第9章 大鯉を突く
1.姪っ子の病
 炭鉱から帰って二年、昭和二十三年(1948)の夏真っ盛りに、京蔵がちょっと世間を驚かせた。
 彼の弟で三男の竹蔵夫婦は一人娘の難病に悩まされていた。小学六年の博子ちゃんが梅雨の頃はしかにかかり、それは直ったのだが余病を併発した。町の老医は「肺炎」として処方するが、快方に向かうどころか、嘔吐と下痢がひどく、衰弱しきってきた。命にかかわるかもしれない。
 老医は新宮の病院とも連絡を取り、単なる肺炎でないことが認められたが、相応の治療法となると病院側も適切なアドバイスを持ちあわせていないようだ。思い当たる限りの施薬をし、栄養剤の点滴で様子を見ているというのが実情である。
 京蔵兄サが見舞っているとき、先生が医者には似つかわしくないことをつぶやいた。
大鯉(おおごい)の目の生き血がこういう病気を救ったと、中国の昔話にはあるんですがね……」
 手の施しようがないとは言えない胸の内がチラリとほころびたのだろう。
 一方、新宮では毎年秋に熊野速玉大社の御船(みふね)祭りが行われるが、その大舞台となる熊野川に浮かぶ御船島の川上に鯉の主が棲むという、もっともらしいうわさがこの地方にある。地元の民話にも顔を出す。一メートルを超える鯉が数匹いて、川底で、そんな父さん鯉を先頭に、子や赤ちゃん鯉が連なって泳いでいるとか。
 正体を調べようと、ときおりその辺に(いかり)を下ろして釣り糸をたれたり、潜ったりするものもいたようだが、そんな鯉にはお目にかかっていない。居場所もあてずっぽうだし、川底はとても深いから、潜っても何の心当たりもないまま途中で息が上がってしまうことにもよるかもしれない。

2.熊野川に大鯉?

 老医の頭にそんな妄想があったかどうか、またそれを知ってか知らずか、アラフラ海の経験もある父の竹蔵はうなずきながら先生の話を聞き流した。素潜りはさほど得意でないから、そこまで考えが及ばなかったのかもしれない。

 兄サは少し違った。先生の言う「大鯉の目の生き血」が博子ちゃんを救うだろうことは信じる。が、御船島の近くにそんな大鯉が棲んでいるかどうかだ。半信半疑としても、こういううわさや民話をこの際全くのおとぎ話として片付けてしまいたくない。
 しわがれ声で「そうかいのお」と言いながら、何かを決意したようだった。
 …………
 京蔵兄サは家に立ち寄ってから、水中鉄砲を携えてバスで新宮市街へ行き、市役所を訪れた。
「熊野川の鯉についてちょっと話があるのですが……」
 応対者は一瞬キョトンとするが、われに返って資源・環境課の三浦係長に話を継ぐ。
 係長は男っぽい三十代で、変わった話がお好きのようだ。年齢(とし)に似合わず、頭のてっぺんが薄めの顔はえらそうではない。気さくに京蔵を応接室に通し、部下二人を伴ってテーブルを囲む。後ろに立てかけた水中鉄砲に三人とも興味深げに注目する。彼らには初めてのお目見えなのだろう。
 それにかまわず京蔵が、とつとつと切り出す。(おおむ)ねこんな話だ。
 親戚の娘が難病で生死をさまよっている。医者は万策尽きたようで、中国の民話にある大鯉の話をした。大鯉の目の生き血が娘を救ってくれるかもしれない。
 熊野川・御船島の川上にそんな鯉が棲んでいるといううわさがある。無益な殺生は好まないが、もし一メートル以上のが見つかれば、この水中鉄砲で一匹だけ仕留めたい。猶予が許されない状態なので、急ぎ市の許可を得ようとお邪魔した。
 ときどき質問をはさみながらしわがれ声の話を聞き終えて、三浦係長はニコッとうなずき、京蔵に余分な手間をとらせなかった。別の何かもひらめいたようだ。
「環境を破壊したり、乱獲等、市の迷惑になるような身勝手は許されませんが、市として本件は問題ないと思います。私が責任を負います」
 続けて、
「もしもですが……、一メートル以上のが見つかれば、一匹のみ殺生を許すことにしましょう。血と肉はご自由にお任せしますが、骨格はできる限りありのままで市に提供してください。何らかのかたちで保存したいですから。それで了解いただければ、市が小船を調達して貸し与えることにしましょう。どんなことになるか、市としても貴重ですから」

 翌々日、京蔵は市の用意した手こぎの小船に乗って、目星をつけたところを潜って調べる。次の日も繰り返す。その日は帰りがけ市役所に立ち寄って、「明日決行」を告げる。
 博子ちゃんを見舞って四日後がその日となった。

3.大鯉!

