追って、独特の堅い出だしだが、ごま塩頭をぼりぼりやる仕草に加えて、その口振りに、居並ぶ女性の顔がほころぶ。
「そんなときに首相となった浜口雄幸(おさち)と蔵相の井上準之助は、それこそ命がけで景気回復に打ち込みます。極端な緊縮政策と金解禁の断行です。事実浜口首相は途半ばにして昭和五年(一九三〇)に東京駅で狙撃され、翌年無念の死去。残った井上は、後継の若槻内閣でも蔵相としてひるまず緊縮財政を続けます。しかし彼も結局は、昭和七年に暗殺されてしまうのですが…」

 井上の死の三ヶ月後に五・一五事件が起きる。昭和七年(一九三三)五月十五日だ。
 武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、時の首相犬養毅が『話せば分かる』と言いながら、射殺された。

 川治は当時の時代背景について、一応の前置きをして、本題に入る。
「この事件の前年に、東京商大の籠城事件≠ェ起きたのです。その時井上蔵相はまだ存命中で、昭和六年(一九三一)の秋でした」
 老先輩は任せて安心の表情、ゆっくり相づちを打っている。女性たちももとの表情に戻って、再び座が引き締まってきた。
 早々とアーケードの街路灯が点されたのだろう。窓の外が明るくなった。川治は張りのあるバリトンで語っていく。
「政府の緊縮指令に沿って各省庁が具体案を練った中で、文部省の方策に無用な学制の廃止≠ニいう項目が含まれていて、ことは極秘裏に進んでいました。この状況下で自然の成り行きの感なきにしもあらずですが、標的は東京商大と北海道帝大で、こういうことでした」

『日本には高等学校があるから大学予科は不必要。また高等専門学校があるから大学付属専門部は不必要。よって、北海道帝大の予科と、東京商大の予科と専門部を将来において廃止する』

「北大はともかく、東京商大にとってこれは表向きの口実だったのです。残る本科もいずれ東京帝大に併合しようとする筋書きが裏にあり、商大(つぶ)しが見え見えでした。まさに二十年前の申酉事件の蒸し返しです。これによる政府の経費削減は取るに足らないほど微々たるものでしたから。商大としては、歴史的に培ってきた教育体系が根本的に崩れるわけで、行く行くは廃校も覚悟せざるを得ないほどの出来事だったのです」
 須賀もここは思うところありそうで、表情を厳しくする。
「この極秘情報を東京日々新聞の若手記者がスクープして、佐野学長に伝えたのが九月三十日の夜半で、……残念ながらこのとき学長は病床にありました。翌朝、各新聞とも大々的に報道し、政府による学制の廃止の具体策≠ェ世に知られてしまいます」
「商大側はどう対応されたのかしら? 学長さんは病床なのでしょ?」
 恵理子が低い声で訊ねる。川治はうなずいて、
「佐野学長は意を決します。明くる日病をおして、予科主事の木村恵吉郎教授と専門部主事の堀光亀教授を伴い、文部省と大蔵省へ掛け合いに出向きました。両省とも、口実かどうか、大臣不在ということで目的を果たせず、『廃止案に断固反対』の書面を渡すに止まりました。この十月一日を起点にして、籠城事件にエスカレートしてゆきます」
 須賀老は気づいたようにひと言添える。
「佐野さんの容態から、この日以降は実務代行の上田貞次郎教授と堀教授が表に出ることになる」
「教授会は『予科・専門部廃止絶対反対』の決議文のもとに、抗議本部を都心に残っている元のキャンパス・神田一ツ橋の大学出張所に設置します。当然ですが、学期試験は無期延期になりました」
 メモに忙しい山辺みどりも、川治の勢いにたじたじの体で、ここは一旦ペンを置いて、今青年≠見つめている。他の女性もそれぞれ熱心な顔つきだ。
「OBの如水会も黙っていません。早速理事長の藤村義苗氏が、最晩年の渋沢栄一子爵を北区滝野川の自宅に訪ねて、窮状を訴えます。渋沢翁は卒寿(九十歳)を過ぎたご老体ですよ。そこまでしなくても、と自分は思うのですが……」
 と、知らず自身の意見が口をつく。
「病床の子爵は、声はか細くともしっかりした口調で、『これは教育の実情を知らぬ暴挙である。私の代理として中嶋男爵をたてて、政府当局その他の各要路に対して運動させる』と助言したといいます。当然ながらこれが如水会ばかりでなく、学園全体の大きな精神的支えとなりました。その四十日後に、渋沢翁は九十一歳で天寿を全うするのですが…」
 思い様々で、ため息はマリばかりではない。

