第7章 炭鉱の話

1.炭鉱の町

 平成十八年(2006)になって、九州福岡県に嘉麻市(かまし)という新しい市ができた。山田市と嘉穂郡の稲築町・碓井町・嘉穂町が合併したものだ。県ほぼ中央の小盆地に位置し、福岡市から東へ五十キロほどで、飯塚市や田川市に近い。
 人口約四万三千人(2010年6月現在)で、市の名は以前郡名だった「嘉麻郡」に因んでいる。その中の旧山田市がこれからの話の舞台になる。

 …………
 魚住京蔵が太平洋戦争さ中の昭和十八年(1943)正月、自ら進んで勤労報国隊の一員となり同地に投じたときは、山田町だった。
 京蔵がそこに至るいきさつは、……。

2.炭鉱へ

 長い海上生活での過労のため、意に反し兵役がかなわなかった魚住京蔵は、勤労報国隊に志願する。昭和十七年(1942)、四十二歳だった。
 今度も医師の診断はかんばしくなかった。「内臓疾患、(えき)不適(あたわず))」
 これは京蔵が一応予想していたことであり、それで引き下がるはずはない。テコでも動かぬゴリ押しで、「まあいいでしょう」ということになった。
 逆はあっても、珍しい。報国隊への動員指令は、市町村単位で人数割り当てされており、町役場としては願ってもないことだった。
「京蔵サにはかなわん」
 半ばあきれ顔で受け入れられた。
 とばっちりで迷惑したのは同年輩の男たちだ。やむなく京蔵に続かざるをえぬ者も出、一気に三輪崎はノルマ達成で、町役員は胸を撫でた。
 その間町民は、公報や役場の掲示板を通じて、金品供出を周知させられていた。が、蛇の道は蛇、抜け道は町民の数だけあった。ときどき戸別検査で家捜しのまねはされたが、捜す側も清くはない。適当に帳尻をあわせたかたちですまされた。
 京蔵は徹底していた。町役員にはありがた迷惑でもあるが、アラフラ海で汗して稼いだ金品を手当たり次第に供出して、残るはくまとわが身、それに幼い子供三人だけになった。
「おまはま、そこまでせんでもええのに。『アホやのう』といわれながら、洗いざらい出してしもて」
 くまはあきらめ顔で愚痴をこぼす。十年連れ添って、夫の気性は身にしみているが、やはり女だ。……くまは真珠の結婚指輪だけ隠していた。知ってか知らずか、夫は見逃した。
 京蔵の行き先は九州福岡の山田炭鉱に決まる。炭鉱はどことも劣悪な坑内の環境と重労働が(ちまた)でうわさされており、生きて帰れるとは本人も思っていなかった。
 くまとは簡単に水盃(みずさかずき)し、「お国のためになるように、立派に育ててくれよ」と、子供たちを託して九州へ向かう。

3.炭鉱夫

 福岡県山田炭鉱は、坑道口が二十近くあった。
 着いた翌日から坑内に入る。「石炭の一塊は一敵を倒す」。不衛生な坑内の各所に貼り紙があり、勤労意欲を鼓舞していた。作業が並大抵でないことはいうまでもない。
 京蔵には何ほどの苦痛もなかった。アラフラ海の日々に比べれば、たいした労働ではない。掘り進めばいいのだ。要領を得るとともに、持ち前の研究心で、(のみ)・トンカチの格好から使い方まで工夫した。それは仲間に伝播(でんぱ)して、使い勝手のよさや能率向上で、幹部の知るところとなる。自らは何の手立てもできず、考えあぐねていた彼らにとっては、降ってわいた朗報だった。
 
