11. 集古館 1
 透き通った秋晴れの正午前、津船良平と、深見恵理子、野溝マリの三人が港区・ホテルオークラの五階ロビーに集った。大倉喜八郎の息子喜七郎の手で開業されて以来、そのままの雰囲気が四十数年を経たいまも保たれているという、心安らぐ憩いの場だ。つかの間ソファーで優雅な静けさに浸る。
 マリのスカーフは、先日恵理子宅で見たクロマーとちがって、カンボジア・シルクだ。これも民族色なのか、落ち着いた(だいだい)系で、東京の今の季節にあっている。
 大倉集古館には、この階北出口から地続きになっている。ドアを開けると、外は風が幾分冷たい。やや首をすくめる三人の前に集古館が待ち受ける。
 日本初の私立美術館で、関東大震災によって焼失したのを、伊東忠太の手で、昭和二年(一九二七)に再建された。耐震耐火に備えた鉄筋コンクリート二階建てで、施主大倉喜八郎の会社大倉土木(現大成建設)が施工に当たっている。
 中国風で、なかなかの威風堂々だ。兼松講堂のすぐあとに竣工したらしい。
 正面には数々の置物が横に並んでいる。インド風、中国模様……、大倉翁の収集品にちがいない。玄関の右横に和服姿で椅子に寛いだ翁の座像がある。
 忠太の作らしき怪獣もある。()えている竜の頭をした亀が二匹。狭い通路を隔てて、亀の真ん前は、別の怪物が牙を()いている。
 館内は一、二階とも、『曼荼羅(まんだら)の世界』展だった。責任者が恵理子と談笑しながら案内する。大倉翁がお気に入りだったというチベット仏教美術で、併せてインド・ヒンズーの美術も展示されていた。

 集古館で小一時間を費やしたあと、恵理子の先導で、ホテルオークラ一階の『テラスレストラン』に入る。カジュアルな雰囲気、ルノアールの絵に出てくるようなフランスのカフェ風。オープンな各テーブルで、寛いだ会話が聞かれる。
 ウエイトレスが三人を和風庭園に面したテーブルに案内した。三人とも好みのサンドイッチとコーヒーを注文する。
 庭園はレストランの奥行きに合わせて横長で、右端の築山から流れ落ちたせせらぎが、テラスに沿って左端の池に注ぐ。池は錦鯉が何匹も泳いでいる。昔の京屋敷を思わせる風情で、向こうに見え隠れしているビル群とは別の世界である。
 数本の枯れた花水木が季節の移ろいを示し、真っ赤なピラカンサスがほどよいなごみを与えている。

