第10章 ヤスケラ踊り
1.五十過ぎて

 京蔵・くま夫婦の子供たち三人とも小学校に通う昭和二十五年(1950)頃の海浜の町である。
 和歌山県南の新宮市に属し、三輪崎・佐野・木ノ川の三地区をあわせて「三輪崎」と総称され、人口約四千人の集落だ。学校はその頃、三輪崎小学校と光洋中学校の二校になっていた。
 細目福耳のにこやかな顔立ちから、魚住京蔵が日頃人付き合いが不得手だとはとても想像できない。南洋の(なが)の生活で肌のどす黒さは並ではないが、本州南端に近い温暖の漁師町という土地柄もあり、色黒は特段異様ではない。

 人当たりはいいほうで、押しつけがましいところはない。が自ら進んで話すことが少ないゆえか、「何を考えてるのか分からん」とまでは言われないが、気楽な世間話の仲間にもなりづらい。
 どんな会合にも出ることはまれで、漁協の役員もすでに辞しているので、町内会以外は、よほどのことでないと顔を出さない。
 町内会でもよくくまを代行させている。昼間の会合はくまが、夜は京蔵が出るというように。夜くまが外出することには抵抗がある。なにかにつけて心配なのだ。

 もっぱら畑や田んぼを耕し、品種改良・耕地改良・肥料の研究には熱心で、新宮市役所の関係部署にはよく通っている。納得がいくまで気が休まらないのは海の生活と変わらない。知らずのめり込んでいる。

 魚住商店はくまにまかせている。客の応対は大の苦手だ。店にはめったに出ないが、ほったらかしにしているわけではない。酒、味噌・醤油や食料品の仕入れは、くまの差配で、京蔵が子供たちを手伝わせてリヤカーを引き、一山越えて新宮市街の問屋・醸造元を往復する。
 やはり海が京蔵のもっとも気の許せる場所だ。時間さえあれば、天気如何にかかわらず、水中鉄砲とぼっつり籠をたずさえて、てんま(伝馬船)の()をこいで沖に出たり、鈴島のぐるりを潜る。その都度本人のいう「まあまあ」の収獲はあり、子供たちは夕食が待ち遠しい。

 そんな人となりを町の関係者は承知している。
「ちょっと偏屈やけど、分からん人やないで」、とか言って好意的にも見られ、なんだかんだの役職や世話役を引き受けるよう話をもってきたこともあった。その都度くまが断り役で苦労した。
 そのうち何かと、
「京蔵サはあかんさかに(引き受けてくれないから)」ということになっている……。

2.PTA会長

 この四月に、娘の頼子が小学六年、京太が四年、京二が二年になるところだった。
 三輪崎小学校の父兄会(PTA)が難題を抱えている。来年度のPTA会長になり手がないのだ。現会長は子息の卒業ということで、退任せざるをえないし、副会長も同様で、役員にはめぼしい人物がいない。市議会議員の西完治をのぞいては。
 現会長と中村校長をはじめ、関係者一同が半年も前から物色するも、ふさわしいと思える人物は限られており、いずれも固辞している。
 西完治は当年四十五歳で、新宮市議を三期務めている。昔は代々「重治屋(じゅうじや)」という庄屋の、この町では珍しい、系図をたどれる家系の出だ。裕福なせいではなかろうが、何事につけギラギラしたところがない。
 三輪崎ではまだ中学(旧制新宮中学)へ行ったものは数えるほどしかなく、彼はその一人だ。それを表に出すことはないが、教養もあり弁もたつ。
 市役所の若手中枢だったが、ふところ深く正義漢であることを買われ、中学同窓の要請で市議に立候補し、上位当選を果たした。三期にわたって業績は市民が評価している。
 新宮中学時代に女学校との交流で知り合った妻との間に女児が二人で、この四月からそれぞれ三輪崎小学校の四年と三年になる。

 会長候補本命の西完治がついに条件付でおれた。引き受ける限りはしっかりやりたい。かといって現在の市議という職が妨げられてはならない。
 折衷案として、小学校時代の親友で、その信頼関係がいまも強く続いている佐納萬太が会長を引き受けてくれれば、副会長として最大役割を果たしたい。彼となら何かやれそうだ。佐納の説得は自分が先頭に立って努力しよう。