 前段を終えたとの思いか、川治は茶で間を置いて次へ進む。
「佐野学長が二省へ抗議に出向いた二日後の十月三日、神田の旧校舎に結集した学生大会では、若手教授たちが『合法と非合法のスレスレの所で、全力を挙げて闘え!』とか、『退学を怖がっていたら片付かんぞ。諸君の身分保証は教授団が責任を持って引き受ける』とかで、(げき)を飛ばしました。(あお)るだけ煽ってと思われそうですが、彼らも覚悟を秘めていました。夕刻には、大蔵省へ向かった学生と警官との小競り合いで、十数名の検束者が出ました。
 そのすぐあと、学生と井上準之助蔵相との会見が実現するのですが、やはり蔵相のほうが一枚上です。学生たちはその気迫にいなされてここは引き下がります。が、このまま終わるはずはありえません」
 といって川治は真剣みを帯びる。
「翌十月四日に本格的な闘争がはじまります。午前、雨降りしきる中で、神田旧校舎に商大学生の大半千五百人が集まり、『暴案を一致団結して撃破!』を誓い合いました。その直後に、学生幹部が、東京日々新聞記者の誘導で若槻首相邸に押しかけます。満州事変勃発の二週間後で、首相の周囲はそれどころではなかったはずですが、なぜか超多忙をおして首相は学生たちの前に現れ、こう言われました。『今、日本は重大な時局に直面している。財政緊縮は焦眉の課題である。しかし諸君の言い分も分かるので、慎重に善処するよう関係大臣に指示したい』と。真意を吐露したのか、時間稼ぎだったのか……」
 非難めいているが、元気印の川治に似合わず、歯切れの悪い言い回しに、
「腹芸じゃない?」、「侮ったのよ、相手が学生だと思って」、「若槻首相は穏健で真面目な方だったらしいよ」、「うそつき禮次郎≠ニも云われた人でしょ、この首相!」、「軍部の横暴が極に達していた頃でもあるし」、「結局若槻内閣は総辞職に追いやられるのですよね」、「…………」
 突然盛り上がった雰囲気に、ご老体は、
「みなさん、よくご存知だね」
 と頼もしそうだ。
「この日も、首相私邸から神田旧校舎までのデモ行進で、数十人の検束者が出ました。教授会もその夜、『重大なる決意を以て目的の貫徹を期す』と決議し、『五日より三日間の臨時休講』を決定しました。つまり学生をはるか離れた国立キャンパスから解き放ったということです。そしてその十月五日に東京・神田の旧キャンパスの一角で学生の籠城がはじまるのです」
 川治は一息入れる。
 中年女性陣はいまや真剣に集中している目付きだ。マリも素直に聞いている。
「午前、学生代表が文部大臣の田中隆三と会うのですが、文相ははったり屋です。威圧するだけで、真面目に応対しません。当然交渉は決裂してしまいます。午後、先の首相の言は信ずるに足らぬ≠ニして、学生大会は、『この神田一ツ橋には、バラックではあるが、旧校舎がこの通り残っている。我々は本日より全員ここに籠城する』と決議。『全学生の徹夜籠城』が決行されることになりました」
 と、手持ちの小冊子に目をやりながら、
「一口に籠城≠ニいっても、簡単にできるものではありません。そのためのスペース、布団、食料、上下水……。それがよくやったもので、布団二千五百枚、(むしろ)七百枚、籠城学生千六百人分の梅干・沢庵弁当、炊き出し道具・食材、食パン二千袋、ローソク……。こうして籠城は四日間続くのですが、そのあらましは──」
 今青年のジェスチャー交じりの元気な語りを縮めると、

