1 出発まで 6 トルコの観光
2 ギザの三大ピラミッド 7 EURO 2008
3 オールド・カイロ 8 カイロ近郊のピラミッドと遺跡
4 アレキサンドリア 9 旅を終えて
5 イスタンブール
Part7 EURO 2008
 前日(6月11日)はパムッカレの遺跡と石灰棚を観光した。石灰棚では、裸足でじゃぶじゃぶ入って、各国からの観光客やロシアの美女たちと天然温泉を楽しんだ。
 遅い昼食のあと、パムッカレからコンヤまで400`を5時間かけて移動する車中で、ガイドのナジ氏は興奮していた。
 「今月7日からUEFAの欧州選手権(Euro 2008)がはじまりました。トルコはAグループです。初戦でポルトガルに負けました。今夜スイスに負けると終わりです。9時からテレビ放映があります。ロビーの大型スクリーンで観戦できますし、私はそこにいます。みなさん、応援してください」
 ホテルで夕食、部屋に帰って少しテレビ観戦したが、そのまま眠ってしまった。
 試合は1対1のまま後半もずっとデッドヒートだったらしい。
 朝テレビをつけたが、あいにくサッカーのニュースは出てこない。そのままロビーへ急ぐ。
「どうでした?」と訊くわけにもいかず……、仲間も取りたてて話題にしていない。やはり負けたのか?
 ナジ氏がにこにこ顔でやって来た。一部の仲間が拍手を送る。
「みなさん応援ありがとうございました。わが国の勝利です。すごい試合だった!」
 スイスのバーゼルで行われたこの試合、途中トルコが追いついて1対1で最後までもつれ込み、終了間際にトルコが劇的逆転のゴール。大方の予想を覆した大勝利だった(とナジ氏)。
 これで15日に行われるチェコとの試合に勝てば8強に進む。「勝ってほしいけど、私たちは昨夜で満足です。選手を称えます、8強にならなくても」
(……後日談がまたすごい。ナジ氏の顔はくしゃくしゃになっているだろう。15日はジュネーブでチェコに3対2の逆転勝ち。20日にウィーンで行われた準々決勝の相手はクロアチアだった。この試合もトルコの驚異的な粘りでもつれにもつれ、延長戦でも決着がつかず、PK戦を3対1でトルコが制して三度目の逆転勝利。
 準決勝はドイツに3対2で惜敗したが、堂々の3位に輝いた。あの時のナジ氏の様子では、トルコのだれ一人として夢想だにしなかった栄光ではないか)。
 6月25日、スペインがドイツを1対0で破って選手権を制したことは日本のメディアでも大きく報じられたところである。
 西欧、東欧、今回のエジプト・トルコを旅して、いずれも国を挙げてのサッカーへの熱狂に圧倒された。東南アジアでもそんなことがあった気がする。
 熱狂≠ヘ並みではない。日本ではいかなるスポーツでも、いやスポーツに限らず、このようなことがあろうか。
 「ニッポン、チャチャチャ!」にしても、国民こぞってとは言い難い。一昨年、日本が世界一になった野球のWBCだって、彼の国々のサッカーほどの熱狂ぶりだっただろうか。
 国旗というか、旗印の大切さと意味合いを味わわされた。国内のチーム同士が戦う場合は、町それぞれがチームの旗を打ち振るって沸き返り、国と国が戦う場合は「国を挙げて」が凄まじい。
 民族・宗教・思想・経済・政治……なかなか手を繋ぎあえず、戦火治まらない地域。小競り合い絶え間なく、一触即発の火種等々、ニュースに事欠かない中東・アフリカ大陸だが、なぜどこも破滅の終局に至らないのだろうか。

 サッカー文化。これが火種になる場合もないとはいえないが、大概は小競り合いで和解している。陰湿ないがみ合いにまで発展していない。
 サッカーを核とした各国間の競争意識、連帯意識は、少なくともぼくの理解を超えている。あれだけ雑多な人種の寄り集まりが、日常は日本のわれわれ以上に和気あいあいとしている。より本音に近そうである。男女間を問わず、出会ったときの握手、抱擁……、とても真似ようがない。
 ベースボール文化。アメリカを中心に、中南米、日本、韓国、台湾、オーストラリア……。興奮のるつぼ、何らかの「旗の下に」の結束、対抗意識と和解、町・国を挙げての勝利の美酒、リベンジの誓い……どれをとっても盛り上がりが常識の範囲なのは、風土や地勢の要素だけでもなさそうだ。相撲は取り上げるまでもない。
 サッカーというスポーツを通した平和を、この旅行でも味わった。

