工場次長に昇格していた下里の特別ルートによる根回しもあったのだろう。現場の人たちにも推薦された形で労働組合の執行委員に立候補させられた。おまけにぼくの悲観的な予想を大きくくつがえして、上位当選を果たした。
結果、工場全体での友達の輪が広がった。組合では財務担当として、滞りなく任務を果たした、ということにしよう。
何しろ財布のひもを握る大蔵大臣だから、へまをやらない限り居心地がよい。仕事に疲れたり暇ができたとき、組合事務所に身を隠して、くつろいだ。
組合ではいつもは聞きなれない雑談に花が咲く。現場ごとに問題や悩みがあるものだ。聞き耳を立てなくても、「実はね」という裏話が自然と入ってきた。
民青メンバーとのうわさもあり、発言力の鋭い仕上現場の尾呂志君が組合へ来て、ぼくを誘った。
「オレたちの寮に遊びに来ないか?」
現場作業員の「青雲寮」だ。工場の近くにある。仕事上ではありえない誘いで、断る理由はなかった。 妻には当夜は帰宅しないかも、と電話で事情を伝える、
早めに仕事を切り上げて出向くと、食堂で夕食を前に彼らが待っていた。珍しげと非友好的な目が入り組んでぼくを見る。作業現場の雰囲気とは違う。
ぎこちない食事のあとは、大広間に場所を変えて車座で討論となる。居心地がより悪くなる。
「あんたは大学卒で、オレたちはほとんどが中学卒。世界が違うんだよネ」
「現場にはよく来るけど、いつもチョイの間だから。本当のところはわかるはずないズラ」
「どうせすぐ本社だろ? いずれ経営者だからね。オレたちとの付き合いも結局は、はいサヨナラと言うことダラ?」
「こんな場も、どうせあんたの自慢話になるんジャン?」
「まさかオレたちのことスパイしてるんじゃないだろうね。下里次長の回し者だとはいわんけどサ」
「…………」
ぼくはもともとノンポリで、これといった強い思想の持ちあわせはない。すべてまともに答えられるはずはない。尾呂志君たちはさぞ失望したに違いないが、鬱憤だけは晴らしたようだ。
「あんたの腕は太いけど、ヤワなんだろ?」
、と尾呂志君。
これにはぼくも黙っていられない。
「冗談じゃない。試してみるか!」
と言うことで大広間はにわか仕立ての腕相撲の場に変わる。相手は彼らが推すキン肉マンだ。
名指しされたうえに負けるはずがないから、彼、福の神が舞い降りたえびす顔になる。すぐに勝負ありと高をくくっているようだ。
自慢じゃないがこちらも腕相撲にはいささか自信がある。相手が知るはずはないから、内心「見てろよ」と勢いこむ。
腕をギュッと組み合わせる。キン肉マンのかさついたグローブのような手の平がいやでも現場を実感させる。
腕に少し力が入ってきて、横目でぼくの顔色をうかがいながら間合いを計っている。思ったほどヤワではないゾと、当て外れが表情に読み取れる。
次の瞬間、キン肉マンの眼がギョロッとしてグイと腕力が加わる。
普通ならあえなく一巻の終わり。ところがどっこい、ぼくにはまだ「負けてなるか」の気持ちが強い。歯を食いしばって持ちこたえる。手首に強烈な圧迫を受けながら頑張っている。
キン肉マンはここぞと力を振り絞る。額には血管が浮き上がり、目玉が飛び出しそうだ。ぼくはもはやここまで…………
「もういいんジャン?」
だれかが合いの手を入れてチョンとなった。キン肉マンの恨めしそうな顔。ぼくは息切れして声が出ない。
いつしかビール、酒の宴会になり、全員べろんべろんで、あとはどうなったのだろう。内緒で部屋をあてがわれて、泊めてもらったことはたしかだ。
尾呂志君をはじめ、仲間は翌日から素知らぬそぶりではなくなった。現場に行くと、声をかけてきたり、目があえば片手をあげた。
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