「僕なりにまとめてみたんだけど……」
 津船は用意した数枚の綴りをマリに渡す。カンボジアと、隣国のタイ、ラオス、ベトナムのことが記されている。現地で付き合った会社や、友人・知人……。
「ありがとう」
 と受け取って、マリは丹念に目を通す。
「ずいぶん役に立ちそう。助かるわ」
「印をつけている方たちは親しいですから」
 津船はそう言ったあと、
「肝心なことをご本人から聞いてませんでしたね……」
 とマリの目を見る。
「そうよね。では」
 彼女も準備していたことだ。ファレット氏とのカンボジアでのスナップ写真を見せながら話しはじめる。ツーショットの背景は、いずれも名の知れた観光スポットだ。アンコール・ワットの日の出、アンコール・トムの南大門、バケン山の夕日……。背景はいずれも津船にはなじみ。目はひたすらカップルに注がれている。
 ファレット氏は浅黒い引き締まった顔で、すらりとした体型も筋肉質のようだ。にこやかだが、どの写真も直立不動。背はマリより頭一つ高い。南方の地に似合わず長身だ。
 見るからに真面目そうで、〈開けっぴろげなマリさんとは対照的〉と津船は想像する。
「伯母さんから聞かれたと思うけど、ファレットさんとは大学での知り合いよ。卒業してからも、ずっと親しかったわ。遠く離れているけど、結構会っていたの」
「あなたは東京外大のスペイン語科でしたね」
 と津船。
「私が入学したとき、彼は日本語科の三年で、比較文化≠専攻していたの。プノンペンの大学を卒業してから、こちらへ入り直したのよ。ご家庭は裕福だから、学費の心配はなかったようだけど、仕送りには頼っていなかったみたい。大使館でのアルバイトは、勉強のためにも役立ったようだし、学費を十分まかなえた、と言っていたわ。日本語は私たちと変わらないくらいだし、英語とフランス語は教えられるほどですから。卒業してから故郷のシェムリアップで旅行会社を興したの」
 ファレット氏が経営している会社の写真を数枚見せる。
「ガイドも合わせて、二十人ほどの会社。世界各国からの客に対応できるそうよ。最近は日本からも観光客が増えているから、彼自身もよくかり出されているみたい」
「みんな笑顔がいいですね。民族性なのかなあ」
 津船は写真に語りかけている。
「微笑みの国≠チて、カンボジアのことよ。ね、マリちゃん」
 と恵理子。
 マリはニコッとしながら、
「私、シェムリアップが好きだから、向こうに住むのが楽しみ。カンボジア大使館に相談したら、教員免許は向こうでも活かせると言ってくれたわ。何らかの教育関係に携われそう。クメール語は勉強中だけど、英語とスペイン語、それにフランス語は大丈夫だから、何とかなりそう。絵は向こうでも絶対続けるつもりよ」
 伯母の恵理子にこびた目をする。
「そうですか」
 津船の相づちをお世辞まじりと気づいた様子もなく、
「将来的には環境保護のNPOを立ち上げようと思っているの。ポルポト政権以来、アンコール遺跡群をはじめ、カンボジアの文化遺産はどんどん破壊されてきたでしょ。最近は性急な観光客誘致の悪影響も大きいらしいわ。いまはインターネットでの発信も威力があるから、私なりにお手伝いできそう」
 と庭園に目を転じながら、夢をますますふくらませる。
 再び津船に向かって、
「彼も旅行会社だけで終わるつもりはないみたい。公にも幾つか仕事を引き受けているようだし、いつか二人でカンボジアのために、力を合わせるときがきっと来ると思うわ」
 マリの構想は止めどなく広がっている。
〈甘い!〉
 津船は逆に心配といらだちを感じていた。

「お二人のこと、ご両親は反対だそうですね」
 津船は単刀直入に切り出す。マリは予期していたように答える。
「そう、最初からね。何度もお見合い写真を見せて、彼と別れさせようとしたわ。私の気持ちは全然変わらないから、今はあきらめたみたい。反対は反対だけど……。姉夫婦にちびちゃんが二人出来たことも関係あるのかしら」
「お姉さんの考えは?」
「一応賛成よ。十分説明して、理解してもらったわ」
「彼の両親は?」
「賛成ではなかったのだけど……。私、直接会ってお願いしたの」
「それで?」
「少しは苦労したけど、何とか了解してくれたわ」
「それはよかったですね」
 と表情を和らげながらも、津船はきつい。
「国際結婚は、傍目(はため)にはいいようでも、障害が多いし、何よりの証拠は、離婚率が極めて高い。不幸せになる人が多いということですよ。僕が知っているだけでも、結構います」
「…………」
 津船も言い出したら一直線だ。
「それに、マリさんの話はバラ色過ぎないかな。まるで魔法の杖を持っているみたいだね。あなたにかかると、難しい問題は全て解決してしまう。これ以上ない玉の輿のように聞こえますよ。いわばファレット氏は(とげ)のないバラじゃないかな」
「棘のない?」
「まだ彼の本当の姿を知らない、ということですよ」
「ひどい!」
 マリの黒目が津船を射る。
「それを承知で言っているのです。気を悪くされるならそれでいいです。まだ、恋は盲目≠カゃないかな。これからきっと互いの欠点や暗い面が見えてきますよ。尋常な力では乗り越えられないような事情も……。かといって、マリさんは既に決心しているようだから、今更止め口も通用しないようだけど。余計な心配で終わればいいのですがね。お二人の両親とも安心できるようなカップルになってください。説得がゴールではありませんから」
 マリの固い表情は変わらない。
 恵理子は既に語り尽くしているらしく、ここではずっと聞き役だった。津船の強い助言にうなずいている。

11.集古館ー1の朗読 14’ 19”
< 10.武蔵野へー2 11.集古館ー2 >
目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
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