1 出発まで 6 トルコの観光
2 ギザの三大ピラミッド 7 EURO 2008
3 オールド・カイロ 8 カイロ近郊のピラミッドと遺跡
4 アレキサンドリア 9 旅を終えて
5 イスタンブール
Part3 オールド・カイロ
エジプト考古学博物館(通称、カイロ博物館)
 3日目の6月6日にカイロ博物館を見学した。頭も時差ボケがとれて快晴である。
 ツタンカーメンの黄金のマスクが展示されているという。前宣伝だけのことはあった。2階建ての館内は撮影禁止で、印象の数々を眼に焼き付けるしかなかった。
 幾つかを記すと、

1.生前の像、死後の像

 ファラオや高官たちの立像があちらにもこちらにも並んでいる。その姿に一つの法則があった。左足を前に出している像。右足を出していることはあり得ない。この像は、「生前に作られた姿」という。
 それに対して腕組みをしている像がある。これも例外なく、左腕を胸において、その上に右腕を乗せている。これは「死後に作られた像」と、ラファット氏が解説した。この時点から、ぼくは腕組みをして写真に収まるのをやめた。

2.水晶の目玉

 ツタンカーメンのマスクのところだったろうか、ラーヘテプ王子と妻ネフェルトの坐像の前でか、ラファット氏が「眼(まなこ)に注目」と言った。眼が生きている! 一瞬立ちすくんで、ため息が出た。
 両眼は水晶と黒曜石で作ってあり、角度によって鈍く光った。
 紀元前二千六百年代のものだ! 十九世紀に発掘されたが、作業員は、これらの像が生きていると思い込み、恐れおののいて逃げ出した、との逸話を聞いた。

3.古代エジプトの副葬品、アルコール

 妻の主張を尊重して、ミイラ室には入らなかった。その時間分2階の展示をもう一度はじめから眺め、これといったところで何度も立ち止まった。
 ファラオ一族の栄光や高官たちの様子に圧倒される一方で、何千年も前の庶民の暮らしぶりがうかがえた。
 副葬品は、来世における生活に役立つためのものとされていた。したがって、金銀財宝だけでなく、家具や食べ物、化粧道具などの日用品も埋葬された。金銀財宝のほとんどが盗掘者に持ち去られているが、それ以外は紀元前三千年が残っている。壁画もそうだ。ベッドや椅子などの家具が何組も陳列されていた。
 ミイラの臓器が納められているというカノープス壷は、四つひと組で用いられたといい、ホルス(隼)神の息子四人それぞれの頭部を象(かたど)った蓋が付いていた。中は見ず仕舞い。

 青いカバのやきものがあった。光沢に思わず見とれた。紀元前二千年頃のものだそうだ。錫釉(うわぐすり)がファイアンス≠ニ呼ばれる陶器で、トルコ石のような空色をして、ゴツゴツせず、柔らかさが伝わってくる。手で持てるほどだ。体には、デッサン風に鳥や魚やパピルスなどが描かれており、愛嬌のある雰囲気を醸し出している。
 周囲を見ると、副葬されたファイアンス陶器が他にもある。動物たち、カップ、鉢、タイル、フンコロガシ……、そしてウシャプティ! 
 小さな土偶のようなもので、「来世において、必要なときに墓主が呼び出せば死者の身代わりとなって働いてくれる」という。ファイアンス陶器製の他に、木や青銅でできているのもある。
 埋葬されるウシャプティの数は死者一人につき、一年分にあたる三百六十五個の場合が多いが、千体近いのもあるという。
 日本の埴輪とよく似てるなあと思ったら、ラファット氏も「関係ある」とかないとか言っていた。妻は「こけし……」とつぶやいていた。

 エジプトは現在イスラム国で、アルコールは禁じられている。が、当然古代は違った、と想像できるような状景を見せてもらえた……ワインとビール。
 ワイン壷を頭に載せている女性、台所で麦をひく女性とビールの仕込みをしているような男性、死者のために副葬されたというビールやワインを入れたアンフォラ(陶器の細長い壷)……。
 ひるがえっていま、禁酒の国で観光客には甘い。というか、ビールはアルコールに属さないのかもしれない。ぼくたちが利用したレストランもホテルも外国人相手だからなのだろう、とも思った。
 エジプトにいる間、夕食には「ステラ・プレミアム」か「サッカラ」を注文した。どちらも結構いける。最終日の夜は、ミニバーでステラをテイクアウトしてくつろいだ。

