13. ロマネスク 1
 須賀五郎次の長文は続く──

 佐野学長たちは、いい知らせを願いつつ毎日が過ぎていた。
 九日目に返事があった。伊東博士自身からの電話で、「私の部屋に来てほしい」
 紋切り型で要件のみ。それでもひょっとしたらと、期待を込めて訪問することにした。

 日曜日の午後、今日も晴れ渡っている。
 佐野と堀、高垣両教授、兼松商店・藤井松四郎取締役の四人が、先日と同じ、本郷の東京帝大正門をくぐった。安田講堂が銀杏並木の向こうで時計台の尖頭鮮やかである。間もなく竣工式が行われるのだろう。
 工学館二階の伊東教授室に入ると、忠太博士がメガネ越しに細い目でにこやかに迎えた。帝大側は、美濃部達吉教授は見えないが、弟子の松井角平がいる。他に事務員が二名。
「本日は伊東先生の親切なお計らいに感謝しております。また、みなさん、休日をおしてお集まりいただき、ありがとうございます」
 佐野は丁重にあいさつした。
 教授室は広い。打ち合わせ用にテーブルが置かれ、椅子が人数分並んでいる。
 客の四人は、一見似つかわしくない美人画≠ェ壁に掛かっているのを目にし、顔を見合わせた。
 無理もない。伊東忠太十七歳にして、外国語学校でドイツ語を学びながら、美術学校を目指していたときの作品である。但し、厳格な軍医の父が、『不甲斐ない了見』だと言って強く反対し、やむなく東京帝大工学部へ進学することになったが。

 ──美人画は、艶めかしい細面の女性が、優しい眼差しで、手にした花一輪をじっと見つめている。和服姿ではあるが、胸元や裾は唐模様で、髪飾りと履き物も中国風。腰のあたりに鳳凰の、裾には龍の模様が見える。

 この部屋からも、完成寸前の安田講堂がよく見える。
「今日は特別の用はありませんし、邪魔も入らないでしょう」
 と言ってから、伊東博士は隣りの若い精悍な男に目をやる。
「彼もトコトンつきあってくれました」
 松井工学士との何日にも及ぶ考察・議論を振り返っている。
 青年は謙遜の面持ちで受ける。
「こうと思ったら、先生は休むことを知りませんから……。でも、今回だけは、無理やり時間を創り出す前に、ハードルが高いようですよ。これまでの建築物は施主とのせめぎ合いでしたが……」
〈日頃の鋭い舌鋒の向け先が、今回はご自身ですから〉と言外に匂わせている。続けて弟子は、
「御校の歴史が凝縮されているという四神像を新キャンパスの表看板ともなる講堂の、それも見栄えのする位置に、素直に現わすことのできる建築様式は、洋の東西を問わず過去にありませんから」
 何日もかけた格闘を思い出すように、弟子は一語一語をかみしめる。
 佐野学長をはじめ、依頼側は四人とも身じろぎもしない。じっと博士の返事を待っている。博士と弟子は、逆にさわやかな表情で、苦闘の余韻を楽しんでいるようだ。
 藤井取締役が思いあまって、伊東博士に何か言おうとしたとき、博士は佐野に向かって、あっさり結論を述べた。
「お引き受けするつもりです」
 一瞬、商大側は言葉を失い、(まなこ)は逆に戸惑い顔の博士に向いたまま動かない。
 夢から覚めたように、
「ありがとうございます」
 一同、深々と頭を下げた。
「詳細ご了解いただいての話ですが……」
 博士は念を押す。
「建築様式はロマネスクでいきましょう。これ以外に選択肢はありません。が、そのままでは構造的に幼稚です。それに、野暮ったくて暗い。これは前にお話ししたとおりで、講堂としては、ゴシック様式に比べて如何にも見劣りがします。ただ……、御校の四神像を生かすにはこの様式に頼らざるを得ません。四神像を旗頭にすることが前提ですからね」
 一息入れて、補足するように、
「費用はご寄付いただく額で充分でしょう、余程のことがない限り」
 藤井は安堵の表情になる。伊東博士の設計による建築物で、自身の壮大な構想故に予算が伴わず、実現しなかったものが多いし、実現はしても構想どおりに完成したものはほとんどない。
「四神像は、ご希望どおりファサード上部に飾りましょう。御校の誇らしい学園史が凝縮しているわけですから。そうですよね」
 弟子と考え抜いた結果の提案は、ユーモラスな響きですらある。
 佐野はホッとしてか、思わず自慢のカイゼル髭に手が行く。博士の頬も緩んで、
「ファサードはこのようにしてみました」
 とエスキース(ラフスケッチ)を示す。四人は身を乗り出して見入る。博士は、ハンガリーの指揮者からの贈り物という、愛用の指揮棒を無造作に使って説明にはいる。
「玄関の三つの出入口をドーム状にして、横に並ばせます。真上に縦長の二階ガラス窓を六ツ取り付けます。その二つずつをロンバルディア帯で波打たせてくくり、帯の内部にこれら朱雀、白虎、青龍の紋様を横なりに配置するのです。帯の真上に、玄武、即ち御校の校章マーキュリー≠置く。まだ一つの考え方ではありますが」
 と言ってから、来訪の四人を見渡してくすっと笑う。
「でも、四神像の三体は唐様(からよう)のカリカチュア(戯画)ですからね。ヨーロッパのロマネスク様式にはどうしてもなじまない。違和感がぬぐえないし、バランス上ふさわしくないのです。かといって、好き勝手に描き変えるわけにはいかないでしょう。像の一体一体に年輪を重ねた御校の精神が込められているわけですから。……これには正直まいりました」
 弟子の松井は真顔で二度三度頷いている。
「なんとしても解決策をと、松井君とねじり鉢巻きでした。御校独自の四神像を際立たせるやり方はないものか。且つ、全体として調和のとれたものにならなければと。矛盾だらけですからね。……まだ結論には至っていませんが、自分を試してみたい気持ちになったからお呼びしたのです」
 伊東博士は淡々と話すが、微笑みの奥に確信を秘めているようだ。松井は頼もしそうに師を見ている。
「おおよその考え方を、松井君に説明して貰いましょう」
 そう言いながら、向こうの安田講堂を見るともなく、
「私が納得のいく建物を目指します」
 きっぱりと言った。
「よろしいでしょうか?」
 松井は、資料が行き渡っているのを確かめて、説明にはいる。先日の不安そうな様子はない。幾分口調を遅めて、商大側の理解に合わせるように進む。歯切れはいい。

