1. 前置き、初日 5. 5日目(バスツアー)
2. 2日目(バスツアー) 6. 6日目(自由行動)
3. 3日目(バスツアー) 7. 7日目(自由行動)
4. 4日目(自由行動) 8. アラカルト
7.7日目 (7月1日、土)
自由行動
  最終日の午前中はホテルの界隈を歩こうと決めていた。
 ガイドブックによれば、近場にお寺がかなりあり、すぐそこの新京極近隣では軒を連ねている。
 11時頃まで、15分ほど歩いたところの六角堂にはじめて、ホテル真ん前の本能寺を終点とし、その間新京極沿いの寺町通りをぶらつくことにした。
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六角堂
 平安京以前に聖徳太子が建立したと伝わる寺で、正式名称は紫雲山頂法寺。御堂が六角形をしていることから六角堂と呼ばれる。
 境内には親鸞堂があり、親鸞が比叡山から下りて六角堂に100日間参籠した結果、如意輪観音からお告げを受け、浄土真宗を開くきっかけを得たことに拠っている。
 ここは華道家元の池坊の本拠地としても知られている。池坊は本堂背後にあった僧侶の住居の名前で、12世専慶は花の名手として知られ、立華の祖とされる。
 ガイドブックのポンチ絵より少し余分に歩く。最近流行った時代劇映画の舞台とかで、大きな立札の飾りつけがお寺よりも華々しかった(あとで調べたら、東映映画「花戦さ」。野村萬斎が池坊専好を演じている)。(池坊専好は、池坊の家元で、その継承予定者が名乗る名跡……ウィキペディア)
 確かに本堂の隣が池坊の建物だ。お寺に似つかわしくないガラス張りのモダンな建築だった。

六角堂、その他の写真

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 15分ほど戻って新京極に着く。三条通と四条通の間のアーケード街だ。京都でも有数の歓楽街で、東京・浅草や大阪・千日前に似た庶民的な雰囲気とか。

 豊臣秀吉の頃からずっと門前街であったらしい。それを明治5年(1872)に、府がそれぞれの寺地から一部を公収して通りを開いた。これを歓楽街とし、新京極と名づけた。
 したがってその近くはお寺がずらりと並んでいる。染殿院(そめとのいん)、錦天満宮、誠心院、安養寺、妙心寺、誓願寺、……。そのいくつかに立ち寄った。添付の写真集参照。

新京極と近隣の寺

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本能寺
 織田信長が上洛した際の定宿で、天正10年(1582)、信長が明智光秀に襲われた「本能寺の変」で知られる。
 当時は四条堀川周辺にあり、豊臣秀吉によって現在地へ移築された。

 ぼくたちの宿・京都ロイヤルホテル&スパの河原町通真向いにあり、数日前にもざっと見した。
 こちら側の入口はなんだか路地を入るようで、パッとしないが、中のお寺はなかなかだ。
 応永22年(1415)、日隆上人によって別のところに創建された法華宗本門流の大本山。道理で日蓮上人の銅像があり、「立正安国」を刻んであった。
 織田信長が明智光秀に破れ自害したと言われる本能寺の変、その頃は本能寺、別の場所にあった。それを豊臣秀吉がこの場所に移したとか。立派な信長公廟があり、碑には「正一位信長公御廟所」とあった。

本能寺、その他の写真

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 さて、いよいよ帰途。11時にホテルをチェックアウトして、地下鉄で京都駅へ。
 15時28分発の「のぞみ」までにどうしても見ておきたいお寺が二つ。西本願寺と東本願寺だ。どちらも駅から近い。
 かといって、昼食やらで時間を取ってしまい、あわただしくなった。妻は駅待合室で一休みすることにして、ぼく単独で出かけることにした。
西本願寺
 浄土真宗本願寺派本山。親鸞聖人の廟堂が東山に創建されたのが始まり。
 「日暮らし門」の異名を取る唐門や、秀吉が建てた聚楽第の一部を移したとも伝わる飛雲閣など、絢爛豪華な桃山文化を伝える建築物の宝庫。
 本願寺の中心となるのは親鸞を祀る御影堂。大師堂とも言い、寛永13年(1636)の再建。厨子内に安置されている親鸞聖人坐像は聖人の荼毘の灰を漆に混ぜて塗ったものとか。

西本願寺、その他の写真

東本願寺
 真宗大谷派の本山。親鸞聖人によって開かれ、慶長7年(1602)徳川家康が本願寺11世門主顕如の子の教如に本願寺から真宗大谷派を別立させたのが当寺の起こりという。
 東西200㍍、南北400㍍の広大な敷地に、京都三大門に数えられる御影堂門、親鸞聖人の御真影を安置する御影堂、本尊・阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂などの巨大な木造建築が立ち並ぶ。
 現在の建物は明治28年(1895)に再建された。

東本願寺、その他の写真

 …………
 遠いほうの西本願寺からとした。京都駅からさほど遠くないと思っていたが、さにあらず。20分ほど歩いた。
 駅に妻を待たせてあるし、新幹線に乗り遅れてはそれこそ大変。にもかかわらず、見るだけは見ておこうとの急ごしらえで、時間にゆとりがない。
 そんな焦りが東西両本願寺とも見物を希薄にさせた。正直、どちらもスナップ写真だけで終えてしまった。
 次回は必ず妻と一緒に、時間を気にせずゆとりをもって参拝したい。

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 西本願寺に関連して、一言加えたくなる。
 東京の築地本願寺を知らない人は少ないだろう。その景観の異様さ。これが日本の寺院? まさに伊東忠太の面目躍如だ。

 ぼくの労作小説「怪獣の棲む講堂物語」は、一橋大学国立キャンパスに建つ兼松講堂の成り立ちを追求したものだ。当時東京帝大教授で、建築学界ではまさに「巨人」と敬われていた伊東忠太博士がなぜこの講堂建築の一切を引き受け、東京本郷から当時としては辺鄙な武蔵野原野へ、休日までも返上して片道2時間も列車に揺られて通いつめたのか。
 自称労作はともかく、時代背景を含めて、その経緯はぼくを(とりこ)にした。
 築地本願寺は西本願寺の直轄寺院であり、当時西本願寺の第22世法主だった大谷光瑞は伊東忠太の重要なパトロンで、築地本願寺は光瑞の依頼による。二人ともインドの寺院建築に心酔していたこともこの建築に関係深いと考えている。
 次章に「伊東忠太と京都」として、一項設けることにした。いずれ京都は再訪するから、じっくりの見物を次回の楽しみに。

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Part 7 朗読: 12' 10"
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