ペンステートでの学生生活スタートの夏学期約三ヶ月間は、シャンク・ホール(Shunk Hall)という純学生寮で過ごした。ニューヨークから来た台湾系の岩橋杭君と同部屋で。写真好きの彼とキャンパスや大学町≠フ目抜き通りをカメラ片手によく歩いた。
三人旅出発を前にして大学院生及び職員の寮ユニバーシティ・クラブ(University Club)に移る。
隣室がダンディで顔中ひげだらけのマルコ・シングス(Marco Singus)。帰国のときまでよく面倒を見てくれた。数歳年下の彼はギリシャ系、大学院で地質学博士の一歩前だ。
「You'll soon have to call me Dr. Singus.」(もうすぐドクター・シングスだぞ)
といばっていた。
彼の愛車に乗せられ、周辺のドライブによく一緒させられた。その愛車、フォルクスワーゲンのカブトムシ(Beetle)は奇妙な車だった。時速六〇キロ以上は出そうにも出ない。周辺のドライブならよいが、彼の故郷ボルチモアへ連れてもらったときはまいった。高速道でパトカーに止められたのだ。遅い≠ニ言って。チケットはまぬがれたが、「早く買い換えなさい」とのご注意。
彼、それからもずっとむしろ自慢げにカブトムシで通し、何食わぬ顔。マルコは我が道を行くといった愉快な男だった。
彼たちと付き合う中でよく聞いたアイアン・バタフライ(Iron Butterfly)の曲をやり過ごすわけに行かない。四人のロック・グループサウンズで、彼らの一七分間音楽だ。「インナ・ガダ・ダヴィダ」(In-A-Gadda-Da-Vida)。
マルコも寮友のダグもニックも、学生の友だちすべてに愛された曲で、夕刻廊下を歩くとどの部屋からもこの曲が流れてくる。彼らのレコードのみならず、ラジオ局がこぞって流しているからだ。なぜ? 当時、グラス、ティ、ポット、メアリー・ジェーン、いろんな愛称を得たあれ≠セ。一七分間音楽を車座で聞きながらあれ≠回し吸いし、こんなやり取りもあったとか。
「Don't bogart the joint. Pass it around.」(独り占めしちゃだめだよ。次に回して)。
俳優のハンフリー・ボガートはシガレットを吸っているシーンが多いことから、このセリフになったようだ。
ともかくユニバーシティ・クラブは楽しい安気な寮だった。地階にはビリヤードが二台あり、いやでも友だちができた。格好の憩いの場で、ここでのぼくのニックネームは「チープバーボンのTaiji」。
その名のとおり、ぼくはバーボンのコークハイ(コーラのハイボール)で、彼らも思い思いのアルコール。あたり構わずしゃべりあった。彼らのスラングにはとてもついていけなかったが。
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