ぐずついた天気が続いている。土曜日の今日は雨が雪になってもおかしくない。
「十一月に雪か……」
津船良平は起きがけに、マンション十一階から窓越しに広い中庭を見下ろす。十二階建てのマンション群がグルリを丸く取り囲んでいる。枯れた木々が、芝生のあちこちで時雨に薄ぼんやりしている。
三時に須賀五郎次たちと浅草の蕎麦処「十和田」に集まることになっている。その席で、兼松講堂に関わる調査経緯の説明をしなければならない。
アーケードの浅草すしや通り≠ノ早く着いた。傘をたたんで通りにはいる。すぐそこの「十和田」をやり過ごしてずっと奥まで行き、いつぞや須賀と落語を楽しんだ演芸場の寄席看板を眺めたり、向かい側の遊技場に入って子供たちのはしゃぎぶりに見とれたり……。雨と寒さのせいか、通りは普段ほど賑わっていない。
頃合いを見計らって店に入ると、
「みなさんおそろいですよ!」
額に豆絞りの手拭いを巻いた、半纏姿の男性店員が上の階を指さした。
曇ったメガネを拭きながら階段を上がる。二階座敷の一間にテーブルを囲んで、六人がそろっていた。
壁を背にして真ん中に八十五歳になったばかりの須賀五郎次が座っており、ぐるりに深海恵理子、野溝マリ、祝田睦美、山辺みどり。そして川治啓造がいる。須賀の片側は津船の席らしい。
川治は祝田睦美が誘っていた。彼の論文は、老先輩の調査に少なからず関与している。初対面の津船は、川治に名を名乗って頭を下げた。
マリは恵理子に伴われて来ている。ベレー帽にコケティッシュな身なりで、スカーフは今日もカンボジア・シルクだ。陽気に会釈する。
十和田は須賀が長年贔屓にしている店で、定番は『蕎麦味噌を肴に枡酒』だ。六十年配で小太りの女将は名の知れた『おかみさん会』の総帥で、サンバ・カーニバルやジャズ・フェスティバル……、浅草の主だった行事を取り仕切っている。店に立っては話が面白い。気さくにどの談論にも加わるから、それが目的で来店する客もいる。
女将の計らいで、六時まではこの一間を会議用に貸してくれていた。その後は引き続いて宴席ということになっている。
「では始めようか」
須賀がそう言って、会議≠ェはじまった。
「これで七人の侍だね」
と茶化すご老体に川治は一礼し、
「先輩の調査については祝田さんから聞いています。まとめられた資料も拝読しました」
彼は学生時代サッカーのレギュラーだった。ボートのクラスチャン(クラス対抗レース)では、名の知れた漕手でもあった。二十年ほど須賀の後輩で、歳は六十を超えている。丸刈りのごま塩頭で大柄だ。
須賀老は先日郵送した自身の云う空想物語≠ノついて、
「みなさん読んでいただいたようだね」
と笑顔で一同に目をやって、趣旨説明にはいる。ここでも落語の老師匠が高座に上がったような口振りだ。
「この春から半年余りをかけましてね。兼松講堂建築のいきさつと、ファサードにある奇妙な四神像の由来を訊ね歩きましたよ。楽しい毎日だった。お化けや怪獣にはずっと付き合ってもらったし、明治・大正の頃をもう一度覗くことも出来たし、この歳で幸せ者です。近いうちにお披露目するつもりだが、その前に、みなさんにご意見や感想を聞いておきたいと思ってね」
合図を受けた後輩の津船は、自分でまとめた資料を配って説明にはいる。
「須賀先輩は入学当初から卒業して今日に至るまで、半世紀を超えて、端艇部OBの四神会と深く関わってこられました。在学中はご自身コックスとして活躍されたことはみなさんご承知のとおりです」
と、一瞬笑顔を見せて息を継ぐ。
「如水会では八年間役員の職を続けられ、その間、膨大な『学園百年史』を編纂された責任者の一人です」
世辞めいた言い方に、老先輩の目は次へ急かしている。
そうと察して津船、
