ピーチャンとぼくの五十代(01)

第1章 ピーチャンだよ

 朝の巻

 ぼく、ピーチャンだよ。ヒトの年令では八歳だそうだが、ぼくたちインコの寿命ではもうとっくにシニアだ。
 秋、ぽかぽか陽気(らしい)日曜日の朝。
 さっきまで隣の部屋でラジオの音がしていたが、いまなにやらごそごそ。どうやら主人は好きなテレビの番組に合わせて起きてきたのだ。十年前に創業した会社を続けており、日曜日はリラックスの日なのだ。
 ややあってぼくの部屋へ。かごの被いをとる。パッと明るくなった。やっぱり空は晴れ渡っている。ここは十二階建てマンション十一階の南向き和室。ぼくはかごの中にいる。
 
「ピーチャン、おはよう」、と主人。
「オトーサン、オハヨー」、とぼく。そして、
「オトーサン、ダイスキ。ピーチャンイイコダヨ」
 主人の顔が崩れる。
 窓を開けて、ぼくのかごをベランダに出してくれる。いつもの日曜日が始まった。
 
 八年前(1990年)の秋の日に、園芸学校の大広間で三羽のひながかえったという。緑のセキセイインコだ。
 職員さんがそのうちの一羽を、小さな鳥かごで、とあるご家庭に運んだ。それがぼくなのだそうだ。
 ご家庭は主人と奥様、それに三人の子供さんの五人家族。主人はその時五十才で小さな会社をやっており、一つ年下の奥様は主人を手伝っている、ということだった。
 
 ぼくはヨシコさんの部屋に入れられた。
 ヨシコさんは長女で大学二年生。彼女がこれからしばらくの間、流動食で育ててくれることになる。
 なにせぼくはまだ赤ちゃん。ヨシコさんの差し出すスプーンにくちばしをくっつけて食べ物を貪ったようだ。
 年を越した頃、やっとピーチャンとして、六番目の家族になった。すでに食事は粟粒のえさを食べることができるようになっている。一人で止まり木から降りては食事だ。水もときどき飲む。
 
 …………
 主人はどうやら隣りの居間でずっとテレビと向き合っているらしい。インスタント・コーヒーの匂いがベランダのぼくのところまで(ただよ)ってくる。
 下の中庭が賑わいだした。十二階建てのマンション六棟が丸く囲んだ大きな広場だ。
 子供たちがもう遊びまわっている。スズメやハトや知らない仲間たちが、さえずったり叫んだりして飛び交っている。ぼくも大きく叫んでみた。
「ピーチャン、イイコダヨー」
 いま、朝の輝きを丸ごと受けて、あんなことこんなことを思い出した。

 左足の巻

 冬はじまりの夕暮れどきだった。
 いつもは主人が帰ってからなのに、奥様は今日に限って早々(はやばや)とかごから出してくれる。

 窓の外は薄暮れて怖そうだけど、電気で明るい八畳と六畳の続き部屋は安心して飛べる。まず、中庭に面した六畳の和室から居間のステレオ・アンプまでウォーミングアップ。そして壁に掛けた絵の上にひょいと乗っかる。いつものルートだ。 

 この絵。
 ぼくがこの世にいないずい分前、主人の仕事の関係で家族五人全員でニューヨークの近くに住んでいたときのことだそうだ。ある日曜日、家族そろってニューヨーク、ダウンタウンのグリニッチビレッジというところをぶらぶらしていたそうな。秋休日の昼下がりとて、往来は賑わっていた。
 露天街は花盛り。その中に年老いた鼻の大きいイタリア風紳士が絵を売っている。四、五枚広げて、一〇枚くらい塀に立てかけて。
 主人はその紳士に話しかけた。

"Your works?"(アナタが描いたのですか?)
"Sure! You see? Florence is my name. Buy one. How about this! "(もちろんですよ。ワタシはフローレンスです。一枚どうですか。この絵、いいでしょう!)

