子どもたちの秋学期がはじまったその頃だった。体調が狂いはじめた。
異常に後頭部が痛む。目まいがする。トイレが近い。ふらつく。手足がしびれる。無性に苛立つ。なぜ?……なぜ?……?
頭の痛みに耐えかねてグリニッチ市内の病院に行く。受付で症状を伝えると、内科に案内される。血圧を測って驚いたようだ。しばらくして集中治療室のような部屋に連れて行かれ、患者のパジャマに着替えさせられる。わからないまま担当医の英語をぼくなりに解釈すると、
「血圧が非常に高いのです。頭痛と何らかの関係があるかも知れません。原因を調べるためには脳の内部を見る必要があります。いまからそのためにMRI(磁気共鳴映像法)検査をします」
ベッドで待つと、造影剤の注射が施される。しばらくして気分が悪くなった。吐き気をもよおし、体がポッポッとほてる。
担当医がぼくの異常に気づいてMRI検査を中止することにした。造影剤アレルギーと判断したようだ。結果的にこれが極めてアンラッキー。
英語でスムーズな対話ができないいらだちもあって、白浜社長に相談し、ニューヨーク郊外の日本人医師のところへ通うことにした。帰宅してから、妻の運転で医院へ三〇分走る。十回近くに及んだ。
「なぜでしょうね? おさまるはずなのですが……」
壁に掛かったニューヨーク市の医師免許証はまぎれもなく立派な内科医を示している。が、丁寧に問診されたとは思わないし、血圧を測ってもらった覚えがない。降下剤服用に到らなかったのは事実だ。専門外かなとも思ったが、なぜかそのままで通してしまった。振り返ってあとの出来事に照らし合わせると、血圧が正常であったはずがない。
悩みあせるぼくに、その都度首を傾げながら頭痛薬のバッファリンを与えるのみだった。指示の何倍飲んでも、症状に何の変化もなく、すぐに頭痛がぶりかえす。
多量のバッファリンを服用したまま、何度か出張先でレンタカーを運転したことを思い出すとゾッとする。違法である以上に、危険この上なかった。
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