1 出発まで 6 トルコの観光
2 ギザの三大ピラミッド 7 EURO 2008
3 オールド・カイロ 8 カイロ近郊のピラミッドと遺跡
4 アレキサンドリア 9 旅を終えて
5 イスタンブール
Part4 アレキサンドリア
 4日目(6月7日)は日帰りでアレキサンドリアを見物した。
 9時半カイロ・ラムセス駅発の特急で、11時20分にアレキサンドリア着。途中4駅停車した。
 添乗員の忠告どおり、列車内は寒かった。集中冷房が効き過ぎて、融通がきかない。妻の腕が鳥肌になっている。二人ともジャケットを羽織ってやっとしのげた。帰りも同じ。

 アレキサンドリア。この町、ナイル川の河口にあって、地中海に面したエジプト第2の都市だ。

 紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設され、大王が33歳で亡くなったあと、プトレマイオス朝時代にエジプトの首都がここに置かれた。そして、地中海世界の文化の中心地として全盛期を迎える…………
 首都がカイロに移って以降、19世紀の近代化がはじまるまで、廃墟の多いさびれた港町だったが、ムハンマド・アリ朝になって、西欧化の波が押し寄せてくるとともに復権した。
 現在はヨーロッパの歴史と色彩が感じられる、バカンスの街でもある。
 ナイル川について。地図で調べると……
 母なるナイルの源は、エジプトのはるか南、アフリカ大陸中央東よりにあるブルンジという国の山岳になっている。
 その急流が、ケニア・ウガンダ・タンザニアに囲まれたビクトリア湖に一旦入り、そこを起点とした大河が、途中幾つもの川と合流し、アスワンでエジプト領内に入る。
 この国を北に向かって縦断し、河口のアレキサンドリアで地中海に注ぐ。
 全長6650q。世界一の長さを誇り、流域は6ヶ国に及んでいる。ちょうど札幌から沖縄・那覇までの3倍の距離ということになる。
 市内観光に向かう途中で、海辺に下りた。波打ち際でしゃがみ、石ころを5つ拾った。

水差しの中はサッカラの階段ピラミッド近くの砂、
トレイの中、アレキサンドリア海岸波打ち際の石ころ、
ベルの上で踊っているのはイスラムの僧、
カッパドキアの陶器専門店で求めたマグカップ、
正面はパピルスに描かれた絵。
ポンペイの柱
 日本ならさしずめカラッとした夏の空。いい観光になった。
 「ポンペイ」の名で知られるこの柱は、西暦293年に、ローマ皇帝ディオクレティアヌスによって建立された。高さ27b、胴回り8b、アスワンの赤色花崗岩でできているという。
 神殿セラペウムに付属する図書館の柱の1本で、当時は同様の柱が400本あったとか。運搬にナイル川が重要な役割を果たしたとはいえ、エジプト南端のアスワンから北端のここまで、どのようにして?
 西暦391年、キリスト教徒によって神殿が破壊され、図書館を偲ぶものとしてはこの柱1本だけが残っている。
 地下の図書館跡が生々しく、印象に残った。通り道に並ぶ発掘品も見応えがあった。
 「コームッシュアーファのカタコンベ」という地下にある古代からの墓を見物した。
 99段の階段を下りたようだが、階段自体が入り組んでいて、途中で数えるのをやめた。100円ショップの懐中電灯が役に立った。
 本来は貴族の墓だったのが、3世紀以降一般の共同墓地になったとか。
 近年まで砂地に埋もれて不明だったが、その上を歩いていたロバの重みで砂が崩れ落ちて、発見されたという。
アレキサンドリア国立博物館
 この項、「四大文明、エジプト編」(NHK出版)で大里智之氏が書いた『そしてピラミッドがつくられた』を参考にした。
 クレオパトラの都市アレキサンドリア。その地中海に面した海底に、首の欠けたスフィンクスや巨大な石柱、ヒエログリフの石碑、石像の頭、石畳の跡……古代の残骸が横たわっている!
 いまから10年と少し前のニュースである。ひょっとしてクレオパトラにまつわる遺跡が、しかも海中に!

 クレオパトラと名のつく王妃は、プトレマイオスが国王の座についた紀元前305年から7人いたそうだが、有名なあの女王は、紀元前51年に王位に就いたクレオパトラ7世だという。
 紀元1400年頃に起きた大地震で、当時の遺跡がことごとく海底に沈んでしまい、今日に至っている。いま、海底探索によって、数々の遺物とともに、謎の女王の実態が解き明かされようとしている。
 大里氏によれば、フランス隊が調査をはじめて5年たった2000年現在で、2000点以上の遺物が発見された。スフィンクスだけでも25点あり、10bのオベリスク、宮殿の庭園と思われる石畳の跡、金の指輪、神殿の門の跡、神々の像、ヒエログリフが刻まれたレリーフ……。 
 こうした古代エジプトの遺物に加えて、ギリシャ風の遺物も多く見つかっている。ギリシャ風の彫刻を有する石柱、高貴な女性のギリシャ彫刻。アレキサンドリアが当時から国際都市だったことの証(あかし)だ。
 遺物を海底から引き揚げることはエジプト政府が禁じている。特別許可を得て引き揚げられた遺物の大半が、ローマン・シアター公園に野外展示されているという。

 さてクレオパトラ。
 残念ながら、ずばりの遺物は「クレオパトラ・コイン」だけとか。クレオパトラ治世のときに発行されたコインだそうで、直径2aのブロンズ製。グレコ・ローマン博物館に7枚ある(たしか、この国立博物館にも……)。表面にギリシャ語でクレオパトラの名前が記され、裏面は「髪を後ろで結わえ、遠くをキリッと見つめる美女の横顔」。
 ここ「アレキサンドリア国立博物館」2階にも、海底からの発掘品が相当量展示されていた。

朗読(10'20") on
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