【メモ】
UEFA(欧州サッカー連盟)
 Union des Associations Europeennes de Football
 Union of European Association(英語)
 そのChampions Leagueは1955年にはじまり、UEFA加盟は32チームで、毎年開催されている。
FIFA(国際サッカー連盟)
 Federation of International Football Association
 Soccerと呼ばずにFootball、なぜ?
 英国では、ラグビーをRugby Football、サッカーをAssociation Footballとか。
 「フットボールをサッカーなどと呼んでいる国は日本とアメリカ合衆国くらいのもので、かつてはその仲間だったオーストラリアでさえ、最近はFOOTBALL≠ニ呼ぶ運動が展開されている」(小谷泰介氏のブログ)

 ここで、エジプトとトルコでお世話になった2人のガイドについて述べる。
 お二人ともガイドの資質・能力については文句のつけようがない。ユーモラス、博識、気配り、労をいとわない……。添乗員によれば、「どのガイドさんも素晴らしいですよ」だから、ぼくたちが例外的ではなかったのかもしれない。がやはり、ラッキーだったと言っておく。「真面目で熱心」、両人に共通して感じた。
エジプトのラファット氏(Raafat Saadawy)
 深夜カイロ空港まで出迎え、翌日から都合4日間、カイロと近郊のガイドを務めてくれた。
 親しみのある顔立ちで、日本語も極めて流暢。英語もフランス語も……何ヶ国語を話せるのだろう。カイロ大学外国語科出身で、日本語を専攻したよし。名古屋の大学に1年間留学したと言っていた。
 落ち着いていて、ゆとりがある。初対面から救われた気がした。

 6月5日、まずは朝のあいさつ「サバーヒルヘール」(おはよう)。「みなさんのご返事は?」と問いかけて、「サバヒンヌールです。ちょっと難しいかな?」とみんなの顔色をうかがう。三度あいさつを唱和させてから本題にはいる。
 全員の時差ボケと睡眠不足を気遣いながら、それでも朗らかに当日のスケジュールを説明する。おかげで一同華やいだ気分になり、観光スタートの「ギザの三大ピラミッド」を楽しく巡ることができた。

 ラファット先生によるその他のにわかアラビア語授業
こんにちは……アッサラーム、アレイコム
ありがとう……ショクラン
ノーサンキュー……ラー、ショクラン
すみませんが……ラウ・サマフトゥ
いくら?……ベッカム?
高いよ!……ガーリ、ガーリ!
私は日本人です(男)……アナヤバーニ
私は日本人です(女)……アメヤバネイヤ
 エジプト歴史の授業も、道々当然あったのだが…………
 「日本では『今日できることを明日に延ばすな』と言いますね。エジプトでは『明日できることを今日するな』です」。
 「私たちはイスラム教のスンニ派です。これからみなさんが行くトルコもそうですね。そんなに厳しくないのですが、ほとんどのムスリム(イスラム教徒)は、次の五行を守っています」。
シハーダ  告白「アッラーの他に神はない。ムハンマドは神の使徒である」
サラー  礼拝(1日5回メッカに向かって祈る。小学2年から暗唱している)
ザカート  喜捨(富める者は貧しい者に施しをする)
サウム  断食(ラマダン月、日中はなにも食べない。夜は贅沢な楽しい祭)
ハッジ  巡礼(一生に一度はメッカに巡礼すること)
トルコのナジ氏からも、同じことを聞いた。
 「車はまだ国内では生産していません。が、外国品を組み立て販売しています。大半がFiat、Pujo、Benzです。他にもHyundai、Opelがあり、日本のSuzuki、Nissanも仲間入りしました。価格は日本より少し安いかな?
 ガソリン代は1.75£E/litre(リッターあたり35円)です。いかがですか?」
 ナジ氏によれば、トルコのガソリン代は高い。
リッターあたり約300円。産油国であるかないかの差とはいえ……。
 「日本では佐藤さん、山本さん、伊藤さんといったお名前がポピュラーですね。エジプトのポピュラーな名前は、上から順に、@マハメッド、Aアハメッド、Bマハムード、Cハッサン、Dアリ。この5つで75%を占めます」。
トルコのナジ氏(Naci Akkan)
 6月8日午後2時過ぎにイスタンブール空港に着いてから、14日の午後同空港を発ってカイロに戻るまでの7日間、たっぷりとお世話になった。
 日本語はエジプトのラファット氏同様流暢。精力的。話術は天性のものか、状況に応じた話題、関連の話、逸話……、聞く側の注意をそらすことはなかった。
 カセットテープで江利チエミの「ウスクダラ」と「シシケバブ」を聞かせてくれた。
 学生時代、バンドのボーカルをやっていたらしく、得意ののども披露した。「飛んでイスタンブール」。なんとも話題豊富な、タフガイだった。

