9.タイアップの行方
 速玉製鋼の米国現地法人ハヤタマ・スチール・アメリカ(HSA)は、ニューヨークのクライスラー・ビル(Chrysler Building)五四階にある。
 四二丁目(42nd Street)とレキシントン街(Lexington Avenue)が交叉するところにそびえるこの高層ビルは、1930年に建てられ、高さ三一九メートルで、地上七七階。きらびやかなアール・デコ調で、マンハッタンのミッドタウンに()える。パンナム・ビル(PanAm Building)やグランドセントラル駅(Grand Central Station)はすぐそこだ。
 急行エレベーターを五四階で降りて廊下を突き当たると、「Hayatama Steel America, Inc.」の表札が見つかる。
 開きドアを入るとすぐ横に受付を兼ねたタナミーさん(Ms. Tanamy)の席がある。彼女はニューヨーク事務所のときから引き続き勤めている。
 真正面がスタッフ三人の大部屋だ。総務・那智、技術・木本(きのもと)、営業・岩代(いわしろ)の机が並ぶ。岩代はぼくと交代して近く帰国することになっている。
 窓からの見晴らしはパノラマで、エンパイア・ステート・ビル(Empire State Building)が意外と近くに見える。
 右隣りは社長室兼応接室で、自由に出入りできる。スタッフ会議にも使用している。
 週明けのミーティングはこの部屋で始業前の八時半にはじまり九時に終える。司会は総務の那智が仕切り、各担当の報告のあと、その週の方針を決めて締めくくる。
 ぼくが赴任してからマンガンレールの北米拡販が議題に加わり、九時を超えることがしばしばとなった。このビジネスがHSAの明日を占うとの白浜社長の判断による。以降スタッフ全員での情報共有を旨としたから、ぼくにとってはこの上なかった。
 速玉製鋼にとって、HSAは北米の特殊鋼鋼材情報窓口だったニューヨーク事務所を独立法人として発展させたものだ。かといって簡単に収益が期待できないことは言うまでもない。想定内とはいえ創業以来二年間赤字が続いており、先行きの見通しもたっていない。速玉本社は当面必要経費と位置づけているが、HSAは社長、スタッフとも何らかの収益源を模索している。
 そこに降ってわいたマンガンレール(鉄道線路交叉部のフロッグ)の話。この鋳鋼素材を現地分岐器メーカーとの協業によって北米に販路を開拓できないか。
「品質・納期・価格といった物理的要件さえ満たされればなんとかなる」
 白浜社長は思わぬチャンス到来と受け止めた。そのため鋼材営業の前任を引き継いだぼくを、敢えてフロッグ・ビジネスに傾注させ、鋼材関係は事実上社長自らの分担としたのだ。
 赴任する直前に白浜社長からテレックスを受け取った。
「○日にLBFの副社長と先方アトランタ本社(ジョージア州)で会うことになっている。同行されたし。ゴルフにも誘われている」
 出社一週間後に社長にお供した。LBFの本社と白浜社長は、ぼくの思惑をはるかに超えて、親しい仲になっていた。もはや表敬訪問でないことは機中で社長が念押しした。先方訪問は今回が初めてではないし、副社長とはニューヨークで夕食をともにして、気心が通じているとか。ここまで両社の関係が進んでいるとは知らなかった。あっけにとられながら、社長の横顔をまじまじと眺めたのだった。
 打合せには先方シンシナティ工場窓口のボブ・カッツーラが同席した。彼とは知らない仲ではない。が彼、そんな事情を知りつつも、白浜社長の動きをぼくになぜか伝えていない。それを意識してか、副社長の横で小さくなっている。
 資料を前にして発言を促されるとボブの相好がほぐれた。彼の意気込んだ報告によれば、すでにエンドユーザー(鉄道会社)数社と商談がはかどっており、
「この打合せを出発点として、ミスター・ミワのフォローを期待している」
 翌朝は米国でも指折りのゴルフ場「アトランタ・アスレティック・クラブ」(Atlanta Athletic Club)に案内され、四人でプレーした。
 ぼくの腕前に先方副社長もボブも驚いたようだが、ぼくは彼らの愛嬌あるプレーに気が楽になった。白浜社長はラフをあちこちしながら満足顔。
 話をややこしい問題に戻す。先延ばしになっていた現地分岐器メーカーのどちらとタイアップするかだ。
 HSAが直取引を指向しているLBFに対し、ABXは市江商事経由が前提である。本件先送り状態で、見切り発車の赴任だった。
 常務取締役の富田(とんだ)事業部長は事業部内では名実ともに天皇だ。ぼくの業務が鋳鋼事業部とまともに繋がっている以上、天皇の威光を避けるわけにいかない。
「ABX以外の協業相手は認めない」との天の声が、反旗を翻したぼくをめがけて、事業部内外から幾筋もの矢じりでHSAまで鋭く届く。アメとムチを伴って。
「君の将来はまかせておけ」といったアメは、もとより疑似餌(ぎじえ)だろうし、ムチは、「逆らえばいずれ一刀両断」。
 こちらのHSAも負けていない。白浜社長の励ましは尋常ではなかった。社長としてはこの話、待ちに待った業績逆転への金の卵だから、たやすく手放すはずがない。
 見込みありとの確信が増すとともに、親会社たる速玉製鋼の取締役でもある白浜は勢いを得、速玉本社役員及びHSAシンパに支援を要請し、決して折れない。天皇派の進める方向で行けば、速玉製品の海外飛躍という貴重なチャンスを自ら捨てることになる、と攻勢をかける。
 当初はコップの中の嵐に過ぎなかった争いも、常務取締役たる富田天皇に対し、ぼくを陰であやつる取締役・HSA社長白浜の事実上の局地戦となって、いやが上にも激化していった。
 ABXをかつぐ市江商事からは「なんとかしてくださいよ」の声が、巡りめぐって速玉の総帥(そうすい)たる箕島(みのしま)社長にまで届く。
「課長風情の戯言(たわごと)を抑えられないのか」
 と総帥に一喝されて、富田天皇ともども周囲の役員も黙っていられなくなる。

