須賀老は、不満足ながら彼なりに状況を理解したとして、今度は竹中側に矛先を向ける。
「当初の設計図面ですが……、お持ちいただいてますか?」
竹中担当者に代わって、三菱地所設計の改修設計総括担当者が、待ちかねたかのように、
「私から……」
と発言する。若そうな丸顔だが、額の生え際が後退している。
「こちらに用意してあります。改修の時の参考図面です。お調べください」
幾枚もの図面がテーブルに重ねて置かれた。兼松講堂の全体図と部分図で、他に関係資料と思われるものも。
須賀老は天眼鏡の助けも借りて、一枚一枚丹念に目で追う。全体図とファサードの図面、それに拡大図はとくに時間をかける。制作者の名は? 怪獣たちの正体を明かす手掛かりは? 伊東忠太に関わることは? 大学側に関する何らかの叙述や人の名は? …………
同行の三人も目と指で追っている。三菱、竹中側もただ眺めているだけではない。須賀の意向を汲んで、等しく各図面を隅から隅まで調べている。時間は容赦なく過ぎる。
当てが外れたのか、須賀老の表情は曇っていく。あるべき≠ヘずの記述がなかなか見つからない。津船は口をへの字にして何度も首を傾げている。恵理子はこれ以上なしとしてあきらめた。祝田睦美はまだ図面とにらめっこしている。
津船は気づいたように、老先輩にささやく。
「これらの図面の日付は全て昭和二年ですよ。もっと前のがあれば」
須賀はうなずき返し、今度は居並ぶ相手側に注意をうながす。
「全てが清書された最終図面ですよね。私が見たいのは、その前のものです。きっと加筆・修正やメモ書きが施されているはずですが……。その中に何らかのヒントがあると」
三菱担当者は困った顔をする。
「仰せごもっともですが、今回の改修にあたって参考にした図面はこれだけなのです。竹中さんのところでは外に心当たりがありませんか?」
言われたほうも気の毒そうに、
「それらは元々当社から提供したものですが、私の知る限り、これが全てです」
黙っていた木谷常務が、言いづらそうに口を挟む。
「確かに計画から完成に至るまで、何度も手が加えられているはずです。が、そういう途中経過の資料は、私たちのところにあると思えませんし、むしろ不必要かもしれません。施主か設計者サイドで保管しているかもしれませんね。兼松、一橋大学、東京大学、建築学会、伊東忠太の資料館といったところでしょうか……」
予定の刻限が過ぎている。
竹中担当者が、鼻にずりかかった黒縁メガネを指で支えながら、言い忘れていたとばかり、もう一方の手で書類を差し上げる。須賀老に向かって、
「これはご覧になっていますか? すでにご存知のことばかりだとは思いますが」
回された書類は古ぼけて、ところどころシミも付いているが、読むに支障はない。表紙には『東京商科大学』とだけあり、昭和三年五月三十日発行になっている。兼松講堂完成の翌年だ。案の定、何枚目かに、『兼松記念講堂』の活字があった。須賀老は猫背をさらに丸くして、忙しく目で追う。
「よろしければ、コピーしてお送りしましょうか?」
竹中担当者は、老人の熱心な顔つきを読み取った様子で、快活に言う。
「お願いします」
須賀の表情がやっと和らいだ。