 トルコ2日目、イスタンブールからトロイへ向かう途中でこう言う。「みなさん25人のお名前を私が覚えられると思いますか?」
 日本語堪能とはいえ、トルコ人が日本人の名前をである。みんなの「まさか!」に大きくうなずいてから、名簿の名を一人一人の顔と照合していく。ひと渡り終わって名簿を閉じた。
 トルコ7日目、一行がイスタンブール空港を飛び立つまで、だれ一人の名前を間違えることがないばかりか、どんなときも一人一人に「○○さん」と名前で呼びかけた。もちろんぼくには「小芝さん」、妻には「小芝さんの奥さん」だった。

 「1923年にムスタファ・ケマル・アタテュルク(旧名パシャ)指導のもとにトルコが民主・共和制になり、政府がアンカラに移るまで、イスタンブールは、4世紀から1600年にわたって帝国首都として君臨してきました。
ローマ帝国→東ローマ帝国→ビザンツ帝国→オスマントルコ大帝国
 ボスポラス海峡を挟んで、アジアとヨーロッパの架け橋になっています。人口は約900万人で、首都アンカラの2倍はあり、文化・経済の中心地です。みなさんは観光ですから光≠フ部分を主として巡りますが、陰≠フ部分も含めて、イスタンブールはどんどん前進しています…………」
 「トルコの人口7500万人の75%が35歳未満です。毎年30万人増えています。トルコは再びこれからの国≠ナす。活気に満ちています。EUに加盟はならないと思いますが、それでいいのです。EUもアラブ諸国もトルコと仲良くせざるを得ないのです」。
 「四つの海に囲まれた豊穣の地です。農産物は自給で、輸出しています。果物も、スイカ、メロン、ひまわり、オレンジ、リンゴ、ブドウ、サクランボ、梅、桃、アンズ……。トルコ最大の産業は自動車と織物です」。
 「トルコは35氏族からなる混血の国です。共和国であると同時に民主主義の国、イスラム文化の国です」。
 「ムスリム(イスラム教徒)は世界中に分布しています(世界人口の20-30%?)が、そのうちシーア派が大勢を占める国はイラン、イラク、レバノン、サウジアラビアの南部、バーレーン、オマーンといったところで、他はスンニ派の国々です。コーランの支配する国をめざす原理主義者はイスラム圏の20%(?)といわれています。トルコでは3%、コンヤに住んでる人が多いです」。
 「トルコ、イタリア、ギリシャ、スペインの共通項は? うるさい≠ナす。そうではありませんか?
 トルコ人はアラブ人をあまり好きではありません。イギリスのウィンストン・チャーチルは大嫌い。第二次大戦で30万人も殺したから。
 中国製品はトルコの敵です。安いものは全部中国製ですから気をつけてください。粗悪!
 日本と日本人は大好き、トルコ人のほとんどがそう思ってますよ」。
 ナジ氏もあいさつや話の中にトルコ語を挟んだ。日本語的発音でも十分通じると、覚える意欲をかき立てた。メモって、ぼくもよく使った。全て通じたようで、相手の反応で理解できた。たどたどしくても、現地語は即座に笑顔の交流というご利益を与えてくれた。
ギュナイドン(おはよう)
メルハバ(こんにちは)
イイ、ギュンレル(さよなら)
メルシ(ありがとう)
サーオル(おおきに)
ナスルスン?(元気ですか?)
チョーイ(元気です)
パルドン(すみません)
アンマラドウム(わかりません)
アンラドウム(わかりました)
ベンジャポヌム(私は日本人です)
アドムコシバ(私は小芝です)
ブネカダル?(いくらですか?)
サアトカチ?(何時ですか?)
バカルムスヌズ!(ちょっとお願い!)
イスハルオルドウム(下痢です)
朗読(21'38") on
<Part6 Part8>
1 出発まで 6 トルコの観光
2 ギザの三大ピラミッド 7 EURO 2008
3 オールド・カイロ 8 カイロ近郊のピラミッドと遺跡
4 アレキサンドリア 9 旅を終えて
5 イスタンブール
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 2010年の多分5月下旬、長野県上田市にお住まいの小宮山量平先生に電話させていただいた。
 誕生日が同じ先生への「94歳の誕生日おめでとうございます」が用件だったはずだ。
 しばらくして先生から便りをいただいた。先生がサッカーファンであることをはじめて知った。
 サッカーとのつながりということで、ここに掲載させていただく。2010年6月11日付の朝日新聞の記事とともに。
<Part6 Part8>
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