アラカルト 1
 道中、その他の思い出をここで記す。「食う寝る」のこと、出会い・ふれあい、垣間見。
ホテル・食事
 機中泊・機中食を別にして、ホテルは2連泊2度を含めて8泊、食事は毎日3食付きだった。
 取りたてて大満足のホテルの名前は挙げないでおこう。どのホテルも文句なしだったから。添乗員は「バスタブなし」を気にしていたが、妻は不満でなさそうだし、ぼくたちはシャワーで結構だった。
 湯の出もよかったし、洗面等の調度品も過不足なし。ベッドはどこも、安眠・熟睡できた。おかげでその日の疲れは概ね解消され、ややハードな翌日の旅を快適にしてくれた。
リュブリャーナ・リゾート・ホテル
 朝食は全てホテルにて。昨年6月のエジプト・トルコと比べるのはなんだが、水も野菜も何もかも、用心すべきことは全くなく、安気だった。
 コーヒーはストレートで飲んだりカプチーノにしたり。ヨーグルトは本場物。どのホテルも、ハム・ソーセージがいい。過食を戒めながらはつらかった。
 昼食・夕食でどこの何が不満だったろうか。思い出さない。とくに旨かったのは? これも思い出さないが、満足だったということ。毎食入れ替わりで旅の友と語らいながらは、食欲の助けにもなったし、美味しさも増したのだろう。
Hotel Petka(ドブロヴニク、10月6日)
旅の友
 旅を楽しくしてくれるのは旅先の風物だけではない。添乗員・ガイドの案内の良し悪しや、旅仲間との交流も明暗を分ける。
 山紫水明や歴史遺産を満喫した旅にあわせて、今回も同行の人々に恵まれた。
 …………
 添乗員のS氏。車中、わかりやすい情報提供はいつもの添乗員と同じ。旅を通して違いはそれとない気配り・決断……、「プロだなあ」と感心した。
 42歳。ぼくより二回り以上若い。それで年齢差を感じさせない。逆に20代の若者たちからも同じように受け入れられたようだ。真面目・自然体、ありがとう。
ブレッド湖観光でガイドのアリアさんと(10月4日)
 ツアー仲間は総勢32人だった。20代から80過ぎの方まで、まさに老若男女といってよい。
 バスの車中、昼食、夕食と、気軽な語らいを通して、日を追って気心もわかりあい、華やいだ道中になった。
 Sご夫妻との遭遇は「まえおき」で触れたとおり、互いに驚きだった。AAネット浦安で顔見知りの間柄だが、まさか!
 行きにエアポートバス乗り場のオリエンタルホテル玄関で目をあわす。どうやら同じ6時40分発のようだ。
 Sさんたち、「どちらへお出かけですか?」。「クロアチアへ」とぼくたち。「私たちもよ!」と目を丸くして奥さん。10日間の楽しいツアー仲間となった。
 F氏ご夫妻と親しくなった。お二人とも60代だがまだお勤めで、寸暇を利用しての旅とか。茨城弁の奥様、保険会社で法務担当のご主人。連日冗談交じりのやりとりに花が咲いた。
 旅行を前にして用意された旅先の情報一切合切を「よろしければ」と、F氏にいただいた。ずいぶん役に立っている。
 Gご夫妻。ご主人がときどきスケッチをしているのを見かけた。車中では簡易絵の具で色をつけている。ハガキ大の画用紙は何十枚になったろう。
 ときどき小型ノートに、縦書きのメモを認(したた)めている。俳句だった。
 「ね、あんな風にやっているんだよ」
 訳知り顔で妻に話した。俳画教室に通っている彼女も注目していたようで、うなずいた。
 腕の骨折をおして同行された奥様は、安心しきったような顔で景色を楽しんでいた。
 ビデオ三昧のH女史。活動的で朗らかで、絶えず場をもり立ててくれた。醤油・マヨネーズ・タバスコ……、5種類の和風味を持参していて、ぼくもご相伴(しょうばん)にあずかった。
 システム・エンジニアのお二人はまだ20代の女性。何度も食事をともにしてくれた。話は途切れることなく、大いに笑いあった。スペインに旅するときは、ぼくの話を参考にするだろう。
 …………
現地の出会い二題
レストラン店主 (モスタル、10月8日)
 ドブロヴニクからプリトヴィッツェへの途中、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタルという町を見物した。
 昼食に立ち寄ったレストランで意外な出会いがあった。
