第8章 全快
1.帰る

 昭和二十一年(1946)暮、炭鉱で受けた病も終戦によって命拾いし、早々に故郷に帰された。新宮市街の病院生活が始まるのだが、……。
 彼にとっては、これが退屈この上なかった。医師の許しを得ぬまま一ヶ月で退院して三輪崎のわが家に帰り、愛妻の熱心な看病を受けることになる。

 海が見える二階のベッドは、空気はうまいし、風が潮の香を運んできて、大いなる安らぎを与えてくれる。裸一貫に逆戻りだが、夫婦には子宝がある。頼子、京太、京二だ。三年見ぬ間に、三人とも成長著しい。
 子供たちはお父ちゃんが帰ったことを喜んではしゃいだ。貧しくとも平穏な生活が訪れた。
 妻のくまは店と子供たちの世話をお手伝いの早苗にまかせて、畑に出る。京蔵の姪にあたる早苗は一児をもつ寡婦で、昼前から夕暮れまで、魚住商店の手助けをしている。

 海男がじっとしていられるはずはない。寝間から出ては、三輪崎から佐野にかけて、海岸の砂浜を歩く。細い竹の棒っ切れを携えて、亀の産卵場所を(つつ)いて探すのだ。京蔵の歩く浪打ち際に近い地中でふ化を待つ将来の亀たちは不運この上ない。天敵によって卵のうちに次々と掘り出されてしまう。
 京蔵にとっては、アラフラ海の木曜島で亀の卵が重要な栄養源だった。帰ってからもそうだ。が、こちらの魚屋には、亀の肉はあるが、卵が並んでない場合が多い。砂浜の卵は、天敵の生けにえに供される運命にあったのだ。
 めったやたらに乱獲するわけではない。自分と家族が満足する分量で切り上げる。京蔵は自然の恵みを知っていた。

 亀の卵と肉が京蔵を蘇生させた。
 ピンポン玉大でふにゃふにゃの卵は砂箱に入れて保管し、朝と昼に四個か五個、温かい麦飯に醤油少々でかき混ぜる。くまや子供たちにも好物だ。
 困ったことには、砂箱に残った卵は三、四日たつと白身に亀の子の形ができ、一週間もすると小亀が軟らかい殻を破って這い出る。京蔵は、かまわずむしゃむしゃ食べた。
 肉はもっと京蔵の好物だ。すき焼きに煮て、畑の野菜をたっぷり入れて食べる。子供たちも味を覚えて、父と食べっこした。
 …………
 世のやくざやつわ者は、絶品のうまさを知りつつ、亀の肉を敬遠したようだ。隠れた性病、とくに梅毒は、どれだけ体内奥にあろうとも、この肉が体に入れば、白日の下にさらけ出される……、その心配のあまりである。

2.元の生活に戻る

 そんな独特の生活が、病院の診断をはるかにしのいで京蔵を回復させた。
 半年もたたぬうちに海に出て潜りはじめる。くまの心配をよそに鈴島のぐるりや沖に出て獲物を追う道楽を再開したのだった。

 水中鉄砲を携えて、越中ふんどしで漁港のすぐそこに浮かぶ鈴島のぐるりを遊泳する。
 しばらく潜って帰る頃は、ぼっつり籠に獲物がたんと入っている。戦後の厳しい生活の中で、夕食を彩るとともに、隣り近所や佐納家の喜びようは、いつぞやの頃と変わらない。京蔵は以前の気ままな生活に戻っていた。
 海男の縄張りは小島のぐるりだけではない。ひとり伝馬船(てんま)に乗り、()を漕いで沖に出ることも多い。タイ、キハダマグロ、カツオ……、漁場と見ると潜って確かめる。漁師が一本釣りや網で捕獲する魚を手製水中鉄砲で仕留めては、小脇に抱えて浮かび上がり、小舟に放りあげた。

3.水中鉄砲の話

 工夫居士(くふうこじ)の京蔵は、アラフラ海時代から今まで、道具改良をはじめ生活全てにおいて現状の不自由やちょっとしたことを見過ごすことができない。
 改良・改善の中にはいくつかの発明を含む。ほとんどを自然伝播にまかせてわれ関せずで、本人も自らの発明を忘れ去っているが、そのうち水中鉄砲は特筆に値する。
 ここでは、新聞各紙が伝えた『漁師が飛び道具の水中銃を発明』のいきさつにふれる。

 アラフラ海から帰った頃、やっと三輪崎に落ち着いて海を目の前にし、磯魚や近海魚を思い浮かべ、釣り上げるのではなく、潜って捕獲する手立ては。
 工夫居士の頭にいとも簡単にイメージが浮かんだ。鯨捕りの捕鯨砲≠セ。大砲ではあるが、砲弾の銛(モリ)は行きっぱなしではない。
 部屋に座ると、即座に方眼紙を取り出す。いつも使っている七つ道具だ。それに色鉛筆、三角定規でイメージを丹念に描いていく。こんなときの京蔵はまるで自由気ままな別世界にいるようで、何ものも受け付けない。お茶を出すことすら嫌う。
 イメージが紙の上にできあがると、次は部品の材料とその調達だ。それぞれのところに考えを注書きする。
 大砲の役割を担うのが芯棒となる細竹で、頑丈かつ真っすぐでなければならない。が、近くの竹やぶで調達できそうだ。
 銛先(もりさき)となるのが、京蔵の云うチョッキリ≠セ。その金属片の造形は、同い年で鍛冶屋の浦田清六が相談相手になる。互いに無口の清六と京蔵が幼少時から仲良しとは面白い。
 勝手知ったる(ふいご)の仕事場を借りて作業にかかる。親方の清六も方眼紙の部品図と自転車やリヤカーのクズを両にらみしながらにわか弟子に教える。
 (つる)の役目を果たす肝心のゴム(ひも)だが、新宮の雑貨店で手頃なのを見つけた。適当な長さに切って使えばよい。

 これら一つ一つのかみ合わせ具合も鍛冶屋の親方が手に取って、
「こんなように」
 弟子は幼友達の指先・手つきを細目でじっと見つめて、
「そうやのう」といちいち納得する。二人とも少年時代に戻っている。
 これを思いどおりのものに完成させるこまめな細工は、人一倍得意で手慣れたものだから何の苦労もない。本体を数挺、その五倍のチョッキリ、とりあえずはこれでまかなえる。

 海中での飛び道具としては当時画期的な発明といってよく、魚たちにはさぞ迷惑だったろう。好んで殺生するわけではないが、かなり間引きされる羽目になった。
 このこと、どう伝わったのか、海外で報道されたこともあって、国際特許申請の話が国内外から何件も京蔵のもとに来たという。が、こういうことは彼の性にあわない。
「わがらだけええ目したない(独り占めしたくない)」
 と、彼は一切かかわらなかった。
 彼の発明品は他にもいくつかある。海布(め)刈り機もその一つだ。

第8章朗読: 12分04秒
第7章 炭鉱の話 第9章 大鯉を突く
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