 右派の日高副社長が輸出部長とともに米国出張を利用してHSAを訪れ、事情聴取。頭のはげ上がった日高は長く鋼材の頭目であり、業界・商社を問わず尊崇を集めている。

 白浜とはどんな議論がなされたのか。肝心な話し合いの場にぼくの同席は許されなかった。翌日、昼食の丸テーブルを囲んだとき、斜め前のぼくに目をやって、
「鋼材のほうにも力を入れているかね?」
 と、言われたくないことをやんわりと副社長。
 横の輸出部長はこそっと、
「富田常務は本当に困っているよ。ここまで君を育ててくれたのだから、少しは常務の身にもなってやれよ。悪いようにはしないと言っておられるから」
 副社長は名古屋の本社に帰るや即、
「富田常務の言い分に従うべし。HSAは収益追求をあせるべきではない。商社とのつながりや周辺環境を乱してはならない」
 周囲にご託宣するとともに、社長に進言。
…………

 今度は左派の頂点である大島専務が動く。全社生産体制の統括者だ。輸出部次長を伴って米国出張し、他の用務の間隙をぬった形でHSAを訪れる。海外志向の南部取締役・調査部長たちの意を当然()んでいるはずだ。

 業界に冠たる最新鋭大型の知多工場を産み育てた大島のこと、銀髪は年の経過を隠さないが、リーダーシップは衰えていない。こうと思ったことはやり遂げる派≠ナある。HSA誕生も日高副社長に劣らず深く関わっているし、なによりその社長に白浜を推したいきさつもある。
 一夜はママローネック(Mamaroneck)の白浜宅で夕食の歓待を受け、ぼくたちスタッフも同席する。鋼材営業の話は白浜がそつなく報告し、
「三輪君がうまく小回りをきかせてくれますから助かっています」
 怠りなくぼくの補佐を強調する。ウソまじりは専務が百も承知のこと。心地よいほろ酔いにまかせて言う。
「君たちの力でまともな会社に育ててほしい。責任はオレが引き受けるから、白浜社長を中心に仕事を全うしてくれ」
 ぼくは彼が本社調査室長だったときの部下だ。あれから十年余。たのもしそうにぼくに顔を向けて、
「水を得た魚だな。しっかりやれよ」
 帰国するや、専務は専務で箕島社長に身びいきの進言をするとともに、了解を得たとしてHSAに伝達する。
「好きなようにやれ」

