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夫婦岩──昔、伊勢神宮参拝時には、ここが身を清めるみそぎ場だった。35m隔てた高さ9mの男岩と4mの女岩がしめ縄で結ばれ、沖に沈む興玉神石の鳥居の役を果たしている。(Club
Tourism Guide Book) |
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9.伊勢・二見浦 (8月29日) |
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前夜は旅行社自慢の「伊勢志摩ロイヤルホテル」に宿泊した。
客室、部屋からの海景色、大浴場と露天風呂、夕食・朝食……、ずいぶん立派なホテルだった。
夕食の「鰹のてこね寿し風」が美味だった。この辺の名物料理ということで、翌日、伊勢神宮近くの「おはらい町」での昼食も、同じ「鰹のてこね寿し風」だったが、比較するものではなかった。 |
(jalan.netより転載) |
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9時にホテルを出発して二見浦へ。前夜に一雨あって涼しくなった。今日も雨もよいの空……。結果的にほとんど降らずにすんだが。
夫婦岩を知らぬ人はいないだろうが、ここが「二見興玉(おきたま)神社」であるとか、「二見蛙」の謂われなど、知るよしもなかった。それぞれの項で説明する。(朗読では割愛) |
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百度参りについて |
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二見蛙について |
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二見浦、他の写真 |
二見興玉神社の説明 |
前日(8月28日)宿泊の伊勢志摩ロイヤルホテル |
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二見浦から伊勢神宮への途中、真珠センターへ寄った。妻は娘たちになにか買ったようだ。 |
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松尾芭蕉の「おくのほそ道」は、元禄二年(1689)春に江戸深川・芭蕉庵を発って、北は平泉まで行き、山形の山寺や出羽三山を巡って、最上川・酒田で日本海側に出る。
秋田・山形・新潟・富山・石川・福井を経て、岐阜の大垣で「文」を終えている。このように。 |
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……馬の背に助けられて、大垣の町にはいると、曽良も伊勢から来て一緒になり、越人も馬を走らせてきて、如行の家にみんな集まった。……長旅の疲れからくる重い気分がまだぬけきらないうちに、九月六日になったので、伊勢の御遷宮を拝もうと、また舟に乗って旅立つに際し、 |
蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行く秋ぞ |
(蛤の蓋(ふた)と身がわかれるように、
親しい人々と別れて、私は今伊勢の
二見浦の方へ行こうとしている。
おりから季節も秋の終わりでさびしさが
いっそう身にしみて感ぜられる。) |
麻生磯次訳(旺文社文庫) |
この句の裏には次の西行の歌があった、と麻生磯次氏はいう。(芭蕉物語、新潮社) |
今ぞ知る二見浦の蛤の
貝合せとて覆ふなりけり |
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そのあとの話。
元禄二年は、21年ごとに行われる伊勢神宮の遷宮の年にあたり、内宮は9月10日、外宮は同13日になっていた。
芭蕉はぜひそれを拝みたいと思い、曽良と路通を伴って大垣を発った。
「拙者も寛々(ゆるゆる)遷宮参拝、大悦に存候」(木因宛ての手紙)、と宿願を果たしたことを喜んでいる。
ただし12日到着のため、「内宮は事納まりて、外宮の遷宮拝み侍りて」と、内宮の遷宮には間に合わなかったようだ。 |
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ぼくたちのお伊勢さん詣りは次章にて。 |
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朗読(4:53) on |
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