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1.あらまし |
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父母の墓参目的で、頃合いのツアーを申し込んでいた。
「本州最南端の潮岬と熊野古道、爽やかローカル列車の旅」。8月27日(月)から3泊4日の旅。
途中2日目は、高野山を発って、午後、本宮大社から速玉大社と那智大社に立ち寄り、勝浦温泉泊。この間の速玉大社と那智大社をスキップすると、近在の両親の墓(新宮市三輪崎)に参ることができる。その旨H旅行社に許可を取っていた。
出発まで1ヶ月を切った頃、H社から「不成立につき中止」の連絡があり、代替の勧誘が添えられていた。それが今回の旅だ。 |
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「海と山の【世界遺産】熊野古道ウォークと
美しき紀伊半島、ベストハイライト4日間」
(2007年8月26日-29日) |
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旅より旅の名のほうが長そうだ。
東京・名古屋の往復は、新幹線「こだま」を利用。名古屋から奈良を経由して、紀伊半島、志摩半島を巡る道中はバスとウォーキング。
この旅も、2日目、本宮大社の次に立ち寄る「速玉大社」のところで別行動が許されれば、墓参がかなう。その旨了解を得て、ツアー参加を決めた。 |
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8月26日、4時前に目覚ましで起床。28℃、風なし、蒸し暑い。
4時45分出発。まだ暗い。15分間、街路灯に見送られながらJR新浦安駅まで歩く。
6時5分、東京駅日本橋口の集合場所着。既に大半が受付をすませていた。 |
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6:56新幹線「こだま」に乗って、名古屋着8:46。
三重交通観光バスに乗り換えて、一路奈良公園へ。
途中伊賀上野のドライブインで昼食。松尾芭蕉のふる里だ。何かゆかりのものをと探したが、その名を冠したのは「芭蕉もち」だけだった。 |
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(参考) 芭蕉の句 |
元禄二年(1689)、「おくのほそ道」行脚のあと、芭蕉は、二十一年に一度という伊勢神宮の遷宮を見物し、故郷伊賀上野に向かった。途中、長野峠で突然、この冬初めての時雨が降ってきた。峠は樹木に覆われていたが、ふと見ると樹の枝に猿がしょんぼりうずくまっている。その時の句。 |
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 |
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1時過ぎには奈良公園に着いた。「旅」のはじまり。
東大寺、高野山、中辺路(なかへち)、本宮大社、大門坂、那智山、高野坂、伊勢神宮……、各地各所の模様を次章以降に記述する。 |
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朗読(4:57) on |
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