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7.那智山 (8月28日) |
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Wikipediaによれば、
那智山(なちさん)は「和歌山県那智勝浦町の内陸部一帯にそびえる山々の総称」である。
北から南へ大雲取山(966m)、烏帽子山(871m)、光ヶ峰(688m)、妙法山(750m)などがあり、那智の滝やその水源林である那智原始林(天然記念物)に見られるような、深い自然の山と森林がのこされている。 |
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ぼくたち近郷に住んだものは、那智山を「なちいさん」と呼び、それは「那智の滝、那智大社、青岸渡寺」の総称だった。
いずれにしても今回は、「ぼくたちのいう那智山(なちいさん)」に参った。 |
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白状するが、大門坂のあと、那智大社・青岸渡寺への石段でへばった。急な二百何十段とはいえ、普段ならさほど苦でもないのだが……。明らかに熱中症一歩手前だったのだろう。
妻はすでにその気配だったから、他の仲間たちと一緒に下の茶屋で休ませることにして、ここは独りだけで歩く。義務感というか責任感というか、地の者として沽券にかかわるといった気持ちで、自らを奮い立たせたのだった。
途中で側溝、樋のような溝に清らかな流れが勢いよく音を立てている。天の救い!
恥も外聞もなく、流れを帽子にしゃくって頭にぶっかけたり、Tシャツを脱ぎ捨ててザブザブ洗ったり、タオルをビショビショにして体を何度も拭ったり……。やっと生きた心地がして、残りの石段を上り終えた。 |
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(1) 熊野那智大社 |
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夫須美神(ふすみのかみ)が主神。伊弉冉尊(いざなみのみこと)ともいい、万物の生成・育成を司るとされ、農林・水産・漁業の守護神、また縁結びの神様として崇められている。(那智勝浦町広報誌) |
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那智大社、他の写真 |
那智大社の説明 |
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本地仏について |
平安時代後期から、日本の神々は仏陀や菩薩が衆生を救済するために、仮に姿を変えて現れたのだとする権現思想(垂迹思想)が広まり、神と仏は一体化していった。神と一対になる仏を本地仏(ほんじぶつ)といい、熊野三山の本地仏は次のように決められた。 |
本宮大社家津美御子大神=阿弥陀如来
那智大社熊野牟須美大神=千手観音
速玉大社熊野速玉大神=薬師如来 |
(熊野古道を歩く、JTB) |
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(2) 那智山青岸渡寺 |
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如意輪観世音を祀る青岸渡寺は、一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が永延2年(988)に御幸され西国33ヶ所観音巡り1番札所として
定めたとされる。
現在の本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもの。(那智勝浦町広報誌)
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如意輪観音が本尊 |
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青岸渡寺、他の写真 |
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(3) 青岸渡寺三重塔 |
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三重塔について |
この「三重の宝塔」は、
4世紀の頃、インドから那智の浜辺に流れ着いた裸形上人が大滝の滝壺から観音像を見つけ出し、そこに草庵を結んで安置したのが起こりといわれ、
那智山が霊場として全盛期を誇った平安末期(800年前)に建立されたそうである。
が、天正九年(1581)に焼失し、いまあるのは昭和四十七年(1972)に再建建立したものという。
高さ25m、一辺の長さ12m、鉄筋コンクリートで外部木造、各層美しい格天井と板壁画に飾られている。(那智山青岸渡寺パンフレット)。 |
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三重塔、他の写真 |
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熊野へ参らむと思へども
徒歩より参れば道遠し
すぐれて山峻し
馬にて参れば苦行ならず |
梁塵秘抄 |
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(4) 那智の滝 |
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那智大社と青岸渡寺のあとは一旦下の茶屋に戻る。
那智の滝(飛瀧神社)はみんなと一緒に夫婦で参った。妻も茶屋でのゆっくり休憩が効いたか、普段の笑顔を取り戻していた。
滝をバックに全員の記念撮影のあと、一行のほとんどが滝壺観瀑台へ入場。勝手知ったるぼくたちは、スナップ写真を撮りながら待機した。 |
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那智の滝、他の写真 1 2 |
那智の滝の説明 |
………………………… |
確か大学2年のとき(1961年)、東京の友を故郷南紀熊野へ誘った。
瀞八丁、鬼ヶ城、潮岬……、あちこち案内する中で当然那智山(なちいさん)にも来た。
泳ぎが得意でない彼をいいことに、ここ那智の滝の滝壺でぼくは泳いだのだ! 「どうだ」といわんばかりに抜き手を切って。彼がその勇姿を見事に撮ってくれていた。数年前に「こんな写真あるんだけど」といって、ネガを貸してくれた。
いまは近づくことさえ禁じられているので、貴重な写真といえる。自慢たらしくお見せする。 |
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「那智山」の呼び方と抑揚の違いが今回も楽しかった。ぼくたち地の者の「なちいさん」を東京出身の妻に発音させると様(さま)にならず、ずっこける。中辺路(なかへち)は絶対「なかへじ」とは言わない。
新宮出身の中上健次が『紀州、木の国・根の国物語』(朝日新聞社)の冒頭で、面白いことを言っている。引用することにした。 |
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新宮をシングゥと呼ぶのは、東京弁である。シング、それが正しい。シングゥのイントネイションは尻下がりであり、シングは尻上がりである。土地の者で、シングゥなどと発音する者はいない。新宮から熊野川沿いに上ったところにある本宮も、シングと同様、ホングである。熊野の三社がある土地の二つ、ホング、シングがそうなら、那智も、ナチではない。ナチである。 |
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朗読(10:17) on |
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