須賀五郎次と深海恵理子の二人は、東京から大船まで湘南電車に揺られる。改札口を出ると、七時に近い。駅ビル七階の蕎麦屋に立ち寄る。なじみの店だ。熱燗で夕食を済ませ、タクシーで家路についた。
須賀が先に降りて、マンション十階のわが家へ。玄関を入ると、甲一の妻沙智子が気を揉んで待っていた。
「おじいちゃん、焼津のお方がお亡くなりになったそうです。折り返しお返事が欲しいと」
メモしたメッセージを見せる。
電話すると、
「友人代表で弔辞をお願いしたい」
お悔やみとともに引き受けた。
そんなことで翌々日は静岡県焼津市での葬儀に参列して、故人にまつわる四方山話が長引き、帰りは遅くなった。
帰宅すると、テーブルに竹中工務店から約束の資料が届いていた。が、一日の疲れも手伝って、その夜は開封せずに床に就いた。
枕元のラジカセで、子守歌代わりに寄席がはじまる。トトーンと、三味線・太鼓による『一丁入り』の
出囃子に続いて、
「ええーーー、なにかくだらない、まとまりのつかないことをおしゃべりいたしまして……」
いつもの志ん生の声だ。
「……むかし……品川をミナミと言い、……、千住をコツと……」
既に寝息を立てている。
四神像の燃え盛る眼が覆い被さるように迫ってくる……、灼熱に熔けてしまう──。
須賀は胸に詰まった息を吐き出すようにしながら目が覚めた。五時前だ。まだ暗い。
パジャマにカーディガンを羽織る。湯を沸かして、自家焙煎のコーヒーをマグカップに注ぐ。モカ風味の芳香が鼻をくすぐる。
このマグは、深海恵理子が数年前にドイツ・マイセンの磁器博物館で購入したカップで、須賀の気に入った様子を見てプレゼントしたもの。デザインはシンプルで、金縁の白地に、小さい青模様の剣が二本交差して描かれてあり、下に1952≠ニ年号が付されている。
「半世紀……」
つぶやきながら、酸味のきいたストレートを旨そうにすする。ご老体の新しい一日がはじまった。
宅配便を開けて資料を取り出す。先日三菱地所設計の会議室で見た、表紙が『東京商科大学』のコピーだ。
メモ帳を横に、『兼松記念講堂』のページを開く。
『大正十二年九月、本大学ハ大震災ノ厄ニ遭ヒ、全校舎ヲ挙ケテ烏有ニ帰シタルヲ以テ、直ニ復興ノ計画ヲ樹立シ、地ヲ城西国立ニ卜シ、(中略)
昭和三年度ヨリ同七年度ニ至ル五箇年間ノ継続事業トシテ、校舎新築ノ工事実施スルコトニ決シタリ……』
須賀は念入りに読み進む。
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1. |
大正十三年、兼松商店が創業者・兼松房次郎の十三年忌行事として同キャンパスに講堂を建設し、寄贈する旨東京商科大学に申し入れた。
大正十五年八月八日起工、昭和二年八月三十一日竣工し、寄贈手続き完了。十一月六日開館式。 |
2. |
兼松商店幹部氏名 北村寅之助(取締役、豪州兼松商店専務取締役)、藤井松四郎(取締役)、林荘太郎(取締役)、前田卯之助(元取締役)……(以下略) |
3. |
建築委員長 佐野善作 |
4. |
建築委員(イロハ順) 伊東忠太、井浦仙太郎、林荘太郎、堀光亀、星野太郎、奈佐忠行、村瀬玄、上田貞次郎、内池廉吉、黒川善一、前田卯之助、松井角平、藤井松四郎、木村恵吉郎、御前綱一、柴垣鼎太郎 |
5. |
設計監督 伊東忠太 工務部長 松井角平 設計主任 徳岡鼎 現場主任 高塚幸三郎、布川強次、森田哲 |
6. |
建築工事請負人 竹中工務店 |
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建築士某の『批評』で目が止まった。座り直し、飲みかけのコーヒーをすする。
『……最近竣成した伊東博士設計の商大兼松講堂を見て、多大の感興を得た。そのロマネスク様式のうちに、東西両洋の趣味が巧妙に按配調合され、(中略)
殊にキャピタルやベース、持送りなどのグロテスク彫刻に至っては、意匠の奔放奇抜を極め、他人の企及すべからざる博士独特のものであって、鮮明に博士の面目が浮き上がっている。
又、そのおびただしい数のグロテスクがことごとく異種別様の図柄ではなはだ精巧深切に造られていることは、図按上多大の熱心と誠実さの籠っているのを見遁すことが出来ない。
と共に、博士の設計の上の態度の篤実真剣みに多大の敬意を表したい。……』
佐野善作学長の謝辞は長い。
『……今回、兼松房次郎翁ノ第十三回忌辰ヲ機トシテ、本学ノ為メニ此大講堂ヲ建設寄付セラレマシタ……』
(以下、須賀はこう読み解く)。
私(佐野学長)が伊東博士に設計依頼をしたとき、博士は、当校の考え方・気構え、及び兼松商店の志≠ノ深く共感され、そういう立派な企画ならば、と多忙をおして快諾されました。
設計に学識・経験・技量の全てを発揮されたことは勿論、工事施工が細部に亘ってご納得のいく形で実現されるよう、入札条件等にも最大意見を反映されました。
工事期間中は、毎日曜日だけではなく、平日にも寸暇を惜しんで、東京本郷から遠く、ここ武蔵野国立の現場に通われ、図案その他についても他人任せにせず、手作りを全うされました。衣服の汚れなど一切構わず、自分で粘土を捏ねられました。
工事担当についても、とくに工学士松井角平氏以下、博士門下の総力を結集されて、一部始終を満足のいくように進められました。
「おじいちゃん、朝の支度が出来ましたよ」
沙智子が幼い孫と一緒に声をかける。
「ありがとう」
われに返って顔を上げると、空は晴れわたって、富士山が大きく見えた。