 佐納萬太は西完治と同じ四十五歳で、子供も長女は卒業だが、長男が小学三年だ。彼自身の学歴は尋常小学校どまりである。
 二十歳になってアラフラ海へ投じた。すでに兄二人がかの海で働いていた。萬太のすぐ下の妹がくまで、たまたま魚住京蔵がくまとの婚礼のために一時帰国し、アラフラ海へとんぼ返りしたとき、萬太はついて行くというかたちになった。
 十年足らずの南海の生活で得難い経験の一つは魚住京蔵との(きずな)だった。慣れるにつれて仕事は京蔵が気を許す存在になり、弁舌もけっこうさわやかで血の気もあった。
 三輪崎に帰って文房具店を起こす。(おい)が従業員として屋台骨を支え、田舎にしては品揃えが豊富で、三輪崎小・光洋中学の先生方にも喜ばれる店になっている。
 萬太自身は帰国して数年後に徴兵され、太平洋戦争終結まで戦地を転々する。少尉まで昇進し、サーベル姿で家族と収まった写真がいまも残っている。二階級特進の勲功があったとかで、少尉はこの地域では抜群の出世だった。

 佐納萬太の魚住京蔵への敬愛は帰国後も一貫している。戦後はちょくちょく京蔵宅を訪れて、酒を酌み交わす。語りは萬太の一方通行で、妹のくまがおおむね話し相手になり、義兄はほほえみを返すだけだが、萬太は満足だった。
 …………
 良き友の西完治が次期PTA会長の話をもってきて、後生お願いといつにない真剣なまなざしで拝み倒したとき、萬太の胸に魚住京蔵の細目(ほそめ)の笑顔が浮かんだ。
《すんなりいかないだろうが、名前だけ貸してほしいと頼み込んで、おれ達二人が副会長としてすべてを切り盛りすると誓ったら……》
 兄サが聞き入れてくれたら、その任期中に西君と二人でいい仕事をして、好意に報いよう。自分なりに兄サに万分の一の恩返しができるとすればこれしかない。三人で語り合い、兄サの生き方を子どもたちのこれからに活かそう。いい仕事はこのかたちでしかあり得ない。
 西完治に異論のあるはずはなかった。問題はまずもって、
「引き受けてくれないだろう」

 二人の事情説明とありったけの説得が続く。
「名前だけ貸してください。兄サがいてくれるだけでわしらの仕事の張り合いが全然違ってきます。わしらが子どもたちへの期待・希望を誠心誠意やってみます。見守ってください。話し相手になってください」
「これだけは兄サ、萬太の願いを叶えてください。兄サに迷惑をかけるようなことがあったら、わしが身をもって事に当たります。わしを試してください」
 ただにこやかに聞くだけだった京蔵が、しばらくして意外なことを言い出した。
「ニューギニアの村でヤスケラ踊りを踊ったのう。萬太も楽しかったやろ。わしは今もしっかり覚えたある。唄も踊りも。帰ってからちょっと小太鼓を作ってみた。納屋に大事にしまってある。あちらで衣装と一緒にもろた(もらった)のもあるし」
 京蔵がアラフラ海にいた頃、ニューギニア島にもちょくちょく接岸している。商取引の基地だ。
 数日滞在の間、当然のこととして島の住民との交流があった。彼らの現地語と京蔵たちの英語、相互に分かりあえるわけはないから、言葉の壁は避けられない。そこはそこ、それこそ裸のつきあいが助けとなって、どちらも別れを惜しむまでに打ち解けていった。

