1.あらまし 2.奈良公園 3.奥之院 4.中辺路 5.本宮大社
6.大門坂 7.那智山 8.高野坂 9.二見浦 10.伊勢神宮
3.高野山奥之院 (8月27日)
 昨夜は宝善院の宿坊に泊まり(後述)、今朝は八時から、奥之院と弘法大師の御廟を見物した。何年か前の冬に訪れたなじみが幸いして、ゆったりとした気分で拝観できた。
 御廟前に拝堂として建立されたという燈籠堂があらためて印象に残った。万燈を超えるという献燈籠が整然と灯っていた。
 入り口の一の橋から御廟までの参道は約2`。両側には昔の諸大名の墓碑や供養塔、それらに混じって現在に至る有名人、名だたる会社のが、不幸にして既につぶれてしまった会社のも含めて、無数に立ち並んでいる。20万基を超えるとか。
 前回雪に覆われていた全貌を、この度は目にとどめることができた。聖域につき撮影禁止となっている。
 高野山真言宗総本山たる金剛峯寺を拝観できなかったのは、時間の関係とはいえ、いかにも残念。
 前夜は、さすが高野山と思わせるほど涼しかったが、下界は寝苦しかったろう。
 虚子の「炎天の空美しき高野山」とは裏腹に、昼前とはいえ、いま、ここもそれなりに暑い。
 剃髪していないのが気になったが、若いお坊さんが案内してくれた。録音して披露したいくらいの、情報満載・聞き応えのある語り。易しく噛みくだき、ユーモラスに、時折質問をまじえて相互交流を忘れず……、この旅一番のガイドだった。大半の貴重な情報を思い出せないのはひとえにぼくの責任と限界と心得ている。
 「五輪塔」の説明は覚えている。
 仏教では、「宇宙を構成する物質は、空・風・火・水・地の五つの要素」と説かれている。これらの要素を宝珠、半月、円、方形に象(かたど)ったものが「五輪塔」である。
 庶民のために五輪塔を簡略化したのが「卒塔婆(そとば)」であり、略して「塔婆(とうば)」ともいう。木片の上部の切り込みが「宇宙を構成する五つの要素」を表している。
 ……そんな風だったかなあ。参道には、五輪塔形の墓碑が数多く見受けられ、塔婆もいくつかあった。
 院への道端に芭蕉の句碑があった。
父母のしきりに恋し雉子の声
 芭蕉は貞享五年(1688)春、伊賀上野で父の三十三回忌を終えたのち高野山を訪れたという。
 『笈の小文』にあるこの句は、その時に詠んだ句ではないか、と言われている。
 静かな杉木立の中、お互いに呼び合う雌雄の雉の声を聞いた芭蕉は、父母の姿を偲んだのだろう。
 行基(奈良時代)の吉野山における次の詠歌をふまえているそうだ。
『山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ』(玉葉和歌集)
宝善院宿坊
 宿坊に泊まるのは初めてだ。妻ともども期待していた。
 前夜奈良公園から、7時半の夕食になんとか間に合って到着した。10分間というわずかな間隙を利用して、風呂に入ったのは、たしかぼくだけだった。
 部屋は六畳間、両隣りは襖(ふすま)でしきられている。新しくはないがむさ苦しさはなく、窓を開け放つと奥の院入り口が見えた。周囲の眺めも情緒があり、高野山の「宿坊」を実感できた。
 古い小さなテレビが置いてあったが、見ずに過ごした。
 気温は肌に心地いい。ただしヤブ蚊の侵入が気になって、障子を閉めることにした。
 夕食・朝食とも、もちろん精進料理だ。土地の素材を活かした薄味で、都会の味に慣れた舌には新鮮だった。
 夕食は遠慮しながらビールを所望して、豆腐三昧の料理に舌鼓。とりわけゴマ豆腐が美味だった。
 朝6時半から7時まで、お勤め(勤行)に臨席した。正座できず、胡座(あぐら)で失礼した。
 撮影は許可されていたので数枚撮ったが、朝のすがすがしさと読経の厳かさまでは表現できるはずがない。
奥之院と宿坊、その他の写真
朗読(7:11) on
2.奈良公園 4.中辺路
1.あらまし 2.奈良公園 3.奥之院 4.中辺路 5.本宮大社
6.大門坂 7.那智山 8.高野坂 9.二見浦 10.伊勢神宮

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