当初はコップの中の嵐に過ぎなかった争いも、常務取締役たる富田天皇に対し、ぼくを陰であやつる取締役・HSA社長白浜の事実上の局地戦となって、いやが上にも激化していった。
ABXをかつぐ市江商事からは「なんとかしてくださいよ」の声が、巡りめぐって速玉の総帥たる箕島社長にまで届く。
「課長風情の戯言を抑えられないのか」
と総帥に一喝されて、富田天皇ともども周囲の役員も黙っていられなくなる。
右派の日高副社長が輸出部長とともに米国出張を利用してHSAを訪れ、事情聴取。頭のはげ上がった日高は長く鋼材の頭目であり、業界・商社を問わず尊崇を集めている。
白浜とはどんな議論がなされたのか。肝心な話し合いの場にぼくの同席は許されなかった。翌日、昼食の丸テーブルを囲んだとき、斜め前のぼくに目をやって、
「鋼材のほうにも力を入れているかね?」
と、言われたくないことをやんわりと副社長。
横の輸出部長はこそっと、
「富田常務は本当に困っているよ。ここまで君を育ててくれたのだから、少しは常務の身にもなってやれよ。悪いようにはしないと言っておられるから」
副社長は名古屋の本社に帰るや即、
「富田常務の言い分に従うべし。HSAは収益追求をあせるべきではない。商社とのつながりや周辺環境を乱してはならない」
周囲にご託宣するとともに、社長に進言。
…………
今度は左派の頂点である大島専務が動く。全社生産体制の統括者だ。輸出部次長を伴って米国出張し、他の用務の間隙をぬった形でHSAを訪れる。海外志向の南部取締役・調査部長たちの意を当然酌んでいるはずだ。
業界に冠たる最新鋭大型の知多工場を産み育てた大島のこと、銀髪は年の経過を隠さないが、リーダーシップは衰えていない。こうと思ったことはやり遂げる派≠ナある。HSA誕生も日高副社長に劣らず深く関わっているし、なによりその社長に白浜を推したいきさつもある。
一夜はママローネック(Mamaroneck)の白浜宅で夕食の歓待を受け、ぼくたちスタッフも同席する。鋼材営業の話は白浜がそつなく報告し、
「三輪君がうまく小回りをきかせてくれますから助かっています」
怠りなくぼくの補佐を強調する。ウソまじりは専務が百も承知のこと。心地よいほろ酔いにまかせて言う。
「君たちの力でまともな会社に育ててほしい。責任はオレが引き受けるから、白浜社長を中心に仕事を全うしてくれ」
ぼくは彼が本社調査室長だったときの部下だ。あれから十年余。たのもしそうにぼくに顔を向けて、
「水を得た魚だな。しっかりやれよ」
帰国するや、専務は専務で箕島社長に身びいきの進言をするとともに、了解を得たとしてHSAに伝達する。
「好きなようにやれ」
いずれが正論ともいえないが、速玉の自主自立という格好良さでは天皇側が不利だ。このゴタゴタに冷ややかだった様子見の重役連もこうした状況には敏感で、優勢側を後押ししているかのように振る舞い出す。
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