《参考》 三輪崎、いま昔 

 魚住京蔵が世を去って四十年ほどたった平成のいま(2010年)。海の男のふる里三輪崎を鳥瞰すると……。

1.熊野古道・高野坂

 三輪崎(和歌山県新宮市)は、紀伊半島の南端に近く、三重県との県境に位置する新宮市街から一山超えた海辺の町だ。
 昭和天皇がお車で伊勢から紀伊半島を大阪方面に向かってご旅行された昭和三十五年(1960)以降、紀勢西線の鉄道とともに国道(42号)も整備・舗装され、交通の便が随分良くなっている。
 が、山と海に囲まれたこの村落、いくつかの景観は昔をとどめており、それなりの情緒がある。

 その一つが、国道42号から離れて、熊野灘沿いを市街へ向かう狭い峠越え山道で、熊野古道・高野坂(こやのざか)だ。距離は三キロほど。

 熊野古道は「紀伊山地の霊場」への「参詣道」として、2004年、ユネスコの世界遺産に認められた。七つの《路》があり、高野坂は《中辺路(なかへち)》にあって、熊野速玉大社と那智大社を結ぶ巡礼路の一角をなしている。平安時代から京都・奈良のやんごとなき殿上人が熊野三山に参詣したとき、この山道を歩かれたかどうか。
 竹やぶや雑木林に囲まれ、岩肌の道は随所で苔むして、霊気漂うような所を通過したり、眼下に熊野灘ののどかな景色が現れると、「(いにしえ)はさもありなん」とうなずきたい気持ちにもなろう。幸か不幸か訪れる観光客が少ない。これがかえって当地方世界遺産の穴場と云えるかもしれない。

 その間に見どころがないわけではない。

* 三輪崎口の石畳

 ここが高野坂、三輪崎側の入口。百メートルもないが、苔混じりの石畳に一歩踏み入れた途端、小鳥のさえずりがにぎやかになるから不思議だ。カラスのだみ声も聞こえる。八咫烏(やたがらす)末裔(まつえい)かもしれない。

* 熊野灘展望台

 十分ほど行ったところに「展望台」の標識があり、それに従って右へツタの絡まったドーム状の藪を抜けると、太平洋に向かって視界が大きく広がる。
 そこは絶壁で、上にヒノキ作りの展望台がある。階段を上って真下を見ると、熊野灘の大波小波が打ち寄せてはしぶきを立てている。
 荒れているか凪いでいるかによって見栄えは違うが、近くに遠くに幾つかの小島を配した眺望は、見応え十分。
 とりわけ崖下の波涛から目線を上げて、二つの小島が視界の中央を占めるときの光景は、見逃してはもったいない目の保養である。

* 広角口の御手洗板碑(みたらいいたひ)

 高野坂の新宮側出口(広角(ひろつの)口)に近づくと、前が開けて王子ヶ浜と熊野灘が一望に見渡せる踊り場に着く。ここに御手洗板碑がある。六字名号(南無阿弥陀仏)が刻まれた二基の石塔だ。
 ここから見下ろす王子ヶ浜の景色は、観光誌が当所きっての観光スポット≠ニたたえており、熊野古道でも音に聞こえた名所≠ニ云われるだけのことはあるかもしれない。確かに王子ヶ浜の玉砂利に打ち寄せる波の音は、サラサラと妙に澄んで聞こえてくる。

