Part2 ギザのホテルと三大ピラミッド |
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Pyramids Park Intercontinental Hotel |
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このホテルに都合5泊した。到着日の6月4日から4泊と、最終日(6月14日)である。
大カイロはナイル川で東西に分かれ、東側が市の中心。中洲をなすケズィーラ島経由の橋を渡ると西側のギザに着く。三大ピラミッドはこの町の中にある。
ホテルはピラミッドまで車で10分という便利なところにあった。佇まいはリゾートホテルそのものだ。
ロビーやレストラン、ショップ等が集合した四階建てのセンターホールがあって、前には自慢の大プールが配されている。日没まで、ホテルでくつろぐ観光客の憩いの場である。
二階建てのコテージが七、八軒、プールをぐるっと取り巻いている。各コテージは50室ほどで、カジュアルな気分を味わえる。アガサ・クリスティの「ナイル殺人事件」の舞台になったホテルと似ている。
海水パンツを持参しながらプールには入り損ねた。チャンスはあったが、疲れと億劫さ≠ノ負けた。
部屋は文句のつけようがない。ベッド、シャワー、洗面台、くつろぎの椅子……、強いてあら探しをすればテレビだけ。シャワーですっきりして、寝る前のひととき、日本語のニュースでもあれば。それはかなわず、CNNで我慢した。なぜかBBCは音声が出ず、あとの20チャンネル以上は言葉の分からない番組だった。
朝食は残念だった。センターホール2階の眺めのいい会場で、ビュッフェスタイルはエジプト料理満載にも拘わらず、ありきたりの軽食しか味わえなかった。すべて水道水恐怖症と、添乗員とガイドのアドバイス「生野菜はほどほどに」をオーバーに信じたことによる。「もし」が当たれば一巻の終わり!
「ゆったり滞在するのだったらなあ」、恨めしくお預けしたメニューを妄想的に並べると……、
まずはカルカデーア(ハイビスカスの花びらを煎じたというジュース)でスカッとのどをうるおし、スープはショルバト・アドゥス(レンズ豆)。アホワ(コーヒー)を飲みながら、アエーシ(パン)をそのままちぎって食べ、コフタ(細長いミートボール)とファルハ・マシュウィー(鶏肉のグリル)を1個ずつ。シャーイ(紅茶)で仕上げ。
試したい料理、飲み物が他にもずらり。いまも悔やんでいる。
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ギザの三大ピラミッド |
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写真は「某日@某所」をご覧いただくとして、ここでは印象に残った幾つかを書く。
前日は機中14時間で午前様のホテル到着。睡眠3時間程度で朝を迎えた。(6月5日)
夫婦して気分優れないまま、一行25人の一員としてホテルを9時出発。すぐに三大ピラミッドに着いた。浦安のマンションから自転車で往復する舞浜ディズニーリゾートまでの距離と変わらない。
雨のない国は当然ながら快晴。すでに35度のこの時間帯も、湿気がない分さほど暑くない。そよ風が心地よい。砂嵐はなし。
都会的なピラミッドとはよくいったもの。整っている。もっと素朴で荒々しく、周囲も見渡す限りの砂漠が頭にあったから、ちょっとした驚きだ。
それを言うとガイドのラファット氏、「最終日に案内するところで、ご想像のピラミッドをお目にかけられるでしょう」。
小さなのも含めるとまだいくつもあるようだが、三大ピラミッドはバスで数分といったところにかたまって配されていた。
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クフ王のピラミッド
本来の高さは146bだった
が、現在は頂上部がなく
なったため137b。 |
カフラー王のピラミッド
高さ143b。表面の化粧岩が
上部と下部の一部にそのまま
残っている。 |
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メンカウラー王のピラミッド
高さ65.5b。
向こうはリビア砂漠。 |
スフィンクス
全長57b、高さ20b。
アラブ人の侵入で鼻が削られ、
イギリス人にあごひげを持ち
去られたという。 |