 朝起きると水中鉄砲を念入りに点検する。チョッキリ(銛先(もりさき))も念のために三個スペアとした。ぼっつり籠の代わりに今回は網袋をたずさえている。
 妻のくまを竹蔵宅に走らせ、「夕方には鯉の生き血を届けたい」と伝えさせた。
 昼前市役所に行くと、三浦係長が開襟シャツで待っていて激励した。本日に限って市側は、よければ船頭役を一人つけるという。京蔵には願ってもないことだ。
 入道雲が浮かびそよ風も生暖かい昼過ぎ、小船は川原からこぎ出して、御船島上流百メートルのところまで上る。そこで京蔵の指図に従い、ベテラン船頭は真横へ舳先(へさき)を向けて静かに進み、見当をつけている位置からかなり離れた新宮寄りで碇を下ろす。熊野川の(ぬし)たちに余分な警戒をさせたくない。
 素潜りの京蔵は越中ふんどしで、顔は水中メガネをつけている。右手に水中鉄砲を握って水音を立てずに船を離れる。船頭は「気をつけて」、とささやく。船は流れにまかせて小揺れしている。
 京蔵は少なくとも五分は潜っておれる。アラフラ海の賜物だ。
 二度じっくり水面はるか下のその場所を確かめる。いる! 何匹も! 目星をつけたのがそこにいる! 昨日と同じように。
 状況をしっかり頭にたたみこんで水面に上がり、息を十分に整える。三度目、水中鉄砲を引き絞って川底へ深く潜る。
 その大鯉が思ったところを悠然と行き過ぎようとする。満を持して先っぽにチョッキリを付けた細竹の水中鉄砲が手を離れて飛び出す。狙いたがわず(えら)深く突き刺さる。
 獲物は瞬間尾びれを一振り二振りして息絶えた。海で鍛え上げた狙撃手は、川底の主を引き寄せて抱え、素早く水面に浮かび上がる。
 
 小船が川原に着くと、三浦係長が十数人を従えて待っていた。真っ先に船に近づき、大鯉の予想をはるかに超える大きさに目を丸くして棒立ちする。
「おおきにです! お疲れ様でした」
 そう叫ぶのが精一杯だ。笑顔を忘れ緊張したまま、横たわる大鯉をまじまじと見つめている。
 料理の匠らしき男が一秒でも遅れてはならじと、手伝いと一緒に駆け寄って、手際よく目玉にメスのような包丁を差し入れて「鯉の生き血」をサーッとビンに流し込む。
 大の男が二人来て、大鯉の尾びれをてんびん棒に結んで担ぎ上げる。鯉は頭を下にして直立になる。写真班が子供二人を両側に立たせて、何回もシャッターを押す。
「一メートル五十八センチです」
 測定班が大声で告げる。
「一メートルと五十八センチですね」
 と三浦係長が声高く繰り返す。当然ながら子供たちの背丈を上回っていた。
 …………
 翌日の朝刊は三大新聞も社会面と地方欄で伝えた。京蔵の内輪の事情にはさらりと触れて、うわさに違わず巨大な鯉が何匹もいたらしいということ、その一匹を仕留めた飛び道具の水中鉄砲が魚住京蔵氏(四十八歳)の発明だったとして。
 
 三輪崎の魚住竹蔵宅では、老医先生立ち会いのもとに、博子ちゃんは泣きじゃくりながらも、目をつぶって無理やり大鯉の生き血を飲み干した。翌日からみるみる元気になっていく。中国の民話の正しいことがここでも証明された。
 大鯉の骨格は元のままで新宮中学に運ばれ、生物室へ直行。校長には三浦係長がもったいぶって説明した。
 新宮の名だたる料理屋では、食通たちが大鯉の洗いに舌鼓しようと待ち受けた。が、彼らの大いなる期待は裏切られた。(あぶら)の乗りきった肉は舌鼓どころか食用には全く不向きだった。鯉こくにすらならず、食通たちは観念するしかなかった。
 
 京蔵は翌朝くまとかしこまって仏壇に線香をあげ、大鯉に感謝し供養した。
 京蔵の子たちは町のうわさで十分に知らされており、父にもっと教えてとせがんだが、「あの鯉が博子ちゃんを救ってくれるように、お前たちも祈りなさい」と言って、それ以上は話そうとしなかった。
第9章朗読: 15分56秒
第8章 全快 第10章 ヤスケラ踊り
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