2.砂浜海岸と二つの小島

* 砂浜

 三輪崎漁港から鈴島へつながる陸橋の東側に砂浜が広がる。地では単に「はま」と呼ばれ、三輪崎の人たちの生活と密着している。
 陸橋寄りでは漁船が陸揚げされて並び、海藻(かいそう)が干され、網を(つくろ)っている漁師も見かける。
 その東は夏に海水浴場となり、子供たちの遊び場になる。が、大した施設も売店もないので、華やいだ雰囲気を期待してはならない。
 秋は村祭りのメイン・イベントである「鯨踊り」の舞台となり、笛と太鼓にあわせて、若い衆が衣装凛々しく歌い踊る。
 冬は海女たちのたき火の場所だ。おばさんたち、冷えた体を温め、焼き芋をほおばっている。
 砂は、那智の浜や紀伊白浜の白砂糖のような真っ白・サラサラではなく、灰色がかって、粗目(ざらめ)だ。波に洗われた小石も、種々の貝殻と一緒に、あちこちに転がっている。立ち寄られたら、ぜひ裸足になって小砂利の砂を足で感じ、平べったい小石を拾って海に向かって投げ入れ、三段跳び、五段跳びを競ってほしい。

* 鈴島、孔島

 三輪崎漁港のまん前に鈴島と孔島(くしま)という小島が並んで浮かぶ。
 鈴島は船着き場から陸続きになっているので、まずはこちらから。ぐるりを歩くのに十分もかからないが、素朴な風情を味わえるのではないか。ごつごつした岩肌や可憐な草花と孤高の松、波打ち寄せる磯辺……、何の手も施されていないから、固有の持ち味を楽しめそうだ。

 ここから遠望する熊野の山並みもちょっとした景観。他の名のある観光地とは違った静かで飾り気のない(おもむき)がある。
 中央の岩穴から、向こうに孔島が見える。

 孔島は、鈴島から二百メートルほどケーソン(橋)を歩いて渡る。途中この橋から眺める沖合も優れた景観のひとつといえる。太平洋の海原から打ち寄せる波は荒々しく、磯の洗濯板まがいの有り様(ありよう)を納得させられる。

 孔島は、新宮市の市花≠ナある浜木綿の名所だ。夏には島のいたるところで咲き競う。その他天然記念物の草木も各種群生しているから、お好きな方は長居したくなるはず。小さな神社には漁師の守り本尊が奉られている。
 鈴島よりはかなり大きいこの小島も、あるがままで手は施されていない。メリハリに欠けるかもしれないが、あえて三輪崎の風土の一部を体現していると言いたい。

3.村祭りと鯨踊り

 三輪崎の年中行事で最大の催しは昔も今も村祭りだ。八幡神社の大祭の九月十五日がその日で、二日前から天狗の舞で町の雰囲気が盛り上がっていく。祭りばやし連中が町中を練り歩き、門付けで、彼らの笛や太鼓といった鳴り物にぎやかに、その年に選ばれた小学低学年の男児が天狗のお面をかぶって舞い踊る。
 大祭当日、朝はまだどこやらで天狗の舞が続いている。十時になって本番がはじまる。八幡神社の前から大通りを突っ切って漁港まで、一キロあまりを恵比寿・大黒・二十四孝(にじひこ)の楽車(だんじり)が、互いにゴツンゴツンとぶつかり合いを繰り返して、町中総出の賑わいとなる。
 子供たちのほとんどはいずれかの楽車の手綱を引っ張って走り、親たちは自分の子の楽車を声をきわめて応援する。

 それが頂点に達した頃の昼過ぎから砂浜で当地の民謡『鯨踊り』がはじまる。いまも秋の大祭の大舞台で、これを目当てに周辺の町々からも見物客が押し寄せている。
 最近まで時おり沖合に鯨の潮吹きが見られた三輪崎のこと。若い(しゅ)たちが昔(もり)で鯨に向かった漁師の衣装で、にぎやかな笛や太鼓にあわせて歌い踊る。
 おはやし連中の歌にあわせて、十数人が輪になって踊る殿中(でんちゅう)踊り≠ニ、茣蓙(ござ)に座り、筒っぽを放り投げる格好で踊る(あや)踊り≠セ。どちらの歌詞にも、お伊勢さん≠ェ出てくる。

