3日目の6月6日にカイロ博物館を見学した。頭も時差ボケがとれて快晴である。
ツタンカーメンの黄金のマスクが展示されているという。前宣伝だけのことはあった。2階建ての館内は撮影禁止で、印象の数々を眼に焼き付けるしかなかった。
幾つかを記すと、
1.生前の像、死後の像
ファラオや高官たちの立像があちらにもこちらにも並んでいる。その姿に一つの法則があった。左足を前に出している像。右足を出していることはあり得ない。この像は、「生前に作られた姿」という。
それに対して腕組みをしている像がある。これも例外なく、左腕を胸において、その上に右腕を乗せている。これは「死後に作られた像」と、ラファット氏が解説した。この時点から、ぼくは腕組みをして写真に収まるのをやめた。
2.水晶の目玉
ツタンカーメンのマスクのところだったろうか、ラーヘテプ王子と妻ネフェルトの坐像の前でか、ラファット氏が「眼(まなこ)に注目」と言った。眼が生きている! 一瞬立ちすくんで、ため息が出た。
両眼は水晶と黒曜石で作ってあり、角度によって鈍く光った。
紀元前二千六百年代のものだ! 十九世紀に発掘されたが、作業員は、これらの像が生きていると思い込み、恐れおののいて逃げ出した、との逸話を聞いた。
3.古代エジプトの副葬品、アルコール
妻の主張を尊重して、ミイラ室には入らなかった。その時間分2階の展示をもう一度はじめから眺め、これといったところで何度も立ち止まった。
ファラオ一族の栄光や高官たちの様子に圧倒される一方で、何千年も前の庶民の暮らしぶりがうかがえた。
副葬品は、来世における生活に役立つためのものとされていた。したがって、金銀財宝だけでなく、家具や食べ物、化粧道具などの日用品も埋葬された。金銀財宝のほとんどが盗掘者に持ち去られているが、それ以外は紀元前三千年が残っている。壁画もそうだ。ベッドや椅子などの家具が何組も陳列されていた。
ミイラの臓器が納められているというカノープス壷は、四つひと組で用いられたといい、ホルス(隼)神の息子四人それぞれの頭部を象(かたど)った蓋が付いていた。中は見ず仕舞い。
青いカバのやきものがあった。光沢に思わず見とれた。紀元前二千年頃のものだそうだ。錫釉(うわぐすり)がファイアンス≠ニ呼ばれる陶器で、トルコ石のような空色をして、ゴツゴツせず、柔らかさが伝わってくる。手で持てるほどだ。体には、デッサン風に鳥や魚やパピルスなどが描かれており、愛嬌のある雰囲気を醸し出している。
周囲を見ると、副葬されたファイアンス陶器が他にもある。動物たち、カップ、鉢、タイル、フンコロガシ……、そしてウシャプティ!
小さな土偶のようなもので、「来世において、必要なときに墓主が呼び出せば死者の身代わりとなって働いてくれる」という。ファイアンス陶器製の他に、木や青銅でできているのもある。
埋葬されるウシャプティの数は死者一人につき、一年分にあたる三百六十五個の場合が多いが、千体近いのもあるという。
日本の埴輪とよく似てるなあと思ったら、ラファット氏も「関係ある」とかないとか言っていた。妻は「こけし……」とつぶやいていた。
エジプトは現在イスラム国で、アルコールは禁じられている。が、当然古代は違った、と想像できるような状景を見せてもらえた……ワインとビール。
ワイン壷を頭に載せている女性、台所で麦をひく女性とビールの仕込みをしているような男性、死者のために副葬されたというビールやワインを入れたアンフォラ(陶器の細長い壷)……。
ひるがえっていま、禁酒の国で観光客には甘い。というか、ビールはアルコールに属さないのかもしれない。ぼくたちが利用したレストランもホテルも外国人相手だからなのだろう、とも思った。
エジプトにいる間、夕食には「ステラ・プレミアム」か「サッカラ」を注文した。どちらも結構いける。最終日の夜は、ミニバーでステラをテイクアウトしてくつろいだ。
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