相性は聞きたし年は隠したし |
|
赤貝にだんだん化ける小蛤 |
|
赤貝の味わい蛸の味がする |
|
秋茄子は姑の留守にばかり食い |
|
悪筆が寄って筑紫へ遣る工面 |
|
明け六つは同じ鐘でも憎うおす |
|
あごのない寄り合い不参だらけなり |
「あご、足付き」は、食費、交通費付きを意味する芸界用語として現在も使われるが、「あご」は、食事を意味する江戸時代の通言。
外食に多大の魅力を感じた江戸庶民は、食事無しの会には足が向かなかったそうである。 |
朝帰り命に別儀ないばかり |
|
朝帰り敷居は一の難所なり |
|
朝帰りだんだん家へ近くなり |
|
朝帰り旦那が負けて静かなり |
|
朝帰りいたわる女房にも困り |
|
朝帰り嫉かぬ女房にも困り |
|
朝帰り隣で聞くの面白さ |
|
朝帰り行くときほどの知恵は出ず |
|
朝帰りどこへ出しても女房勝ち |
|
朝帰り入れ歯が抜けて止む叱言(こごと) |
叱言はものすごかったが、・・・ |
朝帰り母のかぶりで横へ切れ |
|
浅からぬ恨みひたひへ疵がつき |
|
足音がすると咄(はなし)の河岸を変え |
|
足音で二つに割れる影法師 |
|
足音に銚子を隠すけちな酒 |
|
足ぐすね引いて四ツ手は客を待ち |
駿足を誇る辻駕篭は、手ぐすねならぬ足ぐすねを引いての客待ち |
足を出す息子は親の手にあまり |
|
雨乞いに濡れたばかりの緋の袴 |
小町は??狭窄症という俗説があるので、小町の濡れごとは、雨ごいだけとの句 |
雨ごいも女はたんと口をきき |
平安時代の小野小町は、神泉苑で、「千早ふる神も見まさば立ち騒ぎ、あまのたがわの樋口あけ給え」と詠んで雨を降らせたそうだが、元禄の俳人宝井其角も、向島の三囲稲荷で、「夕立や田をみめぐりの神ならば」と詠んで雨を降らせたという。
其角は14字少ない。 |
余ったを不足へ足して人は出来 |
|
雨宿りごおんと突いて叱られる |
|
雨宿り額の文字をよく覚え |
寺の山門での雨宿りともなれば、○○山××寺という額の文字も読み飽きるほど |
雨宿り遥か向こうは蝉の声 |
|
雨宿りまでは無骨な男成り |
|
蟻一つ娘ざかりを裸にし |
たった一匹の蟻がたかったために、花も恥じらう娘も貞淑な人妻も真っ裸になって大騒ぎ |
蟻一つ貞女下帯までほどき |
|
あれさまたさし込みんすと業腹さ |
癪は、腹や胸に発作的におこる激痛の総称だが、遊女は、好意を持てぬ客の場合、癪を理由にして同衾を拒否したという |
|
いい妹もって二むらい様になり
|
御妾になった妹が、兄を士分に取り立ててくれるように願ったので、「さ(三)むらい」ならぬ「二むらい」程度の武士になった。 |
言いぬけをみんな女房に覚えられ |
|
いい夜具でござんすが指が痛うおす |
吉原では、自宅の夜具と比較にならぬほど豪華なものを使い、しかも馴染み客が遊女に贈る習慣だったから、客の負担は大きかった。遊女が誠意の証として、小指を切って客に贈ったそうである。 |
行く程でしない馬鹿がと女房いひ |
|
池の名に背いて池の茶屋を借り |
忍ばずという池の名に反して、忍び逢いの二人で繁する密会用の出合茶屋 |
意見きく息子の胸に女あり |
|
行こうかと田楽串で歯をせせり |
田楽串で歯の清掃も終わり、・・・ |
いさかいをしいしい腹を大きくし |
|
医師の後石屋にかかる残念さ |
医師の効能虚しく、石屋の手にかかって石塔とは・・・ |
居候因果(いんぐわ)と子供嫌ひなり |
|
居候よんどころなく子ぼんなう |
|
痛いことないと外科殿針を出し |
|
痛いことないと娘をくどくなり |
|
痛いこと小指にかけた無心なり |
遊女が客に金の無心をする際、誠意の証として、小指を切って贈ることがあったという。 |
鼾には国訛りなし馬喰町
|
馬喰町は、昔は、小伝馬町から浅草橋へ向かう通りに面し、一丁目から四丁目まで続いていた。牛馬の売買、仲介に従事する幕府博労頭が住み、古くは博労町と書いたが、正保年間に現名に改めた。遠方からの旅客が利用する安旅篭の多い宿屋街だった。 |
鼾をばかきましたかと嫁はきき |
|
いひなづけたがひちがひに風邪を引き |
|
今捨てる子にありたけの乳(ち)を飲ませ |
|
いりもせぬ物の値をきく雨宿り |
|
入れ物を借りたようなに百取られ |
