14. 四神像 3
「さあ、川治君と話さなくっちゃ!」
 調査経緯の話が一区切りついたとして、須賀は陽気に声を掛ける。川治は茶で喉を潤す。快活な容貌は青年時代に還ったようだ。
「兼松講堂が、伊東忠太博士の趣味や手慰みで造られたのではない、と私も思っていましたが、先輩の空想物語といい、いまのお話といい、溜飲が下がりました」
 と前置きして、
「伊東博士は、設計だけでなく、建築の一切に関わったのですよね。その道の権威として名のある帝大教授が多忙な時間を割いて、辺境の地へローカル電車でせっせと通う……。東京駅から国立駅まで、当時では一時間やそこらではなかったでしょう。それも日に数本ですからね。これには、博士ご自身にも強い思い入れがあったと考えられませんか」
 須賀老はうなずく。
「あの物語にも書いたが、やはり博士は佐野さんの説明の中身に自身の姿を見たのではないだろうか。意図・内容を十分理解した上で、商大の願いを自らの思いとして、腰を上げられたのですよ。博士は一見ユーモラスではあるが、意思堅固では世に知れた鉄の人だったのだから」
「こんなことも言ってますね」
 川治は持参のメモを読む。
「日本人は、外人が日光をほめればそれに従うし、伊勢神宮や桂離宮をほめれば、すぐそちらのほうをありがたがる≠ニか……、皮肉たっぷりの論文もありますね」
「そう、君もよく調べてあるね」
 うなずいて、須賀はニヤッとする。続けて、
「帝大の同僚内田祥三教授の手になる安田講堂への対抗心云々を唱える人もいるようだが、動機的には、全くないといっていいだろう。伊東博士は、そんな話には無縁の人だった。事実、内田教授と共同設計にあたった岸田日出刀講師は、後に伊東忠太を師と仰ぎ、『建築学者・伊東忠太』という評伝まで残している」
 津船はわが意を得た顔で、両先輩を交互に見ている。
「費用の全額を寄付した兼松商店も、博士の心に訴えたのでは?」
 横合いから野溝マリがわかったように口を出す。川治が応じる。
「そのとおりですよ。おまけに兼松商店が施主ということで、国立キャンパスの中で講堂だけが政府の手から離れたばかりでなく、施主が『口は出さない』ですから。博士自身も実にやりやすかったはずです。完成式の講演では、『兼松房治郎翁の美しき遺志』と似合わない持ち上げ方をしてますよね」
 老先輩がにっこりしながら付け加える。
「そんな伊東博士に腰を上げていただくまでには、厳しい難関を超えるための心強いあと押しがあったはずだ。当然渋沢翁の威光が働いていただろう。博士がこれを引き受ける一年前に、面白い漫画のはがきを残している。『渋沢老泣く』と題してね。翁に対する親しみと尊敬の念が伺える。それに大倉翁の好意は欠かせないね。両翁は、東京商大の原点たる商法講習所を創設した仲だし、その後も帝国ホテル、帝国劇場、鹿鳴館は二人の尽力によるものだ」
 こうも話す。
 大倉翁は伊東忠太を資金的に支援していた。兼松講堂の建築構想が持ち上がったとき、忠太博士は、京都の大倉別邸、祇園閣、東京虎ノ門の大倉集古館といった、喜八郎翁依頼の建物の設計にあたっており、一部は建築がはじまっていた。

「ここからは私の推測だ。裏話として聞いてほしい」
 須賀は自身に念押しするように言う。
「商大では、学園の歴史を象徴する『四神像』を表看板に据えたい一心で、施主の兼松商店を引き込んで、キャンパスの顔たる殿堂の設計をどなたに委ねるか、調べ尽くした結果、伊東忠太博士を措いてない、という結論に達した。幸い商法講習所生みの親の一人である大倉翁は、浄土真宗総帥の大谷光瑞と並ぶ、伊東博士の最大のパトロンだ。伊東は翁の頼みは無碍(むげ)に断ることは出来なかった。一方、渋沢と大倉の交遊は、五十年以上にわたって強い(きずな)で続いている。伊東も、渋沢については、パトロンの大倉を通じて旧知の間柄だ。その辺の事情を重々承知の商大側が渋沢翁に頼み込み、渋沢は自らが世に出した学園の願いを聞き入れて、大倉翁に『何とぞ』と話をつないだ」
 津船後輩が、黙っていられないと、大先輩の話をもぎ取る。
「大倉翁はですね、忠太博士が取りかかっているご自分関連の事業を一旦あと回しにしてでも、盟友依頼の兼松講堂を引き受けるように、と強く説得したのでしたよね。忠太博士は東京帝大の現役教授で、商大には大した関心もなかったはずですが、大倉翁からのたっての依頼とあって、やむなく商大の兼松講堂建設構想に耳を傾ける気になったにちがいないですよ、話の発端は」

