フランスの旅から半年、ソメイヨシノも散った頃、新聞広告に目が止まった。『エジプト・トルコ13日間』。5月から7月にかけて、いくつも日程が用意されている。
少し早過ぎるかなあ。体調もいいし……、体力のあるうちに。
それとなく妻に話したら、「私はどちらでも」。いつにないいい返事で即決、『6月4日出発』を申し込んだ。29人の定員で、残席8人だった。 |
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ピラミッドを直に見たことのある人がこぞってすすめるほどには、エジプトに対するぼくの関心は低かった。トルコはずっと「エキゾチックな国」との意識はあったが、「無理してまでも……」の旅先である。
つまり、妻と連れだっての安気な海外旅行先としては二の次で、オーストラリア、アメリカ西海岸、北欧、シンガポール・マレーシア……、先に行きたいところがいくらでもある。もう一度行きたいところもあるし……ロンドン、パリ、ドイツ、チェコ。
で、なぜこの旅。衝動半分は認めるとして、今をおいて難しい行き先の随一≠セからだ。
両国ともイスラム圏で、人種・言葉・生活習慣・価値観が違い、地図を広げると日本からは地の果てに近い。申し込んだものの、なんだか胸騒ぎがする。妻にそんな素振りを悟られないように注意しながら、出発までの1ヶ月足らずを予習にあてることにした。
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エジプトという国、トルコという国 |
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エジプト |
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トルコ |
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国名 |
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エジプトアラブ共和国 |
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トルコ共和国 |
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面積 |
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約100万平方q
(日本の3倍弱) |
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約81.5平方q
(日本の2倍強) |
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人口 |
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約7257万人(2006年) |
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約7041万人(2006年) |
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首都 |
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カイロ(2000万人)、北緯30度(屋久島とほぼ同じ) |
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アンカラ(340万人)、北緯39.6度、東京より少し北
イスタンブール(880万人)は北緯41度、青森県とほぼ同じ |
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元首 |
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ムバラク大統領 |
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ギュル大統領 |
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政体 |
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共和国、大統領制 |
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共和国、大統領制 |
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民族構成 |
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アラブ人、少数のヌビア人 |
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トルコ人、クルド人など |
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宗教 |
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イスラム教スンニ派90%、キリスト教コプト派7% |
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イスラム教(主としてスンニ派)99% |
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言語 |
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アラビア語 |
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トルコ語 |
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通貨 |
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エジプトポンド£E
1£E=約20円 |
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新トルコリラ(YTL)
1YTL=90円 |
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電圧とプラグ |
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220V、Cタイプ |
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220V、Cタイプ |
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気候 |
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35℃-15℃、雨なし |
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各地で違うが、ほぼ東京と同じ |
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時差 |
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-6時間(サマータイム) |
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-6時間(サマータイム) |
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観光予定 |
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エジプトのピラミッドとトルコのカッパドキアは行ってみたいと思っていた。案内書によれば、こんなところを巡るようである。
ガイドブックを購入して、その箇所を読んでおくことにする。 |
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エジプト |
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・メンフィスとその墓地遺跡
・ギザの三大ピラミッド
・オールド・カイロ
・カイロ近郊のピラミッドと遺跡
・エジプト考古学博物館
・ハン・ハリーリ市場
・アレキサンドリア |
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トルコ |
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・トロイの古代遺跡
・エフェス遺跡
・ヒエラポリス、パムッカレ
・コンヤ
・カッパドキアの奇岩群
・ギョレメ野外公園、ゼルベ野外公園
・イスタンブール歴史地区 |
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出発1週間前に日程表を宅配便で受け取った。このスケジュールに沿って進行するはずである。 |
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月日 |
場所 |
行程 |
06/04
(水) |
成田発
カイロ着 |
15:30 MS-965
23:45
(ギザ泊) |
05(木) |
ギザ→カイロ→ギザ |
3大ピラミッド
カイロ観光
(ギザ泊) |
06(金) |
ギザ→カイロ→ギザ |
カイロ観光
(ギザ泊) |
07(土) |
ギザ→カイロ→アレキサンドリア→カイロ→ギザ |
アレキサンドリア観光
(ギザ泊) |
08(日) |
カイロ→イスタンブール |
イスタンブール歴史地域観光
(イスタンブール泊) |
09(月) |
イスタンブール→トロイ→アイワルク |
トロイの古代遺跡観光
(アイワルク泊) |
10(火) |
アイワルク→エフェス→パムッカレ |
エフェス観光
(パムッカレ泊) |
11(水) |
パムッカレ→コンヤ |
ヒエラポリス・パムッカレ観光
コンヤ観光
(コンヤ泊) |
12(木) |
コンヤ→カッパドキア |
ギョレメ国立公園・カッパドキア観光
(カッパドキア泊) |
13(金) |
カッパドキア→アンカラ→イスタンブール |
ギョレメ野外博物館・ゼルベ野外博物館観光
(寝台特急泊) |
14(土) |
イスタンブール→カイロ→ギザ |
イスタンブール歴史地域観光
(ギザ泊) |
15(日) |
ギザ→カイロ発 |
カイロ近郊のピラミッドと遺跡
18:45 MS-964 |
16(月) |
成田着 |
12:55 |
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…………
旅を終えて振り返ると、大狂いしたところはない。粛々と予定した行程をたどっている。旅行にハプニングはつきものだが、一行の過半数が下痢症状になった以外に、これといった悲劇は思い出さない。
紀行文末尾の章(Part9)に行程の結果を同様の表で示すことにした。何事もなかった、をまず喜びながら、変わりばえのなさにも驚いている。 |
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いよいよ |
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九州から四国まで梅雨入りが宣言されて10日たち、東京も仲間入りした6月4日(水)、雨のない国へ旅立つことになった。
案内書によれば、東京の6月平均降水量185.2_に対して、エジプト・カイロは0.2_、トルコ・イスタンブールは21_とか。果たして現実は? 妻は日傘を携帯した。
空はどんよりとして肌寒い。ぼくはTシャツの上に長袖のジャンパーで、ズボンは夏の山歩きではき古したもの。
帽子はどれにしようか? カイロまで、以前タイ・カンチャナブリのみやげ物屋で買った麦わら帽子をかぶろう。もったいないがそこで捨てる。それからは愛用のハンチングで通すことにしよう。
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朗読(6'12") on |