義務的で無感動な娼婦に百文取られたという句だが、実際には、2、3百文を必要としたそうです |
色男惜しいことには不如意なり |
色男金と力はなかりけり |
|
初産に手足の指を数えて見 |
|
嘘なら嘘にしなんしと嘘をつき |
|
うたたねのうちわ次第に虫の息 |
|
うちの夜具4、50できるほどかかり |
吉原では、自宅の夜具と比較にならぬほど豪華なものを使い、しかも馴染み客が遊女に贈る習慣だったから、客の負担は大きかった。 |
美しい顔で楊貴妃豚を食ひ |
|
うれしい日母はたすきでかしこまり |
|
売れぬやつ馬の屁ばかりかいでいる
|
甲州街道は、日本橋から高井戸まで4里あるのに駅がないので、元禄11年(1698)中間地点に新しい宿駅を設け、新宿と称した。享保3年(1718)、旗本と町人の争いから宿場取りやめになったが、明和9年(1772)に再び許可され、飯盛女も黙認された。 |
売れ残り連れのあるのが力なり |
「さらしもの」が、自分一人でないのが、せめてもの慰めであるが・・・ |
|
越前は肥後の加勢を頼むなり |
越前は包茎の異称。肥後は肥後ずいき。越前の異称の由来は、越前の殿様の槍の先には熊の皮がかぶせてあったので、皮かぶりを指すことにもなった。 |
越前は一生おさな顔失(う)せず |
|
越中がはずれ隣りの国を出し |
隣りは越前 |
越中の中に越前しなびてる |
|
縁談は出雲破談は松ヶ岡 |
縁談は、縁結びの出雲の神が仲介役だが、破談は、3年間、有髪の尼僧生活を送れば離婚請求できたという鎌倉の縁切り寺、松ヶ岡東慶寺に駆け込むに限る。 |
縁遠さ草だらけだにまだ空き地 |
娘盛りを過ぎようとするのに・・・ |
|
追い出されましたと母へそっといひ |
|
追い剥ぎに道を尋ねる世捨て人 |
浮世に未練を持たぬ故に扱いにくい |
大あばたでも味のよい鹿の子餅 |
「鹿の子餅」は、餅の上に、小豆が鹿の子斑(まだら)に、ぼつぼつと付いていたことによるが、それはまた、釈迦の頭を後ろ向きにして、つぶつぶの毛が見えるが如くであった。 |
大晦日四百四病でうなってる |
江戸時代は、買った物を帳面に記載する掛け売り、掛け買いで、盆前と大晦日に清算した。盆前は逃れても、大晦日は決着をつけねばならなかったから、四百四病以外の金欠病で、苦しみのうなり声を上げていた。 |
大晦日嘘をつかぬは時の鐘 |
|
大晦日よく廻るのは口ばかり |
借金で首は廻らないが、言い訳をする口だけは、「立て板に水」とばかりによく廻る。 |
大晦日亭主家例の如く留守 |
|
大門を出ると女房が恐くなり |
行きはよいよい、帰りは恐い |
大門を引き馬で出るけちな客 |
遊興費が払えず、取立人付きで出る大門は情けない |
大門をそっと覗いて娑婆を見る |
遊女が、大門内から自由な下界を見る哀愁 |
大門を出る病人は百一つ |
重病で大門から出される遊女のうち、命を取り留めるのは、百人に一人という悲劇 |
大笑い近目案山子に道を聞き |
|
大笑い口説き落とすと夜がしらみ |
|
おかしさはたいこうちでは苦笑い |
|
おかしさは婿の来る日に小糠雨 |
「小糠三合持ったら婿入りするな(少しでも財力があるなら、婿入りせずに独立せよ)」という諺があるが、婿入りの日に小糠雨とは。 |
おかしさは皆がねらった後家が剃り |
|
おかしさは昼寝のへのこ動きだし |
へのこ=男性自身 |
幼な子の転んで泣かぬほめ言葉 |
|
白粉のまだ粗壁に客が来 |
|
おちゃっぴい挟み将棋が達者なり |
|
おちゃっぴい湯番の親爺言ひ負かし |
|
夫とは向きをちがえて昼寝する |
昼間から並んで寝るのは嫌らしいい |
おふくろに知れて娘はふとくなり |
|
おふくろを恐がる息子少し抜け |
|
親父まだ西より北へ行く気なり |
|
親の身になれとは無理な叱りよう |
|
女医者小の虫とはへらず口 |
女医者とは、婦人科医の事だが、その仕事の多くは、堕胎だった。婦人科医(堕胎医)のことを中条流ともいった。
堕胎に際しては「小の虫を殺して、大の虫を助ける」と、慰めの言葉をかけるのも女医者の営業用外交辞令。 |
女医者わたりがついてやめになり |
いままで許されなかった仲が認められたので、子どもを生むことになっためでたさ。 |
女同士どこしかあらを見出し合い |
|
女湯の方へ張らせる血の薬 |
|
女湯へおきたおきたと抱いてくる |
|