1.まえがき 4.生前墓地
2.小説4篇 5.サヨナラ2件
3.ホームベーカリー 6.断捨離する、される
7.不可忘〝Yさんの贈り物〟
6.断捨離する、される

 前章の「サヨナラ2件」とは違う範疇(はんちゅう)で、ぼくにも〝その時が来た〟とか〝そうせざるを得ない〟というような事例が思い出される。
 遠い過去だが、一日50,60本のヘビースモーカーが30代でタバコを絶った。それは自発的ではなく、耐え難い気管支炎が原因で、やむなくだった。が、おかげで喜寿1年半後の今日まで食を楽しめ、それなりの健康を保っている。

 45才で脳梗塞を患ってからスコアメイクの楽しさはなくなったが、それでも細々と続けていたゴルフ、それに少年の頃の昔取った杵柄で還暦過ぎてはじめたテニス。
 どちらも70才を超えた頃特別の理由ないままオサラバした。

 車の運転に自信を失くし、免許証を返納したのが平成24年(2012)、72才の誕生日だった。同時に愛車XTRAILも手放した。しばらくして、自転車も。
 それでも浦安にいる限り、何ら生活の不便を感じない。かといって、この利点を生かしてウオーキングに励んでいるわけでもないが。

 英文広場付きの「中高年の元気!」を日本はおろか世界中のみなさんに読んでもらいたいがために、Facebookに入会し、それなりに宣伝したり、友だちのを〝いいね〟したりしていた。これも飽きて退会。他のSNSは一切利用していない。つまりパソコン利用はホームページ作業とEメールだけだ
 年賀状はハガキもEメールも含めて数年以上前にやめた。
 携帯電話は煩わしくて解約した。妻との旅行や外出で、見失ったときには重宝したが、それだけの価値しかぼくには考えられない。スマホは野次馬的に興味はあるが、ゲームやブログ巡りやインスタ映え等、その種の得意技にはまるで関心なく、利用する気持ちはない。

 だから現在、外部との交信はもっぱら卓上電話とEメールだけだ。当然とはいえ、結果は惨憺(さんたん)たるもの。年賀状が来ないのはひとえに自分のせいだとして、電話は留守電を含めてぼく宛てはほぼなし。驚きはEメール。2,3の方の時折以外は、マスコミ等の広報のみ。これも理の当然か。
 それでもハッカーは見逃してくれない。最近、パソコンで2度トラブルに見舞われた。メールの発信不能と外部機器(USBメモリー、カメラ、……)との交流不可。時事英語のT先生にEメールを何度も試みたがならず。旅行先で乱撮りした写真の取入れもうまくいかない。悩んだ挙句、インターネット管理会社に連絡し、幸いどちらも丁寧な長時間のサポートで回復したが、これからも油断ならない。

 同郷会や同窓会への出席は億劫(おっくう)になり、H氏との月例懇親を除いて友人・知人との居酒屋での一献も縁遠くなっている。これも自らまいた種。断捨離したのはだれだ。

 やはり、健全なる精神は健全なる身体に宿る、か。週2日朝1時間、スポーツクラブでの運動は欠かさないことにしている。もっと増やせばと思うのだが……、この怠け癖、何とかならぬものか。毎朝毎晩、体重・血圧・脈拍を測って一喜一憂しているのに。

 さてこれから。とにかく外に出なければ。その延長線上に旅行がある。妻は乗り気なのだから、ありがたいと思わなくっちゃ。紀行文も最近試しに「富山県黒部・魚津4日間」(雑記帳第117話)を書いてみたら、まだいける。捨てたものではないと思い直した。
 近場の温泉目当てだけではなく、いずれ満を持して海外旅行、クルージング。もっとシャキッとしなければ。(妻に断捨離されないためにも)

 父より10才長生きできた。1才下の妻も元気で、励ましあっている。
 33才まで17年間も南洋アラフラ海で真珠貝採取に精魂傾けた父、帰国後も一途な生き方を全うした父。
 親同士が取り決めた婚姻で否応なく17才で嫁がされた母。夫(25才)は婚礼のため一時帰国しただけで、そそくさと現地南洋へとんぼ返り。その後8年間、両親と夫(長男)の弟妹7人の世話に明け暮れた母。父は母の苦労を一生忘れなかった。
 父が他界してから92才まで長生きした母の常とう句は、「お父ちゃんはええ人やったよ。今もちゃんと見守ってくれたあるさかに安心やよ」。
 ぼくはこの両親の長男だ。