 一夜明けて籠城二日目(十月六日)。
 学生大会で、『我等ニ悲壮ノ決意アリ。屈辱ヲ以テ生キンヨリ、寧ロ光輝アル母校ノ伝統ト生死ヲ共ニセン』との声明文を発表。
 街頭デモでは、重傷者三人を含む六十人の負傷者を出し、検束者は百十四人。教授陣も数人の負傷者を出す。
 三日目(十月七日)。
 徹夜籠城学生はほぼ全員となり、二千人を超した。報道機関の取材も過熱していく。
 四日目(十月八日)。
 学生大会で、『政治家の老獪、教授団の優柔不断は信頼するに足らず。これ以上の時の遷延は許されぬものと考え、全学生の総退学を提案する』との委員長の声明を満場一致で可決。全学生は連判状の退学届に毛筆で署名し血判。
 その間教授側は、上田教授が政府と職を賭して折衝を重ね、文相より『行財政整理案から予科・専門部は除外する』との言明を引き出し、様相が変わる。
『あの文相のことだぞ。食言したらどうする!』との学生大半の怒号に対して、委員長が苦渋の決断。今度は『死をもって全責任を負う』と決意を述べ、『これ以上の籠城は得策でない』と訴える。その断固たる覚悟に、全学生は承服せざるを得ず、籠城が解かれ、退学届は委員長預かりとなる。
 学生某幹部の手記。
『(予は最も信頼し居りしY君を招き)、もし文相にして食言せば、予等両人を以て面会し、君は直ちに田中(文相)を羽交(はがい)締めにせよ。予は突進して刃に血染らしめ、死を以て二千の学生の誠心に不明を謝する外なし。(なんじ)以て奈何(いかん)と為す。Y君諾=B神田神保町の刃物屋に到り、刃渡り二十糎(a)余りの飛び出しナイフ一丁を購入せり』
 …………

 今青年のあふれる元気に対し、津船後輩はいささか浮かぬ顔だ。
「国をあげて激動のさ中で、よくやったものですが……、彼らの行動はまさか愛校心≠セけではありませんよね?」
 予期せぬ発言に、川治が顔色を変えて何か言いかける。祝田睦美も異な表情をあらわにして津船を見る。それをさえぎって、須賀五郎次がゆっくりした口調で口を開く。
「愛校心か……、君の好きな言葉ではなかったね。無理に異論を唱えるつもりはないが、その前に、彼らが誇りとしてきた学問の場≠ェ失われるという、切羽詰まった危機意識は認めてあげてもいいんじゃないかな。安住の場が脅かされると云った身びいきな防衛本能ではなく……、純粋だったと私は思っている。だから全員が一丸となった。雪崩にも似た軍国一直線にもまれながら、譲ってはならないもの……そんな共通認識の積み重ねが彼らの団結の(いしずえ)だった、と私は理解している」
 川治はあえて補足しない。が、憤まんを秘めた顔だ。津船は依然として、
「抑えようのない純粋の爆発までは共感できるのですが……」
 と、あいまいに口ごもりつつ、
「それにしても軍国思想に(めくら)にされた世間一般は、この事件をどう受け止めたのでしょうか。若手記者が活躍した東京日々新聞はともかく、他の報道機関はどうだったのでしょうか。お話ほどには大した記事にならなかったようですし。申酉事件での夏目漱石のような見方のほうが(まさ)っていたのではないでしょうか?」
 一人だけ浮き上がっている。

15.籠城事件の朗読 23’ 31”
< 14.四神像ー3 16.白票事件ー1 >
目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
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