1.サラリーマン事始め
 秋10月に東京オリンピックがあった年、昭和三九年(1964)にぼく(三輪太地(みわたいじ))は社会へ門出した。23歳。不学無為の大学4年間、そのつけで留年を覚悟したが、かろうじて年初に卒論がパスし、無事3月卒業がかなった。
 月末、新幹線開業前の東海道線で東京から名古屋へ。翌4月から、ぼくのサラリーマン≠ェ始まった。

 名古屋とその周辺に本社・主力工場をもつ速玉製鋼がぼくの受入れ先だ。名古屋が和歌山県南のぼくの故郷新宮市に比較的近いとの変な理由で、大学ゼミ担当宇久井(うぐい)助教授の勧めによる。望む会社はないではないが、学業成績からいっても、先生に従うのが得策と考えた。

 速玉製鋼と先生のつながりは──
 先年先生は経団連主催・欧米企業視察団の一員として米国各地を訪れた。団長が速玉の専務で、以来ゼミテン(ゼミの学生)に同社の推薦を依頼されていたよし。
 ぼくの派遣で先生は初めて約束を果たすことになる。
 速玉製鋼は特殊鋼鋼材の国内最大手メーカーだ。他の事業もいくつか営んでいる。
 配属先は鋼材主力二工場のどちらかを予想したが、案に相違して鋳鍛鋼(ちゅうたんこう)の築地工場(名古屋市港区竜宮町)に配属された。千五百人の所帯だ。現場の作業環境が他工場と比べて厳しいことは新入社員研修で既に承知している。総務課人事係に席があった。大学での卒論「アメリカの労働組合と団体交渉」が配属の参考にされたか。
 出発点が思惑とは違ったが、直属上長になる係長の湯川(ゆかわ)が社費による米国留学直後と知り、希望がわいた。会社案内で「入社五年後に一年間の海外社費留学応募の資格が与えられる」と(うた)われており、これにチャレンジするつもりでいたから。
 辞令交付のとき本社人事部長がぼくにこう耳打ちした。
「湯川くんは速玉きってのホープなんだ。しっかり指導してもらいなさい」

 労働運動が盛んな頃で、総評傘下の鉄鋼労連に属する速玉製鋼はおとなしい方だったが、築地工場はやや不安要因を抱えていた。各社とも共産党と社会党には神経質で、とくに民青(「日本民主青年同盟」、共産党系の青年組織)を目の敵にしており、俗に左翼分子が七人もあれば、会社をつぶせるといわれていた。
 卒論タイトルと配属の関係はともあれ、鋳鍛鋼の工場勤務、しかも総務課人事係が現実となったいま、まるきり未知の世界に興味と不安が相半ばした。

 係長の湯川は三〇過ぎで、一八〇センチはある長身・丸顔の男前。人事部長の耳打ちどおり、将来の会社幹部が約束されたといえるエリートだ。事務所も現場もそれを認める存在だが、人当たりは穏健そのもの。むしろだれにも慕われているように見えた。
 新婚ほやほやだった。まだ学生気分が抜けないぼくを弟分のようにかわいがってくれた。ときどき新居に招いて、奥様の手料理をご馳走してくれた。
 二年間湯川の部下として、デスクワークはほどほどに、作業現場を歩き回り、現場の人たちと声をかけあうようになる。一方係長は、製造業における人事管理、教育訓練の手ほどきにも熱心だった。お陰でTWI(Training Within Industry)という教育の資格を得、講師を務めるようにもなった。
 総務課長の下里(しもざと)は速玉技術員養成所の第一期生だ。技術員養成所は、高校と専門学校をあわせた現場管理者養成のための社内教育機関で、下里課長はそのたたき上げだ。剣道有段者にして、見るからに精悍(せいかん)。実践派を身をもって示し、大卒エリートの係長とはひと味違う脇のしまった管理者だ。現場幹部に信頼厚く、労働組合との(きずな)は自他ともに許していた。
 築地工場への大卒新入社員の当年配属は四人だった。数年前からあわせて十数人いるが、総務課はぼくが初めてだ。課長はそれを意識してか、厳しい特別待遇をした。現場幹部らとの話し合いでは声高に笑いを発散させるが、ぼくに向かっては、
三輪(みわ)君、これはなんだね!」
「こんな書き方では現場に通じるわけないだろ!」
 係長の湯川を飛び越して、ドスのきいた声が周囲に響く。湯川はニヤッとしながら見て見ぬ振り。
 硬骨の軍人あがりだ。愛のムチのようでもあったが並みではない。同じ原稿が二度、三度と突き返されることもあり、何くそと、ぼくの反抗心も高鳴った。
 一方では自宅に呼び、寝泊まりさせることもある。組合幹部もよく来合わせた。酒を酌み交わしながら、彼らとの丁々発止の中で、工場では見られない別の姿を見せてくれた。冗談の通じない堅苦しい指導もぼくには幾分血の通いを感じさせた。
 課長・係長とも現場労務管理、とくに左翼対策に怠りなさそうだが、思ったほど監視的な色メガネはなく、ぼくに対してもその(たぐい)の注意や要望はなかった。
 新入りとして、課の人たちに、ずいぶんお世話になった。
 中でも配属当初から気軽に工場内を案内してくれた庶務係長。鋳造、鍛造、それぞれの工程に沿って各生産現場をぼくの理解を確かめながら巡り、現場キーマンを陽気に紹介、手取り足取りで実地体験もさせてくれた。
 女性たちの親切も忘れられない。何かと戸惑う都度誰かれなく気を使ってくれ、時々リーダー格の女性宅に課の数名とともに呼んでくれ、茶菓子を頬張りながらの雑談を通して、工場の別の一面を教えてくれた。