 能率担当の小隊長が部下二人を伴って、サーベルをゆらしながら坑内現場に下りてくる。白髪まじりの分厚いあごひげ、福々しい丸顔、太鼓腹、五十代半ばだろう、堂々たる恰幅(かっぷく)だ。耐乏生活を強いられているこの状況下でも、やせるすべを知らない体躯だ。
 案内役の現場責任者が緊張気味に声をかける。
「魚住さん、小隊長が道具のことでお聞きしたいそうです」
 京蔵はそれと気づいて手を止める。次いで帽子をとって、額の汗を拭いながら来訪者に目をやる。
 小隊長は作業者が格式張ったことに不得手であることをすぐに察し、相手の礼を待たず、「松永じゃが」と、気軽に話しかける。
 ぴょこんとお辞儀する京蔵に、
「オマエのことは聞いているぞ。よう働いてくれとるようじゃな」
 福々しい顔をくずしてそう言いながら、曇った丸メガネをゆっくり拭く。
 立ち上がって姿勢を正そうとする京蔵を手で制して、
「座ったほうが楽じゃろ」と、自分も横にしゃがむ。
「ちょっとつきあってくれんかのう」と前置きしてから、
「道具じゃが、オマエが自分で考えたのか」
 京蔵も普段の自分に戻ったようだ。もう一度スローモーに汗を拭きながら、細い眼の焦点を小隊長にあわせて答える。
「まあ、……そうであります」
 小隊長も、こちらは友好的にメガネの眼を細めて続ける。
「で、『まあ』はいいとしてじゃ。改良したのは、ここにあるこれとこれと……」
 と指さして、
(のみ)金槌(かなづち)、それに金鋤(かねすき)(スコップ)じゃな? それでいいのか?」
 京蔵の目も小隊長の人差し指を追って、
「……そんなとこ、であります」
 きまじめな作業員とらい落そうな上長の対話は少し間延びしている。部下たちと他に何人かが、後ろで二人に見入っている。
「『そんなとこ』はいいとしてじゃ。どこをどのように変えたら、どうなったのか。わしにも分かるように教えてくれんか」
 小隊長は押しつけがましくなく、茶飲み話をしているような話しっぷりだ。相手に余分な緊張を与えないようにとの配慮もあるのだろう。
 京蔵は変わらず、朴訥に返答する。道具をいちいち手にとって、
「のみも金づちもかねすきも、握るところを指の恰好にあうようにしただけであります。のみの握りには(きれ)をあてるようにしました。こんなふうに……」
 小隊長は言われたとおりにそれぞれを手に持って二度うなずく。京蔵はのみを持ちなおして、
「金づちの当たるのみの尻は倍くらいの大きさにしてみました。ちゃんと当たるようにであります」
「ふ〜ん」
 小隊長も気づいたことがあるらしく、
「当たり損ねてけがをしたものもいたなあ。ちょっとしたことでも能率を下げてはいかん」
 と、もっともらしい相づちをする。次いで、
「それだけか?」
 もっと訊きたそうだ。
 京蔵はいつもの癖で、目をしばたかせる。
「そんなとこですが……、かねすきの先っぽを掘りやすいようにちょっと変えてみました。それに」
 と、しわがれ声を少し強めて、
「終わったらちゃんと洗って、きれいに拭くことが肝心であります。のみも金づちもですが……。さびたらあかん」
 きまじめ男は当たり前のことを言っただけだが、そのきっぱりした言い分に、丸メガネ・しもぶくれの小隊長は、豆鉄砲を食った鳩のように目を点にして、ぽかんと口を開ける。われに返って福々しい顔に戻り、あごひげをなでながら、
「ふ〜ん」
 ばつ悪そうにもう一度相づちする。そして、
「オマエはおもろい男だのう。よろしく頼んだぞ」
 京蔵は何事もなかったように作業に戻り、ひげ自慢の小隊長は上機嫌で現場をあとにする。
 …………
 二人の話は早速幹部会議で披露され、炭鉱全体の道具仕様が変わることになった。
 
 京蔵は無駄口を好まない。にこやかで愛想は悪くないが、だれとでも長話をすることはない。冗談まがいの軽口さえ言いあう相手がいないのは当然といってよい。
 昼食のとき以外は黙々と作業に精を出している。それが京蔵の普段であって、他にやりようがない。
 この変わり者がいないところでは、だれともなく手を休めて冗談が行き交うこともある。サボるわけではないが、多少は気がゆるむ。どの持ち場でもときには賑やかだ。
 それですめばいいのだが、はてはいざこざも起きる。互いに引っ込みのつかないいさかいになると厄介だ。幹部に知れるとそれなりの罰を受ける。能率本位の幹部は好んでそうするわけではないが、統率上やむを得ない。
 そんなこんなで、巡り巡って京蔵に相談が持ち込まれる、そんなときがある。なんら強さを誇示するでもないだんまりがなぜ仲裁に引っ張り出されるのか。いつぞやの道具の工夫の話で、人柄が知れていることにもよるか。上に漏れないようにとの残された知恵の一つだろうが、奇妙な成り行きだ。
 彼は双方の言い分を聞くでもなく、説得するでもなく……、ただ現場に連れて行かれるだけだ。
 うわさのおもろい男≠ェ汗を拭きながら細目をしばたかせて現れると、いさかいの双方とも「またあいつか」と、しらけた顔で自ら治まってしまう。彼らにとって京蔵は、作業の段取りややり方で文句のいいようがない一方、こういうことではうさんくさい存在でもある。
 一度だけこんなことがあった。一人が目を血走らせて刃物ですごもうとしたとき、とっさに京蔵が無言のまま素手でそれをもぎ取った瞬間は、仲間たちの度肝を抜いた。そのときの彼のいつにない目つきと、すぐあとの涼しい顔も、彼らは簡単に忘れ去らなかった。

4.生き延びる

 山田炭鉱に身を投じて三年後、京蔵は血痰(けったん)を吐く。気にせず内緒にするが、そんな状態が数日続いたあと、ドバッと血が吹き出て、持ち場も道具もよごす。こればかりは隠しようがなかった。坑内が騒いで、簡易病棟に運ばれる。何日もせず、制止を振り切って現場復帰する。「同じ死ぬなら現場で」だった。
 吐血(とけつ)は引きもきらずだが、炭鉱側も採炭ノルマにかまけて見てみぬふりをする。京蔵はやせ細った体で、最後の力を振り絞る。
 終戦が彼を死から救った。
 京蔵の働きぶりと気性を知る幹部や同僚たちの計らいで、渋る本人を強制的に和歌山県の故郷へ早期送還とした。更なる迷惑に照らして、応じざるを得なかった。
 昭和二十一年(1946)暮、京蔵四十六歳だった。
第7章朗読: 17分59秒
第6章 紀元二千六百年 第8章 全快
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