「みなさん、ご理解いただいているかな?」
 ぐるっと一同の表情を確かめて、安心したかのように、須賀老は高座の師匠よろしく全員に話しかける。
「こうして忠太博士は、『場合によっては引き受ける』つもりで佐野学長に会った、と私は考えている。ここで佐野が学園の期待をもろに背負(しょ)って、四神像に繋がる学園の歴史を細大漏らさず訴えかけ、博士の心が動いた。佐野の話が博士の抱き続けてきた夢≠刺激したのだろう。忠太博士は商大に尽力しようとしたのではなく、自身をとことん試す気になった。意を決した限り、博士はやり通す。一番弟子の松井角平を最大用い、持てる力を総結集して、ファサードに四神像が輝く、世に二つとない殿堂を創り出す。ロマネスク様式のヤド≠借りて自らの夢を実現するというヤドカリ℃v想でね」
 のどかな顔に自信がのぞいている。
「ヤドカリですか」
 川治がにんまりする。
「大倉翁だが、その翌年の昭和三年(一九二八)四月にお亡くなりになり、翁自身が依頼していた建物は見ず仕舞いになった、と資料にある」
 京都の別邸と祇園閣のことだ。
「商大側や伊東博士はどんな思いだったかしら」
 一瞬の沈黙を破るように、祝田睦美がつぶやく。
 間をおいて、津船が、
「ほかに、各方面のご努力も忘れてはいけませんよね」
 と、欄間をぼんやり見ながら自分に話しかけている。
「政府要人の心強いバックアップでしょ……、現に文部省から建設課長が建築委員に名を連ねています。東京帝大と当校で教授を兼務されていた美濃部達吉博士のご尽力、これも大きいですよね。……というように、幾つも隠れたエピソードが出てくるはずですよ。そんな多くの力が合わさっての結果ではなかったでしょうか」
 山辺みどりはメモに忙しい。インターネットを通じて得た資料を提供して、自らも追い続けた彼女のことだ。夏の日から数えて、ノートは何冊目になるか。
 須賀老はひと息ついた表情で、やおらだれとはなしにつぶやく。
「私が追い求めてきたのは、講堂の表玄関たるファサード上面になぜあんな奇妙な形の四神像が飾られてあるのか=Aそしてその四神像が何を語りかけているのか≠セった」
 眼差しは一点に向いている。
「私は四神像の迫力に、夢でもうなされた。確かに四神は何かを訴えかけ、われわれを鼓舞している。それは明治八年、商法講習所として創立以来培った不屈の精神かもしれないし、経済界の道しるべとなってきた誇りかもしれない。佐野学長はこの歴史≠伊東博士に全霊込めて訴えたにちがいない。その伝統が、玄武・朱雀・白虎・青龍の一体一体で合わせた四神像に託されているのだと。そして、これを旗印とする講堂を明日をになう、志豊かな若者の殿堂たらしめるのは伊東博士ただ一人であると」
 一同の目は、頼もしげに老人に集中している。
「伊東博士は、いこじだが、人一倍の温かい血が通っておられる。何より青春を愛する人だ。胸に秘めた自身の熱い思いを託す覚悟で引き受けられたのだ」
「青春≠ニは、おじいちゃんも若いわね」
 マリが真面目な顔で茶化す。
「博士はね、完成式典の演壇で、満場の来賓を前に『建築には一切自分の意を用ひた』と述べているでしょ。そのとおりなんだよ。自分勝手に振る舞えたということではなく、商大の思想・行動が、これまで歩んできた自分の生き方に重なったのだ。まるで鏡に映し出される自分を見た思いがしたにちがいない。自ら進んで自分の全てをこの講堂に叩きつける気持ちになったのだろう。博士の心には、依頼する側もされる側もなかったはずだ」
 ご老体の一人語りはトーンが上がっている。
「こんな背景で学園の殿堂が建築されることになった。建学以来の歴史を秘める『四神像』を生かしてね。外観と構造はロマネスク様式でなされ、ファサード上部に独特の四神紋様≠フレリーフが掲げられた。内装は、二階から地階に至るまで博士が精魂を傾けることになる。自身のオリジナル怪獣を渾身込めて作り上げ、内部空間全てにわたって、納得いくまで所狭しと飾り立てた──」

14.四神像ー3の朗読 15’ 04”
< 14.四神像ー2 15.籠城事件 >
目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
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