 住民は土俗のヤスケラ踊りを熱心に教え、京蔵たちは真剣に習った。まさにふんどし一丁で、槍を右手に、鈴の束らしきものを左手に、歌いながら足拍子で踊る。村祭りやら、何らかの催しがあると必ず披露されるのがヤスケラ踊りだ。その日は妻女たちが腕によりをかけてとっときの地料理が振る舞われる。
 いつの間にか京蔵たちも仲間として数えられ、これが彼らのこの島への立ち寄りを決定的に楽しみにした。とどのつまりが、京蔵たちの接岸ごとに、それを祝ってヤスケラ踊りの場が準備されるまでになった。
 だからアラフラ海の生活を経験した男たちが多い三輪崎では、どの会合でもこんな話がよく聞かれる。
「こっちでもいっぺんやってみたいのう」
 佐納萬太も自らの体験をとおして重々承知しているし、懐かしい。そんな背景があっての発言だった。
 ──
 兄サはそう言ってから息を継ぎ、しばらく間をおいて、
「萬太も完治サもよう考えてくれてるのう。わしも役に立てるならうれしい。学校にちょっとしか行ってないわしの名前でええのなら、どうぞ使ってください。ほんまになんにもできんけど、それでも良ければ。一つだけお願いやけど、学芸会かなんかのときに、昔の仲間でヤスケラ踊りを子供たちに見せたい」
 気を許す二人を前に、京蔵の願いが口を突いた。
『強くて優しい男の子。愛嬌といたわりのある女の子。三輪崎に生まれて良かったと思うような子どもたちになってほしい』
 昭和二十五年四月からの新年度PTA幹部は奇妙な構成となった。会長が魚住京蔵、副会長は佐納萬太と西完治の二人。

「京蔵サが? えんかいのう(大丈夫か)」
 誰しも心配し、そのとおりなのだが、「なるほど」とうなずかせる経緯をたどった。
 会合嫌いのあの京蔵が、出るべき席には必ず出る。これは副会長が二人とも期待していなかったサプライズだ。ただしあいさつひと言なりとも、しゃべることはない。ニコニコしてただ聞くだけで、応答や発言はすべて二人の副会長任せである。

 一方学校側。中村校長に代わって、新校長に岩野辺先生が就任した。二年間市街の丹鶴小学校で教頭の任にあって、優柔不断という評判を三輪崎でも知る人は知っていた。教育委員会が天下り的に決めてきた人事の匂いがする。新校長は昇進の喜びは人一倍としても、荷が重そうだ。
 うだつの上がらない太鼓持ちがようやっとたどり着いた頂点のようで、あとは無事定年あるのみ。口は出すが見識に乏しく、自慢話が多い。
「みなさんでお決めください」が口ぐせで、込み入った話になると知らぬ顔の半兵衛を決め込む。それを知る教師たちは何の期待もなく新校長の着任を受け入れた。
 ……新宮市には小中学校あわせて当時十数校あったが、教育委員会にとって、三輪崎小学校は外様といってよく、校長はもとより、教師・職員で出世コースを歩んでいるものが、喜んで赴任するポストではなかったようだ。
 そんな状況で、PTAの新体制は新校長にとって結果的にうれしい誤算となる。

3.学芸会

 学芸会が近づいた。児童が父兄に見せる例年の晴れ舞台に加えて、父兄が児童に見せる場も用意されているとか。こちらは村祭りとっておきの見せ場である若い(しゅ)の鯨踊り≠ナはなく、アラフラ帰りの親父たちがヤスケラ踊り≠見せるらしい。
 そのうわさで三輪崎の住民は、物見高く、期待と不安半々でその日を待っている。
「学芸会で、なんでや?」
「そうではなくてよ……」
 と言うほうもあいまいで、やはり
「子供の学芸会でなんでや?」、となる……。
「魚住京蔵サらPTAが言い出したらしいで。南洋にいたとき大事にしてくれた島の人たちの裸踊りやとう。いっぺん子供たちに見せたいそうや」
 父兄も教職員もそんな程度の理解だった。
 岩野辺校長は大いに戸惑うが、あからさまに異を唱えることもできず、
《教育委員会に何を言われるか。どのように弁解すべきか》
 一人心おだやかでなかった。

