コトル (10月7日) モンテネグロ
 午後、ドブロヴニクから国境をまたいで、コトルという古い町の一画を訪ねた。古代ギリシャの時代が起源だそうだが、現在の姿は、15世紀以降ヴェネツィアの支配下で軍事都市として発展した頃のものという。
 旧市街は城壁に囲まれ、カトリック教会が幾つもある。聖トリフォン大聖堂に入った。他に、聖ルカ教会、聖ニコラ教会、聖母マリア教会。そこに至るどの路地も狭い。
 しばらくその小さな旧市街をそぞろ歩きよろしく見て回る。連日このような街並みを味わっているから、ありがたみが……(もったいない話です)
 コトルはモンテネグロ共和国に属する。下の写真のとおり、入り組んだ湾の奥深いところに位置しているから、堅固な城塞港湾都市として栄えたことがうなずける。
 ローマ・カトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にある。よって両方の教会が並立している。
 この世界遺産の町が1979年の地震で甚大な被害を受けた。が、ユネスコなどの協力で復旧作業がはかどり、かつての姿を取り戻したという。
 コトルをあとにして、アドリア海沿いに切り立った崖道のドライブは、一方に白い石灰岩の山並み、「絶景かな!」の眺めだった。
 その帰り道、バルカン半島の名前につられて、いつぞやビデオで見たヒッチコック監督の初期作品「バルカン超特急」の映画名が浮かんだ。映画はモノクロで、原題名は「The Lady Vanishes」だが、日本名も耳慣れない事件の現場を直に伝えて、しっくりしている。
 確か中欧バルカン半島のどこか、架空の国での出来事だった。列車ごとが国際スパイ陰謀の舞台となって展開する……。
 モンテネグロからクロアチアへの国境を通過しても、道沿いの山に連なる糸杉はずっと続いている。「きれいだなあ」と感嘆しながら、「自然は同じなのだ」と、妙な感慨をもった。
 近道のためトンネルをくぐっても、糸杉はまだ続いていた。
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モスタル (10月8日)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
 ドブロヴニクでホテル・ペトカに2泊した2泊目、真っ暗がりの4時半起床。テレビをひねって見るともなくCNNに目をやる。南太平洋でまた地震が3回あったようだ。
 インドネシア・スマトラ島にマグニチュード7.6の大地震が襲ったのは、旅行出発数日前だった。震源地に近いバタン市の惨状が生々しく報道されたのは記憶に新しい。数千人の犠牲者が予想されている、といっていた。
 次いでフィリピン沖で地震・津波があり、昨日は南太平洋のサモア島近海でマグニチュード8.3の地震が起きたばかりだ。津波による被害者も含めて、犠牲者は200人とかいっている。
 杞憂に終わればいいが、どこもここも何か空恐ろしい予感がする。逃げ場のないパニック。
 ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォ(Sarajevo)は訪れなかった。サッカー日本代表の監督だったイヴィチャ・オシム氏(Ivica Osim)のふる里で、友人から「何か記念になるようなおみやげ」をねだられていた手前、残念な気がしていた。
 この町モスタルで意外な出会いがあった。昼食に入ったレストランの主人だ。往年、サッカーチーム「FK. VELEZ」でオシム氏と一緒に活躍したとか。そのことは終章で触れる。
 モスタルは、旧ユーゴスラヴィアの一角であるボスニア・ヘルツェゴヴィナの南部に位置し、同国2番目の人口を有する。約11万人。
 朝ドブロヴニクのホテルを発って、140`を3時間近くかけて走る。繁華街とは少し離れた駐車場でバスを下りて、レストランまでしばらく歩く。
 オスマン朝時代の影響を残すというモスタルは、これまでの各都市とはひと味違って独特の雰囲気がある。西洋と東洋が同居している。
 昼食のあと、賑やかな通りやひと渡り要所を巡ったあと、フリータイムをとった。
 渓谷を流れるネレトヴァ川に架かった名物の石橋(Stari Most)界隈は観光客でごった返していた。狭い路地の両サイドはみやげ物屋オンパレード。どの店も商売繁盛は見て取れた。それでも店員たちの物腰は、どこかの国のように売らんかな攻勢の性急さは感じられず、かといって居丈高でもない。温かみのある雰囲気を味わえた。
 モスクのミナレットがここにもあそこにも……、トルコ旅行を思い出した。カトリック教会もあるところが彼の国と違う。
 通りがかりに弾痕がちりばめられた家壁が軒並み目につく。1992年に独立宣言したあと、この町もユーゴスラヴィア連邦の攻撃を受けた。追い打ちをかけて共闘していたボスニア人とクロアチア人の戦闘と、世に知られる「ボスニア紛争」の生々しい傷跡だ。
 石橋は1993年に破壊され、2004年に復旧されたそうだ。旅を通じて他の町も何らかの戦闘の名残をとどめていたが、モスタルはとくにひどかった。
 数時間だけの立ち寄りだが、印象に残る町だった。
 それは気のよさそうなレストラン店主のホスピタリティや路地と石橋界隈の大賑わいのせいばかりではない。戦争にメチャメチャにされながらも、まだ失っていない落ち着いた伝統……、そんな感想すら抱かせる町の佇まいだった。
 午後2時までこの町を見物したあと、北へ300`先にあるクロアチアのプリトヴィッツェへ。
 バスは高速道路を疾走するが、途中ぼくの時計で6時26分に日没。景色が闇に吸い込まれたあと、向こうに満月が見えた。
朗読(11:11) on
<ドブロクニク プリトヴィッツェ湖群>
まえおき
往路、ブレッド湖(S)、
ポストイナ鍾乳洞(S)
プリトヴィッツェ湖群(C)
ザダール(C)、トロギール(C)、
スプリット(C)
リュブリャーナ(S)
ドブロクニク(C) アラカルト1
コトル(M)、モスタル(B) アラカルト2
(S):スロヴェニア、(C):クロアチア、
(M):モンテネグロ、(B):ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
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