1.あらまし 2.奈良公園 3.奥之院 4.中辺路 5.本宮大社
6.大門坂 7.那智山 8.高野坂 9.二見浦 10.伊勢神宮
8.熊野古道 高野坂 (8月28日)
(1) 浜王子神社
 新宮市広角の王子ヶ浜寄りにある。熊野古道高野坂の一角を占める。古びているが立派な神社だ。住宅地に囲まれて、ひっそりしている。祭礼時には賑わうのだろうが、参拝者も観光客も、さほど訪れている風には見えなかった。
 ぼくたちはここを起点に高野坂を辿ることになる。 
 この神社には、神武天皇東征の際、熊野灘に身を投じて危急を救ったとされる皇兄稲飯命(いないのみこと)と三毛入野命(みけいりのみこと)の二柱が祀られている。
(2) 高野坂
 物の本のほとんどは「こやのざか」と振り仮名してあるが、案内板には「こうやざか」とあった。そう読むことにする。
 この坂について新宮市の「案内」を引用する。
 新宮市で、熊野古道がよく残っているところは、広角から三輪崎に越える御手洗海岸沿いの高野坂です。
 距離は約1.5kmで、50mほどの高台を越える楽なコースで、海岸の景観が大変美しい古道です。
 道沿いには石畳や石仏が残り、自然と歴史が体感できる手ごろな古道です。
高野坂、他の写真
 今回で多分五度目の高野坂だ。世界遺産の道になってからは初めてである。
 ツアー仲間何人かにこの熊野灘沿いの山道を自慢してきたこともあり、もっと感動的な景観・風情を待ち望んでいた。それが裏切られたような気がして、「無念」の持って行きどころに困った……。
 一`半の山道は全然舗装されてなく、雑木林・竹林・杉林が雑然と続き、その合間に熊野灘が見え隠れし、山の畑が顔を見せる。「幽玄」を漂(ただよ)わせる厳かな道と、地の人たちの生活道が脈絡なく交互する。
 そのうち、「展望台」の標識にしたがって畑のあぜ道を行き、雑木林のトンネルをくぐると、前がぱっと開けて、熊野灘の荒海を見下ろす絶壁に立っている。沖には二つの小島、ぼくの故郷三輪崎の鈴島・孔島が見える。この眺望は、ぼくが自信を持って吹聴できる熊野の景色の一つである…………
 なにがぼくの期待を裏切ったのか。なぜぼくがそう憤るのか。
 一に、三十五度を超える猛暑だ。本宮近くの中辺路や那智の大門坂に比べれば、なんの苦もない山道がしんどいのだ。垣間見えるさわやかな海の景色と薄明かりの竹林や雑木林の対照を愛でる暇(いとま)もゆとりもなく、ただただ下を向いて歩を進めるのみだった。
 次に、高野坂への手前、浜王子から数百bばかり、砂利の浜を歩いた。これがこたえた。
 たしかに眺めはいい。最初は王子ヶ浜を体感させる粋な計らい、とも思ったが、途中から疲れがひどくなって腹が立った。暑さのせいであるにせよ、だ。みなさんはどうだったのだろうか。
 極めつきは自慢の「三輪崎展望台」へ行かなかったこと。
 つい百bくらいの、大した障害もないはずの道なのに、なぜ? 悔しさがこみ上げた。一行の誰しもが、本宮の中辺路や那智の大門坂を語り草にすることがあっても、「高野坂」は数日もすれば忘却の彼方だろう。いかにも残念だった。
 蛇足になるが……、ぼくの好きな作曲家にレスピーギ(イタリア)がある。「ローマ三部作(松、泉、祭)」に加えて、「リュートのための古風な舞曲とアリア」。その第三組曲が、今回もヘトヘトになって高野坂を歩くなか、ぼくの耳をくすぐった。レスピーギに歩いてもらいたい、この山道を。あの曲を口ずさみながら、「なるほど」と言うに違いない。……帰ったらLPで、とりわけ気に入っているイ・ムジチ合奏団のを聞くことにする。
 蛇足の二。
 熊野灘は、和歌山県南端の潮岬から紀伊半島の東側、三重県志摩半島の大王崎までの海域である。ぼくの故郷三輪崎はその西寄りで、潮岬に近い。
 昔、三輪崎の沖で鯨が捕れた。いまも、『鯨踊り』(殿中踊りと綾踊り)が地の民謡として残っていて、毎年9月15日の八幡神社例祭に、海岸の砂浜で、笛や太鼓の囃子賑やかに披露される。
 『殿中踊り』の歌詞は「突いたや三輪崎組はサ、ハァ三輪崎組はサ」ではじまり、4節目はこうだ。
『舟は着いたや五ヶ所の浦にサ
 (ハァ五ヶ所の浦にサ)
 いざや参らん伊勢さまへ
 (ソリャ一国二国三国一ジャー)』
鯨踊り(殿中踊り)
 「五ヶ所の浦」(五ヶ所湾)は大王崎に隣接する英虞(あご)湾のすぐ西である。「三輪崎で板っぺらを浮かべれば、五ヶ所湾に着く」ともいわれた。黒潮暖流に乗って運ばれるのだろう。
 三輪崎からお伊勢さんは遠くない。
《参考》
 江戸末期の頃から、三輪崎では、漁師たちが何隻もの小舟を操って銛で突く「突取式捕鯨」が盛んだったらしい。本宮大社の石段途中には当時の「三輪崎の捕鯨舟」が飾られている。太地や近郊の漁師町にも「捕り方」を伝えたという。
 その頃の儒学者・湯川麑洞(げいどう、1814-1874)が次の漢詩「捕鯨行」を書き残している。
熊野の入り江は九十九
東西海路に沿うて五百里
土地は痩せて耕しても足りず
舟を家として海を田として暮らしている
中でも泰地(太地)、古座、三輪崎
三村は各捕鯨で飯をくっている
万葉集の三輪崎
苦しくもふりくる雨か神が崎狹野のわたりに家もあらなくに
神の崎ありそも見えず浪たてぬいづくゆゆかむよき道はなしに
みわが崎荒磯も見えずかかるてふ波よりまさる袖やうちなむ
三輪が崎夕汐させばむら千鳥佐野のわたりに声うつるなり
朗読(11:02) on
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