 当日、この余興見たさもあって、講堂は目いっぱいにふくれあがる。
 肝心の児童たちの出番でおかしな現象があった。児童たちは晴れがましく舞台に上がるのだが、開始早々から会場には変な熱気がただよって、彼らの声が十分に客席後部まで届かない。タイミングのいい拍手をもらえないでべそをかく子供も出る始末。PTAと先生方がこわばった表情で、
「お静かに!」
 を繰り返して、なんとか様になる。が、これは来年への反省点にしなければと先生方もPTAも自覚した。
 学芸会前半の取りはそのヤスケラ踊り≠セ。
 舞台が明るくなると、一方の袖に並んだおはやしが笛と太鼓を奏ではじめる。笛は散髪屋の辻虎ノ助、太鼓は芳栄丸の芝池芳松が仕切っている。鯨踊りのおはやし常連だ。
 そのにぎやかな前奏にあわせてもう一方の袖から、真っ黒けの裸の男たちが一列で舞台に現れる。
 全身に墨を塗りたくった、越中ふんどし姿の親父たち十人だ。てれてはいない。誇らしげである。
 腰の周りに飾りをぶら下げ、手首と足首には数珠まがいのもの、右手は槍に見立てた竹の棒、左手は巫女さんが使うような鈴が見える。
 竹の棒でトントンとリズム正しく床をならし、左手で握った鈴の柄を打ち振って、リンリンジャラジャラ、にぎやかす。佐納萬太を筆頭に、魚住京蔵、アラフラ仲間、……西完治もいる。
 全員が出そろったところで、客席に向かって並び、手拍子足拍子をとりながら、ニューギニア島で歌い慣れた祭りの民謡「ヤスケラ踊り」を声張り上げて歌いはじめる。

よ〜い、よい
トントン、トトトン、トトーン、トントン
オエヤーオエヤー、オエオエヤー(ほい)
  ヤスケラノ〜オ、マルワマンタラノ〜エ
  カイガラビスケトッパイカ〜、トッパラピッカノ〜エ
オエヤーオエヤー、オエオエヤー(ほい)
 …………
 竹の棒のトントン、足拍子のドンドン、鈴のリンリンジャラジャラ、そして舞台袖の鳴り物がもり立てる。
 もちろん見せたい相手は決まっている。見物席前列に陣取る子供たちだ。みんな身を乗り出してはしゃいでいる。ワイワイガヤガヤ。後列の父兄や一般客も手拍子と歓声で踊りを盛り上げる。
 西完治の踊りも堂に入ったものだ。アラフラ海未経験ながらも、親友佐納萬太手ずからの特訓がきいたか、真っ黒に塗りたくった顔で結構楽しんでいる。
 振り付けは魚住京蔵指導の下に、おかみさんたちが顔を赤らめながら旦那たちの晴れ姿を手伝った。
 夫の満足そうな笑顔を見つめるくまの胸中に何がダブっているのだろうか。周囲の大爆笑の中で、目頭を押さえている。
 萬太もこのときばかりはわが物顔だ。京蔵の脇腹をこづいて、「兄サ、見やんせ! うれしのう! よかったのう!」
 ──数日もすると、息子の京太が学校のうわさをうれしそうにくまに話した。
「みんな習いたがってる!」

 ヤスケラ踊りはこれを皮切りに毎年の学芸会を賑わせることになり、評判を聞き知った市役所の要請で、市民祭りの一環として、市公会堂の舞台を飾ることにもなった。
 インテリ市議の西完治が踊り手の一人と知ったときの市民の驚きは相当なもので、新聞記事にもなり、しばらく市のほほえましい笑いネタになった。
 おかげで学芸会に限らずPTAの企画は市の教育委員会にも好意的に理解され、三輪崎小学校は教員・職員にとってもマイナス・イメージではなくなった。岩野辺校長には定年の思わぬ置きみやげになった。

 京蔵は長男・京太が卒業するまでの三年間、PTA会長を続けた。佐納萬太と西完治がいわば車の両輪となって、思う存分楽しく補佐した。
 運動会の親子対抗、授業参観でのクイズ合戦……、児童の素朴な意見を教師がPTAに伝え、父兄も一緒になってより愉快な遊びに仕立て上げる。いくつかそんな新趣向も飛び出した。
 萬太が名前だけの会長に代わって矢面に立つことは一度もなく、西完治にとって場違いな京蔵兄サとの裸のつきあいは自身をもう一つ大きくしたようだった。

第10章朗読: 29分01秒
第9章 大鯉を突く 第11章 神父がやって来た
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