レストラン店主 (モスタル、10月8日) |
|
ドブロヴニクからプリトヴィッツェへの途中、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルという町を見物した。
昼食に立ち寄ったレストランで意外な出会いがあった。
初老の店主(お名前が聞き取れず、書いてもらったが、どのように発音したらいいのだろう? 失礼!)がにこにこしながら、隣りのテーブルの仲間たちに壁の2枚のモノクロ写真を説明している。現地言葉がほとんどのようで、たどたどしい英語がときどき混じる。聞き手は残念ながらチンプンカンプン、互いに顔を見合わせている。
ぼくも野次馬根性で思わず仲間入りした。 |
|
判じ物の説明をぼくなりに解釈すると、
店主は若かりし頃、同国サラエヴォのサッカー・チーム「FK. VELEZ」(プロ?)でゴールキーパーとして活躍した。日本サッカーの前監督イヴィチャ・オシム氏が同僚で中心選手だった。 |
|
オシム氏が数年前に脳梗塞で倒れたとき、順天堂浦安病院で総指揮を執った医師が脳神経内科科長のT教授だった。生死をさまようオシム氏を、医師団が献身的に治療したことは、連日マスコミ報道されて、広く知られている。
ぼくは持病で順天堂浦安病院に通院している。お世話になっているのがT先生だ。
テニス・スクールのコーチが大のオシム氏ファン。「チャンスがあれば、オシムさんとつながりのあるお土産をぜひ!」、冗談ともつかぬおねだりをいただいていた。
そんなことで、店主の話に余計に耳を集中した。
…………
店主は笑みを絶やすことなく、入れ替わり立ち替わり何度もぼくたちの写真に収まったり、サインをせがまれたり、大忙しだった。 |
|
帰ってT先生に、出来立ての写真集を印刷して手渡した。
「オシムさんはサラエヴォ大学で物理学を専攻していたのです。優秀な方で、その方面に嘱望されていたのですが、結局サッカーの道を歩むことになった……」
サッカーチームの写真を見つめながら、先生は、オシム氏にまつわるそれやこれやの話をされ、握手の手を差し伸べてくれた。
テニスのMコーチも、思わぬ土産話に頬をくずした。 |
|
 |
|
 |
|
|
|
 |
サッカー・チームの名 |
|
 |
レストラン店主の署名 |
|
 |
レストラン名 |
|
写真家 (プリトヴィッツェ湖群、10月9日) |
|
その日午前中はツアーの一員として湖群の見どころをハイキングした。昼食後は5時まで、実質3時間余りの自由行動だ。
妻とイラストマップを広げて相談し、同じ湖群でも別ルートを辿ることにした……。
彼女とはおよそ30分程度の出会いで、あいさつは交わしたがこれといった会話はしていない。当然ながらお名前も聞きそびれた。
1時間ほど歩いた頃、奇妙なアングルでカメラを構えている女性を見かける。距離をおいて後ろから、気づかれないように見つめる。何に向かって照準を合わせているのだろう。
撮り終えて、彼女はすたすた歩いていく。ぼくは彼女が構えていた位置で、同じアングルにカメラを向ける。音を立てて落下する水しぶきが見事な滝を、被写体から横に外しているところまではわかるが、照準は何なのだろう。首を傾げて、ぼくはシャッターを押さなかった。 |
|
 |
|
順路は一方向しかないから、ぼくたちは彼女のあとを追うことになる。別に急いでいるわけでなし、景色をパチリパチリする合間に彼女に注目した。彼女が立ち止まりシャッターを押したところで、同様にカメラを向けてみた。
単に観光で歩いているのではない。そこまではわかった。
「How are you?」と呼びかけると、ニコッと笑顔で応えた。知的! 文化欄担当の新聞記者だった。
邪魔にならないようにしながら、さらに後追いする。
うずくまり、岸辺の落ち葉に向かってシャッターを押した。彼女が去ったあと、そこに目を凝らしたが、ぼくの目には落ち葉以外に何も見当たらない。わけの分からないまま、ぼくも一枚撮ることにした。 |
|
 |
|
 |
|
別の湖へショートカットするボートに同乗して、下船後お別れした。途中少しは手ほどきも受けたのだが、センスの問題は如何ともし難く……。さわやかな方だった。 |
|
 |
|
朗読(16:22) on |