・建築面積 500坪程度(安田講堂:約550坪)
・延床面積 1000坪程度(安田講堂:約2100坪)
・建築様式 鉄筋コンクリート(だて)太鼓張り、ロマネスク式。地上2階、地下1階とする。耐震耐火に細心の注意を払う。
・用途 多目的ホールとする。音楽・演劇等も考慮し、舞台を広めにする。
・椅子席 1000-1500席。
・天井 音響に十分配慮し、美観を損じない限り低くする。
・貴賓室 イスラムのサラセン式も取り入れ、厳粛味の中に多様文化を醸し出す。
・装飾 ファサード上部に四神像を配置する。外壁全面に亘ってヨーロッパ・ロマネスク模様の怪獣を厳選してちりばめ、四神が違和感なく際立つようにする。内部は、伊東忠太(博士)創作の怪獣を取り入れる。
・創作怪獣の概念 伊東(博士)の思想と世界観に基づく。
怪獣デザインの基本は、ファサードの四神像のイメージが自然内観につながる意を込めて、『忠太オリジナル』とする。
諸国行脚の経験を踏まえ、とくに、インド、中国、イスラム圏、ヨーロッパ、及びわが国の文化を幅広く取り入れる。

 一通り弟子の説明が終わるのを待って、博士本人が補足する。
「講堂内部の全般に渡って装飾を考えている怪獣のイメージですが、私の心には、御校校歌の一節が根付いています。世界へ馳せる──それは」
 と歌集を開いて、

蛟龍(こうりょう)の意気胸にして
 いざ雄飛せん五大州(たいしゅう)

「先日は、説明なさる佐野さんに気迫を感じました。歴史の重みを真剣に受け止め、身をもって継承しようとされている。兼松商店の強いご意思も忘れません」
 博士は資金や言葉だけでは動かない。心身を打ち込むに相応(ふさわ)しいパートナーたり得るか、あの時佐野をジッと見つめていた真意がそこにある。
 そう話してから、博士は珍しく細目に真剣さをにじませ、あらためて商大側に向かって確認を求める。松井角平も静かな物腰に決意がうかがえる。
「私たちの考え方をご了解いただけますかどうか……?」
 藤井取締役が先に発言する。
「私ども兼松としては、異論ございません。先生のお考えをこのように詳しくお聞かせいただいて、心強い限りです。お心のままに力をお貸しください」
 佐野は感動そのままに直立不動で両(こぶし)を握りしめ、
「ありがとうございます! 私たちの思いをこれほどまで心に留めていただきまして──。ご寄付いただく兼松商店様にも心より感謝します。どうぞよろしくお願いします」
 堀、高垣両教授も深々と頭を下げた。

13.ロマネスクー1の朗読 17’ 12”
< 12.建築者ー3 13.ロマネスクー2 >
目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
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