 いずれが正論ともいえないが、速玉の自主自立という格好良さでは天皇側が不利だ。このゴタゴタに冷ややかだった様子見の重役連もこうした状況には敏感で、優勢側を後押ししているかのように振る舞い出す。

 秋深まった頃だった。まだ明けやらぬ朝方、コネチカット州グリニッチの自宅で電話が鳴った。当然妻もぼくもまだベッドの中で目が覚めていない。何度も鳴り続けている。ぼくが寝ぼけまなこで受話器を握って、
「Hello……」
 ろれつの回らない向こうの声は富田常務だと察知できた。多分名古屋のどこかの料亭からだろう。取り巻きのだれかにかけさせたか。
「三輪ですが……」
 しばらくわけの分からない息づかいのあと切れた。
 日本時間では夕刻のはず。アメとムチの両刀を手挟(たばさ)んだ最後通告のつもりだったのかもしれない。
 そうこうして、本社箕島社長の名で通達があった。
 「マンガンレール北米進出の協業相手はLBFとし、実行部隊として、同社とHSAの間に速玉興業を入れる」

 速玉興業は速玉製鋼の一〇〇%子会社の鉄鋼専門商社で、海外にも支店をもっている。ロサンゼルス、韓国、シンガポールだ。

 親会社がニューヨーク事務所をHSAに独立法人化すると同時に興業ロサンゼルス支店(HTLA)との連携が強化され、FAXと電話によるホットラインを活用して相互連絡を密にしている。三ヶ月に一度、合同会議が交互に両オフィスで行われている。
 しかしこの場合なぜ速玉興業を中に入れるのか? これでは速玉製鋼=市江商事=ABXと同様の流通経路ではないか。大手総合商社の市江商事の場合なら、単なる流通経路に留まらず、米国の事情に精通しているから、なにかにつけて頼りになるが。
 この玉虫色の決着は、速玉丸抱えの商社たる速玉興業の海外、とくに米国での業績が伸び悩んでいたこととも有無通じそうだ。日高副社長の同社社長就任が内定しているいま、低迷を期待に変えるような花を添えたい。本家本元の役員まで巻き込んだ内輪もめの中和剤にもなろう。速玉グループ全体の連結決算と言うこともあり、収益が外に流れることはない。
 他にも強いて身びいきに利点を探せば、
*HSAと速玉興業・ロサンゼルス(HTLA)の両オフィスが米国の東西に離れている地理的環境や商いの類似・相違等の状況を活かせば、相乗(そうじょう)効果を上げうる。
*LBFとのタイアップに速玉興業をからませることにより、HSAにとってもロサンゼルスに身内のアンテナをもつことになり、全社的に西海岸市場のカバーも期待できよう。
 速玉本社からの厳然たる業務命令をこのように受け止めれば、まんざらでもない。ぼくはHSAの一員として、HTLAを絡ませる優位点に思いを巡らした。
 翌年春の速玉製鋼役員人事は大幅だった。社の全体を通じて信頼の厚い箕島社長の続投は予想通りとして、副社長以下で一〇人に及ぶ出入りがあった。
 日高副社長は予定どおり速玉興業社長に、富田常務は役員を解かれ、関連会社の井田製鉄副社長に転進した。
 大島専務は副社長に昇進。HSA白浜社長の常務昇進はならず。ご自身、喧嘩両成敗とみての若干の気落ちがぼくたちにも伝わった。
 マンガンレールの北米進出を巡るいざこざが役員人事にまで影響したか。HSAのぼくたちはそう勘ぐって、ああでもないこうでもないを言いあった。
 市江商事は他社のこんなもめ事にいつまでもかまけているはずはない。役員人事が取り沙汰される前に、この仕事から手を引いていた。ABXがイギリスのメーカーとのタイアップに方向転換したようだと風のうわさはあったが、市江商事の関知するところではなかったようだ。
 赴任して一年、HSAのフロッグ・ビジネスは、やっと速玉全社の有望輸出アイテムに加わった。

朗読 22:26



目次 7. 寄り道
1. サラリーマン事始め 8. 内輪もめ
2. 仕事と私事 9. タイアップの行方
3. ペンステートの一年 10. 駐在員として
4. 身の丈を知る 11. 家族、体調
5. 新天地で 12. 倒れる
6. 輸出への道 13. HIAL、そして
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