成田空港から一緒すればこんな問題は起きなかったのに。
ぼくたちは数日前に先行して米国入りし、別の仕事を終えたあと、ニューヨーク・ケネディ空港に専務を出迎える計画を組んだ。印南所長とのテレックス及び電話での合作である。
ぼくたち二人は米国内で他の目的を果たしたあと、前日ニューヨーク・パンナムビルの事務所で印南に会い、鵜殿専務が予定通りに来られることを確認した。印南は新会社創業への細々した作業に追われている。
四月初めの日曜日、印南とぼくたちは専務の飛行機がケネディ空港に到着する時刻を見計らって空港ロビーに向かった。入国手続き等を考慮し、専務がロビーに見えるまで、一時間は待機することになろうとの心づもりで。
三人がロビーに着くと、鵜殿専務はすでに長椅子に腰かけてぼくたちに手を振っているではないか! そばの数人は田辺物産と市江商事の駐在員だろう。
飛行機が予定より一時間も早く着いたとは思えないし……、なぜだ??
専務のにこやかな表情をどう受け止めればよいのか。ぼくたちは大恐縮しながらわけが分からなかった。
「今日からこちらは夏時間だと知っていたかね?」
おぞましくもサマータイム(Daylight Saving Time)開始の日で、1時間繰り上げられていたのだ。
「抜かってました」
と、印南所長が声を上げる。罪はぼくたちも同じ。印南はいつにない忙しさで、ど忘れしたに違いない。ぼくは自らの不明に恥じ入った。専務は本件それきりで話すことはなかった。
それが原因では決してないが、米国での専務のぼくへのご指導は厳しいどころではなかった。些細といってはなんだが、細かいことまで注意され、ケネディ空港で見送るまで、ぼくにだけはいつもの笑顔を見せなかった。
和深に泣きを入れると、
「三輪君がうらやましいよ」
わからないではないが、ぼくはこの出張だけは当分思い出したくなかった。
考えようによっては、富田取締役を筆頭とするぼくたちの悲願である「マンガンレールの北米進出を本格的に実現するためには、現地駐在員の存在が不可欠。その任に三輪をあてる」、
が鵜殿専務の頭にあったのかもしれない。HSAの創業計画で予定している次なる営業担当の増員にぼくがはたして適任かどうか?
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