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やはり古代文明の象徴である。眠気は吹っ飛んだ。これで一つの目的を果たした気持ちになる。臨場感まで写真で伝えられないとしても、それぞれが絵になっている。がむしゃらにシャッターを押した。
クフ王のピラミッドに入った。内部は撮影禁止で、カメラは添乗員に預ける。
石段を20,30b上っていくと盗掘用として開けられたという入口がある。ここで身体検査があり、入場券をもぎってもらう。男女5,6人でやっていた。
中は暗い。洞穴は紀元前二千六百年代に建設した原型そのまま。急傾斜を鈍い光の電球が等間隔で照らしている。足下に要注意。く≠フ字に腰をかがめて、手すりにつかまりながら、小さな踊り場を何度も通過して上っていく。100b足らずの距離にもかかわらず、息が乱れた。
突き当たりの玄室は狭い空間だけだった。棺や副葬品は持ち去られてしまったのか整理したのか、なんの変哲もないがらんどうだ。それを確かめたという感じで、再び一列縦隊の一員となって、腰をかがめて、100b足らずを戻る。急傾斜の下りは余計に骨が折れる。足下は横棒の滑り止めで助かったが、結構しんどかった。3日間ほど腿(もも)の痛みは取れなかった。
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地形雑感 |
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イスラム圏の二国を旅している。手元の地図によれば、
エジプトは、「西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルと接しており、北に地中海、東は紅海に面している。南から北に向かって流れるナイル川の渓谷とデルタ地帯のほかは大部分が砂漠である。ナイル河口の東に紅海と地中海を結ぶスエズ運河がある」(Wikipedia)。アフリカ大陸の東北端で、イスラエルと国を接するシナイ半島もエジプトの領土だ。真四角の国土面積は日本の三倍の広さで、緯度的には沖縄が中央部にあたる。
アフリカ大陸にありながら、アフリカと区別して分類される場合が多い。宗教的・文化的・経済的側面から、それを納得させられた。国名「エジプト・アラブ共和国」が示すように、政治的にもイスラム・アラブ諸国に属していることは間違いない。
紅海の東側にまさかり≠フ形をしたアラビア半島が横たわっている。大半をサウジアラビアが占め、ぐるりに散らばっている小国を含めて、全てが石油産出国だ。先日AAネットの一行で六本木のサウジアラビア大使館を訪れた。帰ってから地図で確かめたこともあり、この国には親近感がある。
トルコは、エジプトから北へ陸路を行くと、イスラエル、ヨルダン、レバノン、シリアを越えたところに位置している。ずんぐりむっくりの横長の形をした国土面積は日本の二倍強で、緯度は本州とほぼ同じだ。
この国も複雑な地形にある。周囲の国はというと、
エーゲ海を隔てた西にギリシャ、東はイラク、イラン、そしてグルジア、アルメニアといった旧ロシアの小国。黒海を隔てたブルガリア、ルーマニア等に言及すれば、きりがない。イスタンブールはボスポラス海峡を挟んで、西洋とアジアの橋渡しをしている。
ぐるりに火種がくすぶっていることが見て取れる。どこが暴発しても火の粉をかぶるに違いない。西洋という文化の異なる国々、同じ宗教のイスラムといってもトルコのスンニ派に対してシーヤ派の国々。地形以上に入り組んでいるのだろう。
エジプトと違って、トルコは概ね四季もあり、雨も降る。日本ほどの雨量ではないが、大の農業国である。
実際、日本をど真ん中にした世界地図では、西の果ての両国が位置する地域は、(少なくともぼくには)最も疎遠であったといえる。よく見ると、なんと複雑多岐な国境で、当然ながら自国のエゴをあらわにした国々がきびすを接していることか。
それら異なった民族が固有の文化・歴史・言語・風俗を有している。これに宗教の違いや、オイル産出の運不運(トルコはオイルが出ない)、国際間の駆け引きが絡めば手に負えない。どこで地雷が爆発するか、薄気味悪い地勢なんだなあ。そんな意識も去来しながら、13日間の旅がはじまっている。
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朗読(14'12") on |