午前中、プリトヴィッツェ湖群のリゾート・ホテルからリュブリャーナへ、国をまたいで北西に向かって290`走る。 |
|
旅を通して列車・鉄道を見かけたのは一、二度だけだったのではないか。比較的平坦な地域にしては、……。
スロヴェニアはまだしも、他の国はつい10数年前まで戦乱の真っ只中にあった。そこに鉄道が敷かれていたとすれば、うってつけの標的となったろう。その懸念がいまだ尾を引いているのかもしれない。勝手な想像をした。
スロヴェニアの首都リュブリャーナにはいって昼食。午後、この旅最後の観光となった。 |
|
 |
|
リュブリャーナは「ルネッサンス、バロック、アールヌーボーなど各様式の建築物が調和した小さな芸術の都」と、案内誌はいう。人口27万人。
500年にわたるローマ帝国の支配に続いて、オーストリア・ハンガリー帝国に組み込まれ、ハプスブルグ家のもとで発展を遂げてきた。現在はスロヴェニアの政治・経済の中心だそうだ。
丘の上に立つリュブリャーナ城、下を流れるリュブリャニツァという名の川。独特の自然景観と中世の面影を残す建物が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
屋根という屋根が柿色に朱を混ぜたような渋い色合いで広がっている。シックというか、肩の力が抜けたようで和んだ。 |
|
 |
|
…………
例によって旧市街をひと渡り案内される。というほど小さな区画のそぞろ歩きだ。足を伸ばせば違った景色・名所があるのだろうなと、想像をたくましくしながら、足元の観光に身を入れる。
あとは1時間ほど自由散策。プレシェーレン広場での集合を確認しあってから、妻と要所をもう一度見て回る。
途中こぢんまりしたカフェで縦長のイスに腰掛けて、「いちじくの何とか」という地のデザートをシェアしながらエスプレッソをすする。
露店の中央青果市場は賑やかで、果物売り場を探すと、あった。柿! 熟れていて、旨かった! |
|
 |
|
 |
|
 |
|
 |
|
近くに銀座三越のようなデパートがあり、入りたかったが果たせず。もう少し時間があればなあ。「スロヴェニアで買ったんだよ」と自慢すべく、ハンチングの購入を目論んでいたのだが……。 |
|
いわばどうでもいいことを、しかつめらしく言いたくはないが……。
「日光へ行ってきました」と言って、「日光のどこ?」と問い返されたとしよう。「東照宮ですよ」、当然の如く答えて、相手も「そうでしたね」と応じて会話がはずむ。
実は東照宮だけではないのだ、日光は。
東武日光駅に近い東照宮、輪王寺、二荒山神社の地区。
いろは坂を上ったところにある中禅寺湖、華厳の滝、明智平、中禅寺の地区。
奥日光の戦場ヶ原や、霧降高原を入れると、日光もいささか広い。
…………
リュブリャーナをあとにしながら、遠くの城を眺めてそんなことを連想した。 |
|
リュブリャーナの市街地自体、ルネッサンス、バロック、アールヌーボーなど、歴史的に顕著な様式の建築物が、調和した佇まいをなしているという。
ぼくたちはそのうち、プレシェーレン広場を基点に、フランシスコ教会を内覧し、市庁舎を眺め、三本橋と竜の橋を渡り、露店市場を見て回った。1時間半ほどで。旅って、またツアーってそんなものなのだが……。
行きそびれ、心残りのするところを拾うと、リュブリャーナ城は当然として、ティヴォリ公園、国立美術館、国立博物館。いずれもスロヴェニアの文化を味わう格好の要所だったはずだ。
旅の2日目に、日光なら霧降高原にあたる、郊外のポストイナ鍾乳洞を見物できただけ、よしとしよう。 |