〝Yさんからいただいた贈り物〟を忘するべからず。
ひょんなことから、10才年上のYさんと付きあうようになった。2000年の正月過ぎた頃、新聞にYさんの人生模様が紹介され、興味を持った。日本電電公社(現NTT)では管理部で活躍され、終業後は公社オーケストラの一員としてベースを受け持っていたとか。
定年退職後は悠々自適。多岐にわたる音楽ジャンルをMIDI方式で編曲を楽しんでいる。MIDI音楽(Musical Instrument Disital
Interface)とは、国際規格で、電子機器の演奏データを機器間でデジタル転送するための世界共通規格。
お会いしたときにはすでに10年ほどこれにはまっておられた。彼はどんな楽器もこなす。だから曲によって適切な楽器を選び、ギターやフルートで試しながらパソコンの五線譜に書き入れていく。出来上がったのを聴くとまさに楽団演奏と同じ。びっくりした。
以来数年、JR津田沼から近い彼の宅へよくお邪魔し、ぼくもMIDIにはまり込んだ。そんなとき、太平洋戦争勃発のため一橋大学を前年の12月に繰り上げ卒業になった先輩同期「十二月クラブ」のホームページ制作を手伝った。
Y氏はそのBGMを引き受けMIDIで13曲作ってくれた。お陰で2001年12月の記念総会で、彼らの戦中戦後の足跡をBGM付きのスクリーンでお披露目することができた。
その後Y氏は、ぼくの「中高年の元気!」に深く関わってくれ、多くの作曲・編曲・演奏作品を、ぼくの好き勝手に公開してよいと許可してくれた。このホームページの「覚え書き、思い出の外部HP」内の「Kenzo
Yoshino's BGM Saloon」に122曲公開している。
中で、ぼくに関係のある数曲と小中高大の母校校歌を、彼の注釈付きそのままで下欄に抽出した。Y氏に対する心よりの感謝と、忘れるはずのない楽しい交遊の思い出として。
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