千葉県浦安市の東海岸沿い埋立て地に立派な墓地公園があり、 いまもなお拡張工事が続いているようだ。近くにはホテルが数軒あり、温泉施設も2軒ある。そこから10分も歩けば市自慢の総合公園に行き着き、のんびりの散策を楽しめる。
東京湾に面し、松林をバックにしたこの広い墓地公園、周囲の環境にも恵まれ、第一静かでのどか。知らず癒された気分になる。
横道にそれて、ぼくの先祖の墓は故郷和歌山県新宮市三輪崎にある。八幡神社近くに広っぱ状の墓地区域があり、その一角に先祖の石碑。2塔並び、それぞれにこう刻んである。
一つは「小芝家代々之墓」、もう一つは「松山慈音信士、普山妙光信女」。墓碑銘から、父母が建てたことがわかる。(祖父は松蔵、祖母はふく)
生まれ育った故郷三輪崎を高校卒業と同時に離れ、大学・サラリーマン生活を通じて、東京・名古屋・東京と、半農半漁の田舎町から遥か遠方の大都会に居ついてしまった。ここ東京近郊・浦安市の12階建てマンション11階に引っ越してからでも40年近くになる。
田舎の墓守は弟夫婦に任せっきりで、17年前に母〝熊の〟が他界してからは、墓参りは数年に一度だけという、恥ずかしい無沙汰をかこっている。この前は2年前の秋だった。
それでも、いずれは自分も父母のもとに、の思いに揺らぎはなかった。両親と先祖を慕う気持ちはだれにも劣らないつもりだし、自宅居間の仏壇には毎朝手を合わせている。(わが家の仏さまはぼくの小芝家と妻の小林家の両親)
半世紀前に小芝家に嫁いだ妻はどうか。彼女の両親は東京都下高尾の八王子霊園に眠っているが、どうやらぼくと一緒に小芝家の一員として次の世も過ごす考えのようだ。ただし、これまでこの種のことを取り立てて話しあうことはなかった。
それにしても、今年77才の喜寿を迎えた妻と、1才年上のぼくには、三輪崎の小芝家墓地は遠い。ぼくたちはまだいいとしても、子供たち3人はどうだろう。
昨年初めに本籍地を故郷からこの浦安市に移した。理由は、このままでは子供たちにとって非常に厄介だということ。本籍地証明が必要な都度、電信頼みで、戸籍謄本入手に手間がかかりすぎる。その都度彼らに愚痴を聞かされてきた。
彼らは父であるぼくの故郷を訪れたことはあるが、一度も住んだことはない。30数年前にぼくの仕事の事情で、ニューヨーク近郊のグリニッチ市に家族全員で引っ越し、3年間住んだが、そちらの方が、彼らにはなじみがあるのかもしれない。
本籍地移転は、そんな彼らの強い要望を遂に受け入れたのだった。
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さて、浦安墓地公園とぼくたち夫婦について。
長年ぼくたちが住み、子供たちも近郊にいる浦安市は、いつの頃からか、大々的に海岸の市営墓地公園を宣伝し、住民に毎年墓地取得を呼びかけている。そのこと、ぼくたちも知らないわけではなかった。いつぞや総合公園への散歩を10分ほど延長して、広くてそれこそ生き生きした墓地公園を見物し、好印象を受けたのだった。が、昨年の本籍地移転まで、わがこととしては関心がなかった。
その時、恐る恐る弟夫婦に、浦安の墓地を自分たち用に購入したい旨の話をしたところ、予期に反して納得・快諾してくれた。
こちらの墓地は戸別の芝生墓所と共同樹林墓地に区分されており、ぼくたち夫婦は芝生墓所(生前枠)に応募することで意見一致した。
昨年は落選したが、今年はめでたく6月に市担当課から当選通知を受け取った。
早速所定の支払い手続きを済ませ、墓地公園へ行くと、なんとラッキー。今や広大な公園にあって、芝生墓所のぼくたちの墓地は入口からすぐそこ。くつろげる管理棟も目の前だ。
さて墓石。管理棟の係りの方が丁寧に質問に応じてくれた結果、彼女の紹介する市の管理組合所属数社のうち、T社に連絡を取った。
9月、墓石出来上がり。自宅から徒歩で1時間くらいの距離だが、バスの便も悪くない。今後時々散歩がてらに、自らの墓前に出向くことになろう。