勝浦の町 |
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「町」といっても、JR紀伊勝浦駅周辺の商店・居酒屋街、それに漁港と船着き場だけが行動半径だった。 |
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JR新宮駅前の詩碑は東くめの「鳩ぽっぽ」で、同じく新宮出身の佐藤春夫の詩碑「秋刀魚の歌」は、紀伊勝浦駅前にある。 |
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あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
夕餉(ゆうげ)にひとり
さんまをくらひて
思ひにふけると
さんま、さんま、
そが上に青きみかんのすをしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里の習ひなり
その習ひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑(みかん)をもぎて夕げにむかひけむ。
あはれ人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむといふにあらずや |
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……詩碑はここまで、以下このように続く…… |
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あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ
かの一ときの団欒(まどゐ)ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま
さんま苦いか塩(しよ)つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。 |
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初日(5月10日)、勝浦到着早々、駅近くの「いこら亭」に入って昼食とした。
まずは古里の味だ。さんま寿司とまぐろのにぎりを妻とシェアした。
隣りに大阪から来た若者たちがいて、意気投合した。
彼らもとくにさんま寿司を「うまいうまい」と言っていた。 |
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マグロ料理お薦めの店として、観光バス・ドライバー氏のアドバイスに従い、四日目(13日)の夕食を「竹原」とした。駅前本通り沿いにある。
主人は物静か、名の知れた人たちが訪れている。今夜もこれからどなたかが…………
マグロ主体の「さしみ盛り合わせ」を皮切りに、「内蔵」「軟骨」「目玉の煮付け」……本場勝浦を味わえた。 |
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勝浦の町、その他の写真 1 2 |
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紀の松島 |
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勝浦沿岸の熊野灘に浮かんでいる小島や岩礁は、全部で130ほどあるそうだ。
陸奥松島の景観に似ていることからこう名付けられたというが、それよりもぼくには、紀州熊野の澄み渡ってのどかな状景を伝えているように見える。 |
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松尾芭蕉は奥州松島で「松嶋は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西湖を恥ぢず」(松島は日本第一のすぐれた風景であって、まず中国の洞庭湖や西湖のながめに比べても恥ずかしくないほどである)。……「奥の細道」より、訳:久富哲雄氏
…………
ぼくもその「松島」を訪れたこともあるし、紀州「紀の松島」もこれで三度目だ。ぼくなりに比較すれば…………
芭蕉の松島は島嶼の群れや点在を味わい、紀の松島は、太平洋に繋がる熊野灘を受け入れている原始的な沿岸と散らばる岩礁が魅力だ。
芭蕉は別の旅で和歌浦までは来ているが、残念ながらこの地に足跡を残していない。
「もし……」があれば、芭蕉の目にこの景色、どう映ったろうか。 |
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ホテル浦島が見える |
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洞窟温泉が見える |
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紀の松島巡るや今日の五月晴 恵美子 |
外海の紀の松島や卯波立つ 恵美子 |
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紀の松島、その他の写真 1 2 |
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補陀落山寺 |
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JR那智駅からほん近くにある。熊野三山は何度も訪れたのに、このお寺はなぜか縁遠かった。今回は後ろめたさを感じながらの参拝だった。
5日目(5月14日)、紀の松島巡りと太地くじら館のあと、勝浦駅からバスで訪れた。 |
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補陀落信仰の根本道場である。
補陀落信仰とは、遠く南海の彼方に浄土があるという海上信仰であり、補陀落山寺のある浜の宮は渡海のための船出、とも綱を解く所、出帆する場所であり、寺はその儀式を行う所であった。
渡海の多くは11月の北風が吹く日を選んで夕刻行われたといわれている。
紀伊山地の霊場と参詣道(那智勝浦町企画課) |
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補陀落山寺、その他の写真 |