2018年5月で78才になる。八十路もほの見えるいま、ピーチャンが支えてくれた20年前のわが50代回想の締めくくりとして、その頃(2000年4月)書いたエッセイ「2000年春、もうすぐシニア」(雑記帳第9話)を抜粋することにした。
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二〇〇〇年は還暦の年、シニアの仲間入りだ。会社も創業十二年目。小規模ながら、様になってきた。
春秋に富んだ半生で還暦を迎えるわけでもなく、今後も大したことはないだろう……。と上辺はそう取り繕うが、内心、この年、《面白かったよな》の節目であり、《もっと面白くなるよ》の二巡目スタート台だと信じている。
「ロマンチストだね」
良きにつけ悪しきにつけ、言われてきた。その都度いやな気分がしたが、いま、この言葉が己の人生のキーワードではないか、と思うに到っている。他人を気にする年齢でもないし。
そう、ロマンだ。前の会社で、アメリカにカエル(鋳鋼製鉄道クロッシング)輸出を成功させたときだって、いまの会社創業だって、ぼくなりのロマンがあったではないか。年が増えた分、自分なりの生き方がしやすくなってきている。うれしいことだ。
ロマンチストは逆境に強いぞ。だって、逆境に気づかないか、それに鈍感なのだから。歯を食いしばったり、挫折したりする暇はない。そのとき思いは次へ行っている。満足や達成感も一瞬の通過点だ。そのときはもう次の夢を追っている。
こういうドン・キホーテ的ロマンチスト、うらやましい。憧れるね。柄でもないが、理想像だ。が、いまはぼくの地で行こう。ピーチャンがくれた元気だ。掛け声だけは威勢よく、
「ゲンキダヨー。.なんとかなるさ、なんでもね」
…………
前日は会社創業十一周年の年度末だった。
夕方五時、通常の仕事を終わらせて業務会議に入る。といっても狭いオフィスだ。まん中の机をラウンドテーブルにして、五人の会議。
幸い今期も何とか黒字決算になる。正直自分の貢献度は問いたくないほど低いのに、この成績。声を潤ませてみんなに感謝し、翌週から始まる新年度の健闘を誓い合って会議を終えた。
そんなこんなで、山の空気が吸いたくなっていた。月が変わったら、と思っていた。
「今度の土曜日、どこか山歩きないですか?」
一週間ほど前にK社に問い合わせたら、一つあった。
太平山(おおひらさん)…桜吹雪ハイク、と
三毳山(みかもやま)…可憐なカタクリ
《山は山だけど……》
桜吹雪に興ずるつもりはなく、カタクリの花を愛でる気持ちもない。チェンジ・オブ・エア、澄んだ空気を吸いたかったのだ。だから太平山も三毳山も下調べなし。栃木県であることすら知らないままだった。
陽春の二〇〇〇年四月一日、八時。秋葉原でツアーバスに乗る。参加者は満員の四四人。山行きのときよりも車中は賑やか。老若男女、夫婦、カップル、家族連れ、どの席もかしましく話が弾んでいた。
散策の起点栃木市太平山麓(ふもと)の大曲駐車場に十時二〇分着。
なるほど大平山は桜の名所だけある。見渡す限り桜並木。が、花はすべてまだつぼみ、一輪も咲いていなかった。
有名なあじさい坂も、こちらの花は二ヶ月ほど先だ。アジサイの片鱗もない。
代わりに梅は満開、見頃だった。いい空気を吸いながら、ゆっくりゆっくり歩いて、それなりにリラックスできた。
太平山を歩く途中にこんな案内板。
木が あんなに光っているではないか
花が あんなに匂っているではないか
けんめいに生きているから
光るのだ 匂うのだ
三毳山のカタクリ群生地は圧巻だった。昨年五月、奥多摩御前山で見かけたときはほんのちらほら。こんなものだと得心していた。
それに比べて、三毳山のカタクリはマスゲームだ。狭い坂道の両側に一面咲き乱れている。そのはず、「約百万坪のカタクリ群生地」なのだ。
そして道はカメラマンの列。シャッターチャンスの場所には必ず先客がいて、その周囲もカタクリが驚くほど大勢が所狭しと群がっていた。
…………
還暦を前にして、最近よれたハットをかぶって通勤している。キザッぽいかな、と当初は気にしたが、もう慣れた。ぼくなりのおしゃれだ。死んだ父はいつもハットで出かけた。よく似合っていた。ぼくもそのうち似合ってくるだろう。
少しは人目を気にしなくなってきたのかもしれない。いいことだ。自分の物差しで生きる、当たり前のようで、ぼくにはこれが難しかった。そう、「自分の物差し」をシニアの記念にしよう。
「引っ込み思案、気が小さい、生真面目」。他方で、「朗らか、前向き、優しい」。そう言われてきた。全部アタリ。
肉体的、精神的、ともに強くはない。が、『弱者』と呼ばれるのははばかるし、『強者』に甘えるのも嫌だ。弱いくせに強がりたい、要するに『エエカッコしい』なのだ。
表面は仕方がないが、見栄えのするバックシャンになりたい。
大仰なことはできなくても、それなりに社会に役立ちたい。他人に喜ばれたい。
狭い自宅を改装することにした。健康で文化的なシニアライフを旗印に、妻と時間をかけて練った。リビングと妻の和室とぼくの作業室兼寝室だ。
ウナギの寝床たる細長い作業室では、左右スピーカーの間隔がそれほど取れないので、どんなステレオサウンドになるか。
この改装、わがホームページ「中高年の元気!」の作業場が一番念頭にあること、自明である。新しい部屋は新しいアイデアを生む。妄想気味だが、本人の期待は大きい。
それやこれやで、シニアになる五月が待ち遠しい。
…………
以上をもって「ピーチャンとぼくの五十代」とする。四十代後半でD鋼をやめ、あてのない海原へ。家族を顧みず、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とは、よくも言えたものだ。それでも妻の頑張りをはじめ、周囲の情けと幸運にだけは見捨てられず、のほほんと通り過ぎた十年間。なにはともあれ、ピーチャン、ありがとう。

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