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Part 1 熊野三山 1 |
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熊野本宮大社 |
熊野速玉大社 |
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到着翌日の5月11日は一日かけて熊野三山巡りをした。
2004年(平成16年)、世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」のメッカである。
前半の熊野本宮大社と熊野速玉大社をこのパートに載せ、後半の那智山地区は次章とした。
熊野交通のバスツアーで、JR紀伊勝浦駅前から8時30分出発。乗客全てがこのツアーを通しての参加者ではなく、途中で加わったり去ったり……平均20人程度のツアーだった。 |
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石段が続く。途中横に立て札があった。
熊野神社は全国に3831社分布している。千葉県が1位で…… |
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明治22年(1889)に大水害で罹災した旧社地の大鳥居。
元地の大斎原(おおゆのはら)にかくの如し、日本一。 |
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川ほれば湯の出る里や深みどり 恵美子 |
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熊野速玉大社 |
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社伝では、悠久の昔、熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家津美御子大神の熊野三神が、ゴトビキ岩に降臨したという。
その後、景行天皇の代に三神を現在地に遷し、神倉山に摂社(神社本社にゆかりの社のこと)として神倉神社を置いた。
こうして「旧社」神倉神社に対し、速玉大社は「新宮」(しんぐう、にいみや)とよばれるようになる。
「日本書紀」によれば、神武天皇は大和国へ攻め入る際、海路をとって熊野に上陸し、神邑(みわのむら=三輪崎)から天磐盾(あまのいわだて=ゴトビキ岩)へ登ったという。 |
「熊野古道」(集英社) |
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