 入社二年間は「知多寮」に住んだ。大卒男子の寮で、百人近くがここから通う。名鉄河和(こうわ)線沿線南加木屋駅のつい近くだった。
 工場への通勤経路は、太田川駅で名鉄本線に乗り換えて、神宮前で降りる。熱田神宮はすぐそこだ。
 工場勤務を通じて熱心に続けたサークル「(うたい)の会」の練習がつい近くの健保会館だったから、ちょくちょく神社境内をうなりながら散歩した。一度お披露目でシテを演じた「大仏供養」はいい思い出だ。
 神宮前からは、名鉄バスで「竜宮町」へ。築地工場はこのバス停からすぐそこに見える。寮から工場まで小一時間程度だった。この(すす)けた工場団地の一帯を竜宮町とはよく名付けたもの。浦島太郎の頃はさぞかし桃源郷だったのだろう。

 東京から直行で知多寮に入った日、賄いのおばさんたちが陽気にしゃべる三河弁が変で、食事で出された赤だしの味噌汁を一口してうんざり、気落ちした。思えば遠くへ来たもんだ≠ニ。
 何のことはない。いま、三河弁は懐かしいし、赤だし、きしめん、味噌煮込みうどん……、好物だ。
 現場の人たちとは、教育訓練の講座で冷やかされながら講師役を務めたのがきっかけで、終業後手荒く付き合わされる機会が増えた。工場正門と道路を隔てたところに居酒屋が二軒あり、
「行こみゃ〜か」
 とそのどちらかに引っ張り込まれ、へべれけになるまで飲まされた。
 配属後数ヶ月たった秋の一日、「新入社員座談会」があり、大卒の部で一〇人ほどが選抜されて集まった。築地工場からはぼくが指名されていた。
 男ばかりで、本社会議室に顔を揃え、人事部長の司会ではじまる。
 各自が自己紹介に続けて入社の感想を話したあと、「速玉への提言・要望」、「何がしたいか」、「会社の将来像・自分の将来像」、「……」、そんなことが笑いをまじえて自由討論されていく。
 そのどこかでぼくは格好つけてこう言ったようだ。
「社長を目指します。こうありたいという夢を実現するために」、とかなんとか……。
 深い考えもなく、その場の座興で発言したつもりだった。が、間の悪いことに司会の人事部長は座興で終わらせなかった。
三輪太地(みわたいじ)君ですね。たのもしい! 君の夢を聞かせてください」
 まさかの合いの手に、アガリ症のぼくは度を失った。目はうつろで定まらず、思いつくままトチリトチリ、ちょうど読んでいた本のどこかを、いかにも自身の考えのように述べたのだった。
 人事部長はそれと察してすませてくれたから助かったが、二の矢が放たれたら即討死(うちじに)♀ヤ違いなしだった。
 悪いことは重なるものだ。この座談会の模様が社内誌「速玉通信」に掲載された。ぼくのうかつ発言付きで。
 それから当分の間、工場はもとより、知多寮でも、ときどき呼び出される本社でも、「社長」「社長」とからかわれた。
 あの発言が、一方でぼくに幸運をもたらした。
 座談会の二ヶ月後に、
「速玉通信の二木島(にぎしま)ですが」
 と女性から電話があり、
「あの記事を担当した者です。ひょっとしてご迷惑になったのでは?」
「そんなことないですよ。こちらこそありがとうございました」
 あたりさわりのない応答をすると、
「実はこんな企画があるのですが、ご協力いただけないでしょうか?」
 今回の企画は「私のふる里紹介」で、ぼくもその候補の一人らしい。那智の滝や熊野三山といった周辺の名勝がものを言ったのだろう。
 湯川係長に相談すると、ニタッとして「やってあげろよ」。
 変な励まし方をする。
「ぼくでよろしければ……」
 ということになった。
 二木島(しずか)、彼女について湯川はよく知っていた。係長の思わせぶりな話をかいつまむと、
 彼女は一年前の短大卒で、学生新聞の主筆だった。それが認められて人事部労働課に配属され、社内誌記者としていまや一人前。
「才女だとみんな言ってるよ」
 まんざらでもない顔でぼくを見た。

 特集の一環として南紀熊野≠ェ速玉通信に出たあと、彼女から思わぬ手紙が知多寮のぼく宛に届いた。
「名古屋城で徳川家の秘宝展が催されています。よろしければご案内したいのですが」
 女性から先に手紙を受け取るのは生まれて初めてのこと。ぼくは舞い上がった。断るはずがない。
 初デートはぼくにしては大成功だった。次の約束を取り付けたのだ。そして……、二人は急接近していく。
 どこで聞きつけたか、湯川まで、「君、(しずか)ちゃんと仲いいんだって?!」
 次いで周囲に目をやりながら、
「労働課長がサ、彼女の胸の内を読んだようなんだよ。いい話だね」

 一年もたたず、結婚が交際の前提になっていた。もはや隠しようがなく、そうする必要もなかった。先頃(せんころ)人事課長に昇格して本社にいる湯川からも励ましの電話があった。

 …………………………
 それはぼくにとって悪夢以外の何ものでもない。突然の交通事故が彼女を奪った。社用車をあてがわれて、本社から星崎工場に向かっている途中だったという。
 トラックと正面衝突して社用車ははね飛ばされ、コンクリートの電柱に激突・破壊。同乗の上司は奇跡的に助かったが、彼女と運転手は即死だった…………。

朗読 20:33


目次 7. 寄り道
1. サラリーマン事始め 8. 内輪もめ
2. 仕事と私事 9. タイアップの行方
3. ペンステートの一年 10. 駐在員として
4. 身の丈を知る 11. 家族、体調
5. 新天地で 12. 倒れる
6. 輸出への道 13. HIAL、そして
閉じる