殿中(でんちゅう)踊り

 両手に日の丸の扇。鮮やかな鉢巻き・祭衣装のいで立ちで、笛と太鼓の囃子をバックに舞い踊る。

突いたや三輪崎組はサ (ハア三輪崎組はサ)
  親もとりそえ 子もそえて
     ………………
船は着いたや五ヶ所の浦にサ (ハア五ヶ所の浦にサ)
  いざや参らん 伊勢さまへ
  (ソリャ 一国二国三国一(いっこくにこくさんごくいち)ジャー)

(あや)踊り

 砂浜に敷いたござに並んで座る若い衆の姿は、片手に鯨を仕留めるモリに見立てたビーズ玉入りの筒っぽ(綾棒)を携えている。その踊り手たちが筒っぽを放り投げる格好をするごとに、ビーズ玉の音が輝いて響く。

    今日は吉日(きちにち)きぬた打つ (アヨーイヨイ)
    今日は吉日きぬた打つ

 お方出てみよ子もつれて (アーきぬた)
     ………………
伊勢のようだで吹く笛は (アヨーイヨイ)
伊勢のようだで吹く笛は
  響き渡るぞ宮川へ (ヨヨイエー)

4.万葉集の三輪崎、佐野

 万葉集は、仁徳天皇在位の五世紀前半(四〇〇年代)から淳仁(じゅんにん)天皇在位の八世紀半ば(七〇〇年代)まで、三百数十年にわたって歌われ、編纂されたわが国最古の歌集といわれる。二十巻、約四千五百首からなり、いまも様々な場で引き合いに出される歌が数多くあること、ご存知の通り。
 そのなかに和歌山県の新宮市三輪崎と佐野を詠んだ歌が数首あるとは、にわかに信じがたい。が、これ事実です。
 朝廷、すなわち当時の文化の中心が同じ近畿地方の京都だったとはいえ、また熊野三山信仰が同時代の公家に広がって、ついには「(あり)の熊野詣」とまでいわれるようになったとはいえだ。
 歴史が近世に下って江戸・明治時代には、熊野三山や高野山は紀伊山地の霊場として引き続き善男善女を引き寄せたが、紀伊半島南端の片隅にある漁村は、もはや彼らが一顧だにしない通りすがりだった……、と常識的にはいえそうだ。
 しかしあの万葉の時代には、紀伊山地のはるか北の都から熊野灘沿いの那智大社と新宮の速玉大社を行き来した歌人もいたらしく、その中に三輪崎・佐野という海辺の寒村に興味を抱いた幾ばくかの歌人がいて、だからこそこのような歌が残っているといえそうだ。

 三輪崎の西海岸で佐野と接するところに黒潮公園があり、年寄りの憩いの場、それに子供たちの遊び場となっている。
 その要所要所に万葉集の数首を含む歌碑が現れる。以下に八首紹介して、この項の終わりとする。

 
苦しくも ふりくる雨か神が崎
 狹野のわたりに家もあらなくに
長忌寸奥麿

神の崎 ありそも見えず浪たてぬ
 いづくゆゆかむ よき道はなしに
詠み人知らず

みわが崎 荒磯も見えずかかるてふ
 波よりまさる袖やうちなむ
民部卿為家

三輪が崎 夕汐させばむら千鳥
 佐野のわたりに声うつるなり
藤原実家

さみだれは 佐野の入江に水こえて
 出でぬ尾花や浪のうきくさ
慈鎮和尚(拾玉集)

 

やどもがな 佐野のわたりのさのみやや
ぬれてもゆかむ春雨の頃
源家長

わすれずよ 松の葉ごしに浪かけて
 夜ふかく出でし さのの月かげ
後鳥羽上皇

み熊野の 浦の浜木綿百重なす
 心は思へど 直逢はぬかも
柿本人麻呂
《参考》朗読: 19分35秒
総朗読時間 4時間19分14秒
第12章 逸話二つ、晩年 「海の男の一生」 おわり
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改訂、2022年4月
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