ヒエログリフのポロシャツ
 紀元前何千年からというエジプトの長い歴史の中で、「エジプト綿」が作られるようになったのがたったの二百年前とは意外である。ミイラをぐるぐる巻きにしているのは亜麻布だった。
 綿の栽培は、大英帝国の勧めで、絶好の気候条件を生かしてはじめた。折しもアメリカが南北戦争に突入し、綿花生産高がガタ落ちになったこともあって、国の振興に貢献するようになったという。
 その後品種改良が繰り返され、「エジプト綿」として世界に重宝されるようになり、今日に至っている。「ギザ70号」が最高品種とか。

 最初、ガイドのラファット氏を見たとき、ポロシャツの鮮やかな模様に一同感嘆した。翌日は色違いのTシャツに同様の模様、自然そこに目が行った。
 人なつっこい笑顔で、声は通りのいいバリトン、知識教養は隠しようがなく(カイロ大学で哲学と日本語を専攻)、わかりやすい話しっぷりとくるから、理想のガイドだ。が、ぼくの目はもっぱら身なりと刺繍の模様に吸い付けられた。「ほしいなあ、あんなのを!」。

「今日は帰り道で、エジプト綿の専門店に立ち寄ります」
 ビジネスも兼ねていたのか。そう思いつつもうれしくなった。
 専門店でぼくは忙しかった。自分用に数着、妻のリクエストで子供たちにそれぞれ。後ろに模様をつければプラス500円。ポロシャツはそうした。生地はエジプト綿の「ギザ70号」。
 翌朝の写真がこれ。似合っているかな?
 さて、エジプト綿製のポロシャツに際立つこの模様。ヒエログリフをカルトゥーシュが囲んでいる。もちろんエジプト独特のものだし、ここでしか手に入らない。
 象形文字の「ヒエログリフ」は、古代エジプトで使われた文字の一種で、エジプトの遺跡に多く記されていることはご承知のとおりである。
 アルファベットは大文字小文字あわせて52文字。いろは48文字、五十音は50文字プラス「ん」。ヒエログリフは?
 正確にはわからないが、Wikipediaでは29文字だ。専門店には「Golden Scarab」と称して、25文字が掲げられていた。ぼくは自分のを「KOSHIBA」とした。はたして?
 観光しながら出会った数人のエジプト人(らしき人たち)が、ぼくに「KOSHIBA」と呼びかけたから、間違いなさそうだ。
 ヒエログリフが上記ほど単純ではないことはお察しのとおり。他に各種の絵文字や数字等、複雑に入り組んでいる。
 カイロ博物館で購入した書物の写真を転載させていただく。
 次に「カルトゥーシュ(cartouche)」。これはやんごとなき記号で、古代エジプトでファラオにしか許されなかったという。古王国第四王朝のスネフェル王から自身の名のヒエログリフをこのカルトゥーシュで囲みはじめた。いまではぼくのポロシャツを飾るくらいだから、まこと恐縮しながら気に入っている。今夏のみならず、当分はこの服装を通すつもりでいる。
エジプトの国旗

 Wikipediaによれば、「エジプトの国旗は、赤、白、黒の横三色の中央にサラディンの鷲(国章)を配した旗。赤は革命、白は明るい未来、黒は暗い過去を表すという。またこの三色は、第一次世界大戦時のオスマントルコに対するアラブ反乱で使われた旗と同じ色であり、汎アラブ色と呼ばれる」。
 現地では鷲(Eagle)ではなく、隼(ハヤブサ=Falcon)と言っていた。エジプト航空をはじめ、名だたる組織の象徴になっている。アラビア語でホルス(Horus)。エジプト神話に登場する天空と太陽の神である。

 これから訪れるトルコほどではないが、この国旗をよく見かけた。各所の博物館に入って、Horus(隼)がエジプト人の意識の中で欠かせないことを知った。
 Horusは小惑星をも意味するという。イギリスの作曲家ホルスト(Holst)の管弦楽組曲「惑星」(The Planets)を思い出した。
 帰ってLPを回してみた。ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルのものだ。まんざらエジプトと無関係でないのかもしれないぞ。ロンドンに住んでいたホルスト自身、大英博物館のエジプト・コーナーで発想した可能性があるし、7曲全ての副題に「神」の名がついているし……。
 第1曲の「火星」(戦争の神)がぼくの「Horus」のイメージにあった。有名な第4曲「木星」のメロディでは、隼(ハヤブサ)がゆうゆうと滑空している様(さま)を想像した。

朗読(15'37") on
<Part2 Part4>
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