入院の翌朝、睡眠薬の助けで目覚めの気分は悪くない。が現実は、頭のてっぺんからつま先まで、左半身がきれいになえて言うことがきかない。ベッドを坐位に動かして左手を見つめる。手のひらに涙が落ちた。
これで終わりか。妻と子供たちはどうなるのだろう。何とかせねば、……負けてたまるか。
医師が来て言う。
「病気はもう過去のことです。いまからリハビリ! 人生をこのまま終わりたくないでしょう? さあ!」
車椅子で看護師に誘導され、平行棒のような器具に両手を置いて、片足引きずってのよちよち歩きから再生訓練を開始。
入院三日目は花冷えの合い間で、窓に陽光が射している。副社長ご夫妻は翌日の帰国を前にして見舞ってくれた。講演は木本の助けで順調に果たせたらしい。
お二人の微笑みは本物だ。いたわりと激励の心でぼくの失意を勇気に変えてくれた。
「米国に戻ったら、ミルフォードへ来てアルバムの整理を手伝ってほしい」
それがありえないことはお互いよくわかったいた。
病室で一週間経った。取締役の南部調査部長が部下にどでかい花束をもたせて見舞ってくれた。包容力のある笑顔がバツの悪さと緊張を解きほぐしてくれる。容態を尋ねて一息したあと、口頭辞令を伝えた。
「回復したらぼくのところに来ることになっているから」
ペンステート大学留学中にお会いした、当時企画部長で現在副社長の有田も単身そっとお越しになった。優しいまなざしで、
「無理せず良くなってくれ。何でも相談に乗るよ」
顔を近づけて激励してくれた。
…………
病院に一ヶ月入院してリハビリ、あと二ヶ月は葛飾区の妻の里で療養とリハビリ。ニューヨークのHSA出向は強制的に解かれた。
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