11. 集古館 3
「お話、(はず)んでますね」
 二度目のお代わりコーヒーを運んできた責任者らしい中年ウエイターが、物腰低く三人のカップに注ぎ終えてから、にこやかにその場にとどまっている。ワイシャツに蝶ネクタイで、恵理子とは顔見知りのようだ。
 津船が気兼ねしながら、長談義を詫びると、
「ご遠慮なく。お好きなだけ居ていただいて結構ですので」
 と安心させて、テーブルにあるマリとファレット氏の写真に目が行っている。
「お二人とも、楽しそうですね」
 と言ってから、
「アンコール・ワットでしょ、カンボジアの」
 自信ありげである。
「私も好きです。遺跡群それぞれがロマンチックで、遠い昔の世界に吸い込まれるようですね」
「行かれたのですね」
 と津船。
「この九月初めで三度目です。今回はタイにも足を伸ばして、アユタヤ遺跡やピマーイ遺跡も見てきたのですが、アンコール遺跡と似かよってました」
 マリがニコッとして、
「その通りよ。だって、アンコール遺跡の町シェムリアップは、シャム(タイ)よ、出て行け≠ニいう意味なの。昔から、タイとカンボジアは侵略したりされたり。仲がよくなかったのだけど、文化的には近しく交流しているのね。タイもカンボジアと同じように微笑みの国≠ニ言われているくらいだから、心は同じなのよ」
「そうですね。確かに両国の文化交流は、私にもそう思えました」
 ウエイターは感心したようにマリを見る。と同時に間が悪く、向こうのテーブルで手が挙がっているのに気づく。残念そうに、
「お話を妨げてしまいました。夢中になってしまって……。冷めないうちにどうぞ」
 笑顔で促す。
「話が合いそうですから、引き止めたいところですが」
 津船が三人を代表して思いを告げる。
「どうぞごゆっくり」
 ウエイターは一礼して去った。

「伊東忠太って、写真で見ると厳格そうなのに、よく怪獣や妖怪の漫画が描けるわね」
 マリが今更らしくつぶやくと、恵理子が同意の笑みを浮かべて、
「決して不真面目ではないのでしょうけど。生い立ちか何かに深い関係でもあるのかしら。彼のほとんどの建築物に怪獣があるのは、趣味だけとも思えないわ。兼松講堂の中は、全く怪獣オンパレードだったわね。あなたの考えを聞かせてくださる?」
 またしても待ち受けたように、津船の顔が明るくなる。
「そこが一番引っかかるところですね。人の心の闇は計り知れず、でしょうか……。僕なりにちょっと調べてみました。座敷わらし≠フ妖怪話で有名な山形県米沢を三歳であとにしているのですが、東京に来てからも毎晩のように添い寝で母が語った故郷の民話がいつまでも頭にこびりついていたようです。そんなことも彼の下地にあると思いますよ」
 と津船は自前のノートをめくる。忠太の談話らしき箇所に目をやって話しはじめる。
「『幽霊・妖怪・化け物』について、彼はこう言っています」

『いる≠ニ信じている人にはいる≠オ、いない≠ニ信じている人にはいない≠フだ。人の信念次第でどうにでもなる。
 私は、化け物がいてもいなくても構わない。ただ化け物が面白いのだ。もしも化け物がいるのなら、私のような『化け物崇拝者』の前に現れてくれてもよさそうなものだが、幸か不幸か、まだ一度もお目にかかったことのないのは何より残念なことである。』

「そう悔しがってから、彼の本音が出るのです」
 と、もったいぶりながら一気に読み進む。

『化け物の形にはこれといった決まりがないから、絵にするのは甚だ自由勝手で、容易(たやす)いと思うだろうけど、それが却って難しい。普通の人間や動物なら、目に見える相手を標準≠ノしてこれを写せばよいので、何の苦労もいらない。ところが、標準≠フない物を描くには、いわゆる画才≠ナはなく、空想力≠ェ必要となる。どれだけ画才に()けていても、空想力がなければ、化け物を描くことは出来ない。絵画の技工≠ェなくても、空想力が発達していれば、化け物を描ける第一歩を踏み出している。』

「忠太はそう言ったうえで、『化け物の形に標準がないと云っても、実は何らかの実在のあるものから暗示を得なければならぬ。この暗示を求めることが人間などを描く場合よりも遙かに難しい』として、化け物は決して誰にでも描ける芸当ではない、と結論づけています」
 津船の長講一席で、恵理子も思い当たったようだ。
「そうだわ。風景でも静物でも人物でも、何によらず、目の前のものは素材よね。それをどのように自分のものにするかは、彼の云う空想力≠セと思うわ」
 マリも負けていない。
「忠太の彫刻やレリーフの怪獣・妖怪が面白半分でなかったとは思っていたけど、これほど真剣だったとは驚き……。どこまでも大真面目なのね」
 恵理子は幾分冷静になって補足する。
「設計にしても、建築物にしても、彼はそれら一つ一つに自分のありったけをぶつけようとしたのだわ。遊びがないというか、あるとしても真剣に遊んでいるはずだわ。だから、施主との考え方のちがいや予算の不足とか、常に大きな障害にぶつかって、満足した作品が少ない、と嘆いているわけね」
 津船も彼なりのもやった感想を述べる。
「では満足できた作品が、面白半分や怪獣趣味がベースだったかといえば、あなたが言うように、決してそうではないですね。どの作品にも、彼はこうでなければならない≠ニいう、確固たる信念をぶつけようとしたと思うのです。その中にあって、兼松講堂ですが、図抜けて怪獣・化け物が多いことはだれの目にも明らかです。それに対して博士自身は、いつに似合わず、この建築物の出来映えを満足である≠ニ公言しています。そこが興味深いし、僕としてはいまいちわけが分からない」
 そう言ったあと、横長の小庭園をジッと見つめたまま、
「だから、伊東忠太と兼松講堂の関わり≠ノついて、須賀先輩のまとめ≠ェ楽しみなのです」。

11.集古館ー3の朗読 9’ 46”
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