「みなさん先刻ご承知の調査経緯をもう一度振り返るわけですが…」
と弁解じみた前置きで本題に入る。
「この五月に、兼松講堂で改修記念コンサートがあり、先輩は深海さんを誘いました。画家の深海さんは、会場内の装飾に特別の興味を持ちました。インターミッションを利用して、そこいらのレリーフや彫刻をご覧になったところ、案の定お化けや怪獣だらけです。それも、彼女が予想したロマネスク様式のものとは違って、もっとどう猛なのやグロテスクなものばかり……」
恵理子は弁士に同意のまなざしを向ける。
「そんな彼女の話を聞きながら、先輩の頭に何ものかが浮かびました」
テーブルに並べた写真数枚を指し示す。
「ファサード上部を飾っているこの四つの円形紋章です。上がおなじみの校章マーキュリーで、その下に鳳凰、獅子、龍、それぞれの格好をした唐様の動物が横に並んでいます。この四体を先輩は、ずっと前から常識として玄武、朱雀、白虎、青龍の四神を意味していると見ていました。それらの像が閃いたのです」
一同、なじみの写真を眺めながら聞いている。
「その日まで先輩は、四体をひとまとめにして四神像と呼び、『学園の象徴』と見なして、それ以上の詮索はしていなかったようです。また、講堂そのものについても、『よくもまあ、沢山怪獣がいる!』程度に……」
津船は再び恵理子に目をやりながら、
「コンサートが終わってから、広場で深海さんとあらためてファサード上部のそれら紋様を眺め、先輩の胸に『重要な何かを見過ごしていたのではないか』との思いがもたげ、調査を決意しました」
須賀は腕組みして、天井を仰いでいる。
「七月下旬の猛暑の日に、私たち三人が、詳細調査すべく兼松講堂を訪れました。関係者の丁寧なご案内で、内部は二階から地階までくまなく、外側は、正面玄関と周囲の壁面を、念入りに見て回りました」
本館と図書館にもしばらく立ち寄ったことを付言して、本館で施設課長から受けた説明概要の資料を示す。
1. |
ロマネスク様式は十一〜十二世紀の建築様式で、次世代のゴシック様式に比べて稚拙。欧米及び日本の殆んどの大学は講堂建築に華やかで洗練された次世代のゴシック様式を選んだ。 |
2. |
兼松講堂だけがロマネスク様式である。それは伊東忠太の設計であるため。
伊東博士の特異な怪獣への思い入れ≠ェロマネスク様式を選ばせた。それは、いわば講堂内における伊東忠太オリジナル≠フ怪獣跋扈につじつまを合わせるためだった。 |
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「これは東大・開田伸武教授の説に基づいています。『伊東忠太が、自分の怪獣たちをふんだんに取り付けたい一心で、ロマネスク様式を選んだ』と」
話しっぷりに淀みがとれている。
「その後、祝田さんと山辺さんが調査メンバーに加わり、関連資料を集めてくれました。川治先輩の論文を祝田さんが、伊東忠太に関するものを山辺さんが……」
後輩の女性ご両人はニコッと反応する。彼女たちにとっては大した手間でなかっただろうが、須賀老人の調査のはずみになっている。
「夏から秋にかけて、実地調査と資料探しが続きました。改修施工業者の三菱地所設計では工事関係者に会い、渋沢史料館では貴重な関連資料を得ました。学校でも、先生方から各種情報が寄せられました。とくに月岡教授に提供いただいた資料は、国立へのキャンパス移転当時を知る一つの手掛かりになりました」
津船は一区切りついたとの表情で、
「調査経緯はこんなところですが……」
須賀老にひとまずバトンを返そうとする。
「言い足すことはないよ。続きも一気にやってもらおうか」
大先輩の言葉に気をよくして、にわか弁士は冷めかけた茶をぐいと飲んだ。 |