 初老の店主(お名前が聞き取れず、書いてもらったが、どのように発音したらいいのだろう? 失礼!)がにこにこしながら、隣りのテーブルの仲間たちに壁の2枚のモノクロ写真を説明している。現地言葉がほとんどのようで、たどたどしい英語がときどき混じる。聞き手は残念ながらチンプンカンプン、互いに顔を見合わせている。
 ぼくも野次馬根性で思わず仲間入りした。
 判じ物の説明をぼくなりに解釈すると、
 店主は若かりし頃、同国サラエヴォのサッカー・チーム「FK. VELEZ」(プロ?)でゴールキーパーとして活躍した。日本サッカーの前監督イヴィチャ・オシム氏が同僚で中心選手だった。
 オシム氏が数年前に脳梗塞で倒れたとき、順天堂浦安病院で総指揮を執った医師が脳神経内科科長のT教授だった。生死をさまようオシム氏を、医師団が献身的に治療したことは、連日マスコミ報道されて、広く知られている。
 ぼくは持病で順天堂浦安病院に通院している。お世話になっているのがT先生だ。
 テニス・スクールのコーチが大のオシム氏ファン。「チャンスがあれば、オシムさんとつながりのあるお土産をぜひ!」、冗談ともつかぬおねだりをいただいていた。
 そんなことで、店主の話に余計に耳を集中した。
 …………
 店主は笑みを絶やすことなく、入れ替わり立ち替わり何度もぼくたちの写真に収まったり、サインをせがまれたり、大忙しだった。
 帰ってT先生に、出来立ての写真集を印刷して手渡した。
 「オシムさんはサラエヴォ大学で物理学を専攻していたのです。優秀な方で、その方面に嘱望されていたのですが、結局サッカーの道を歩むことになった……」
 サッカーチームの写真を見つめながら、先生は、オシム氏にまつわるそれやこれやの話をされ、握手の手を差し伸べてくれた。
 テニスのMコーチも、思わぬ土産話に頬をくずした。
サッカー・チームの名
レストラン店主の署名
レストラン名
写真家 (プリトヴィッツェ湖群、10月9日)
 その日午前中はツアーの一員として湖群の見どころをハイキングした。昼食後は5時まで、実質3時間余りの自由行動だ。
 妻とイラストマップを広げて相談し、同じ湖群でも別ルートを辿ることにした……。
 彼女とはおよそ30分程度の出会いで、あいさつは交わしたがこれといった会話はしていない。当然ながらお名前も聞きそびれた。
 1時間ほど歩いた頃、奇妙なアングルでカメラを構えている女性を見かける。距離をおいて後ろから、気づかれないように見つめる。何に向かって照準を合わせているのだろう。
 撮り終えて、彼女はすたすた歩いていく。ぼくは彼女が構えていた位置で、同じアングルにカメラを向ける。音を立てて落下する水しぶきが見事な滝を、被写体から横に外しているところまではわかるが、照準は何なのだろう。首を傾げて、ぼくはシャッターを押さなかった。
 順路は一方向しかないから、ぼくたちは彼女のあとを追うことになる。別に急いでいるわけでなし、景色をパチリパチリする合間に彼女に注目した。彼女が立ち止まりシャッターを押したところで、同様にカメラを向けてみた。
 単に観光で歩いているのではない。そこまではわかった。
 「How are you?」と呼びかけると、ニコッと笑顔で応えた。知的! 文化欄担当の新聞記者だった。
 邪魔にならないようにしながら、さらに後追いする。
 うずくまり、岸辺の落ち葉に向かってシャッターを押した。彼女が去ったあと、そこに目を凝らしたが、ぼくの目には落ち葉以外に何も見当たらない。わけの分からないまま、ぼくも一枚撮ることにした。
 別の湖へショートカットするボートに同乗して、下船後お別れした。途中少しは手ほどきも受けたのだが、センスの問題は如何ともし難く……。さわやかな方だった。
朗読(16:22) on
<リュブリャーナ アラカルト2>
まえおき
往路、ブレッド湖(S)、
ポストイナ鍾乳洞(S)
プリトヴィッツェ湖群(C)
ザダール(C)、トロギール(C)、
スプリット(C)
リュブリャーナ(S)
ドブロクニク(C) アラカルト1
コトル(M)、モスタル(B) アラカルト2
(S):スロヴェニア、(C):クロアチア、
(M):モンテネグロ、(B):ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
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