 若い頃はさておくとして、還暦過ぎてから夫婦円満はぼくたちも同じ。
 妻は3人の子を宿す一方、夫の自分本位の人生に翻弄(ほんろう)された。ぼくは自らの過去に悔いがあれば罰が当たろう。45才にして脳梗塞で倒れたことも、それが起因して25年間勤めた会社を自ら去り、その後の起伏ある生き様(いきざま)も因果応報と心得て、今の在り様(ありよう)からむしろ病に感謝しているほどである。そんなあおりを食ってその都度人生を狂わせられた妻の愚痴を聞かないのは、正直ありがたい。内心ホッとする余得である。
 あとは妻の健康で日々楽しい長生きと、子供たちの幸せを願うのみ。

 どうやら断捨離の恐れを感じることなく、このエッセイ「78才、半年過ぎて」を締めくくれることで、まあよしとしたい今日この頃である。ゴメンナサイ!

書籍処分

 蛇足1件。2018年も師走半ば過ぎて、夫婦してのちょっとした経験を添えることにした。

 新浦安の順天堂病院から西へ徒歩5分。12階建て10棟ほどで丸く囲んだ1,100世帯のマンション団地、その一角の11階にわが家がある。
 買ったときは狭い間仕切りの4LDKだった。子供たちが独立した20年ほど前にいわば3LDKにリフォームした。ダイニング・キッチン以外は、妻の寝室(畳敷き6畳)、ぼくのウナギの寝床状作業室(6畳弱)、それにぼくの寝室(4畳)だ。妻の部屋以外はすべてフローリング。

 最近になって、妻は自室の大改造を考えている様子。「自分の御殿なのだから、満足いくようにじっくりやりなさい」、と励ました。

 その手始めか、妻が書籍類の大片付けをしている。大量の俳句歳時記を含む俳句関係の数々、諸誌、各種アルバム、等々。
 廊下の書棚に並べ積み上げたほとんどが処分対象のようだ。他に部屋からも少なからず出てきそう。
「捨ててしまうよりも、役に立ちそうなのはブックオフに引き取ってもらった方がいいわよね」と、いつもなら何につけても手放すのを嫌がる妻は、やはり今も〝捨てる〟ことにこだわっている。

 ぼくもこの際多少は処分しようと、買い上げてもらえそうな書籍を書棚から取り出す。ハードカバーの新品同様なのや、開高健、村上春樹、遠藤周作、……。
 妻のが大部分だが、二人合わせてキャリーバッグ2個とも満タンになった。

 その間、店に電話で尋ねたら、「ご自宅での引き取りはできませんが、買取れない書籍の処分もお引き受けします」とのこと。

 新浦安イオンのブックオフまではバスで。車内に持ち上げるのに二人とも苦労した。
 買い上げ窓口でバッグを開く。大量の書籍が顔を見せ、女性店員は驚きを隠さない。男性の主任がそれらをじっと見つめたあと、「30分後にお越しください。それまでに見積もりを終えているでしょう」、と。
 あちこちの売り場で時間つぶしの後、窓口へ戻る。

 主任はなぜかぼくたちを見て見ぬふりをし、女性店員が再び応対する。
「全部で16点お引き取りすることにしました。あとはお持ち帰りいただくか、ご指示によりこちらで処分させていただきます」
 と話したあと、かなり間を置いて、メモ用紙に目をやったまま、「140円です」。
 妻の唖然とした顔。ぼくは以前の経験を踏まえある程度予想はしていたが、少なくとも一桁違う。
 しばらく二人で見つめあったあと、「よろしくお願いします」、と妻。

 帰りがけ、イオン1階でコーヒー・タイム。ケーキ1個を含めた代金の何ほどの足しにもならなかった。
 が、キャリーバッグがまるで軽くなった分、二人とも少しは気が晴れ、家まで歩くことにした。

 お粗末の一席でした。1,000枚近くのLPレコード、どうしようかな……?

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