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「海の男の一生」は、父が主人公で母が副主人公。ぼくはその長男。
海の男たる父、その生涯を母や弟の助けを得てつづった。33才まで17年間、南洋アラフラ海で真珠貝採取に身を捧げ、帰国後も68才で他界するまで、起伏ある人生を全うした父。苦労を共にした母のことを含めて、書き足りなさは重々承知だが、これがぼくの限界。が、心を込めた。
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「ぼくのサラリーマン25年」は、大学卒業と同時に名古屋が本社の大同製鋼(現、大同特殊鋼)に入社し、脳梗塞で倒れたのを機に48才で退社するまでの25年間。それなりの紆余曲折を振り返りながら、その青壮年時代を身びいき含みで書いた。
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大同を中途退社したあとのおよそ10年間。夢見の悪い見込み違いだらけで、妻にはずいぶん迷惑をかけ苦労させた。
その間に1羽のセキセイインコを飼った。そのピーチャンがぼくの雌伏の期間を救ってくれた。ピーチャンの8年の生涯はぼくの心の支えであり、いまの幸せな生活につなげてくれたと心得ている。それが「ピーチャンとぼくの五十代」だ。
今回の改訂でピーチャン亡き後の自分の心境を加えたが、これ、蛇足の感強し。
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そして60代に記念すべき出来事がふってわいた。その結晶が長編小説「怪獣の棲む講堂物語」だと言いたい。
還暦過ぎた頃、80才を超える大学先輩の同期会「十二月クラブ」のホームページ(HP)制作を手伝った。その小一年が、これといった思い出のない大学母校をグイと身近にしてくれた。
HP完成のあと幹事のN先輩が親しくしてくれ、彼が同窓の集い「如水会」の殆んどの催しにぼくを誘うようになった。
そうした中で先輩は「国立キャンパスの兼松講堂だが……」と、その講堂の成り立ち探求を共にするようぼくに要請した。
なぜか怪獣が跋扈する大学講堂。それが〝建築の巨人〟伊東忠太の作で、彼が自分の手でこねた怪獣も数知れず。
裏に何かある! 調査が進むにつれ、ベールが徐々に取り払われるがごとく、学園小史ともいえる裏話が顔を見せてきた。
調査を終え、まとめに入ったとき、先輩は大病を患いご他界。ぼくを伴ったこの仕事がまさに先輩のライフワークとなった。
病床での先輩最後の願いに従い、ぼくなりに力を振り絞ったのがこの小説だ。自ら超長編と吹聴している。その長さからいっても、読んでもらえるような作品との自信はないが、ぼくなりに自己満足と達成感はある。
4小説とも上表のとおり、「雑記帳」のどこかに掲載してある。