 そんな会話だったそうだ。
 イタリア人は陽気である。主人も同じ。しかも気が合えば衝動買いするという悪い癖がある。奥様の渋い顔を尻目に一枚買ってしまった。
 お陰でニューヨークからコネチカット州のお住まいまでの道、中古自家用車の車内では運転の主人を除いて、みんなは頭の上を『海とヨットの絵』で占領されたそうな。
 面白いのは、いまこの絵を一番気に入っているのは奥様だ。三年間お住まいになった町の海岸の景色にそっくりだから。奥様はその町、グリニッチが大好きなのだ。
 
 …………
 アコーデオンカーテンで仕切った台所では、奥様が十八番(おはこ)の「ジョニーへの伝言」という歌を歌いながら夕食の支度にかかっている。
 今夜の料理は何だろう。だって主人はいつもおいしそうなところを少しずつ(といってもぼくには腹一杯)食べさせてくれるんだから、ほおってはおけない。
 カーテン越しにまな板の音が聞こえる。トン、トン、トン、……、トントントン。
 そして油の煮立ってくる音。ボチ、ボチ、……、ジュル、ジュル。
 カキフライだ!
 
 二、三日前から主人が奥様に懇願していた。カキフライは主人の大好物で、年中ほしがっている。カキを二つ一緒にころもに包み、ふんわりとサラダ油でキツネ色に仕上げる。これにたっぷりとカラシを利かせたトンカツソースをつけて口一杯ほうばる。そのときの主人の顔。カラシで鼻の穴を大きくしながら、満足を絵に描いたようである。
 
 ジュル、ジュル……、サー……、ジュル、ジュル……、サー。
 カキフライと玉ねぎの揚がる音。それに香ばしいにおい。たまらない、早く主人が帰ってこないかな!
 オヤ? アコーデオンカーテンが少し開いている。奥様はどうしたのだろう。チャンス、この一瞬!
 『海とヨットの絵』からテーブルを通過、アコーデオンのすき間をかいくぐって台所へ一目散。天井近くの(たな)に乗っかる。
 思ったとおりだ。油の鍋は静かな池のようで、中のカキフライはちょうど食べごろ。奥様はぼくに気づいた風はない。ラッキー! ひとつまみ失敬しよう。
 鍋をめがけて羽根を広げ、緩やかに降下する。そして鍋の池にタッチダウン…………

 『左足に指がない。くるぶしだけ』なのは、この恥ずかしくも恐ろしい失敗の結果なのだ。鳥の唐揚げ≠ネんて殺生なことを言わないでほしい。
 左四本の指はすべて油の中に消えた。顔を真っ青にした奥様がすぐ医者に運んでくれたが、事はすでに終わっていた。ぼくは何もわからなくなり、死ぬほど痛いことを忘れていた。寒くてぶるぶる震えていた。

 右足の巻

 暑い夏だ。のどが渇くから水をいつもより多く飲む。ぼくだって生ぬるい水よりも冷たいビールを飲みたい。それと察して、主人はぼくをかごから出してくれる。ぼくの気持ちがよくわかっている。
 今夜も奥さまの目を盗んでグラスのビールを飲ませてくれる。おいしい! 何回もくれる。少しテーブルの下を散歩する。左足事件以来の千鳥足がさらに千鳥足になる。
 
 今夜の主人はご機嫌だ。ヤクルトが勝っている。巨人が弱くなるとソワソワするくせに、今年はどうやらヤクルト応援のアンチ巨人派。ぼくの好きなカワハギをつまみにヤクルトへの声援勇ましく、泡立つビールをのどに()してはグラスを充たしている。
 そんな主人を見るとぼくまで楽しくなる。別にヤクルトファンでもないし、巨人が嫌いでもないけれど、主人の崩れた顔と勇ましい声がうれしい。

 ヨチヨチヨチ、……、ヨチヨチヨチ。

 主人はテレビに目を奪われてすこぶるご機嫌。
「ヨシッ、それいけ!」
 ビールの泡といっしょにカワハギの細切れがボロボロ床に落ちる。
 主人は格好よしだから、人前では几帳面を装っていても、本当はこうなのだ。だからぼくはいまゆっくりとおいしいカワハギを好きなだけ食べられる。

 なんと程よい大きさで散らばっていること。そこらじゅう、とくにイスの下にたくさん散らばっている。
 ヨチヨチヨチ、……、ヨチヨチヨチ。
「石井イー、いいぞ。もういっちょう三振お願いー」
 ぼくはテーブルの下で、
「オトーサン、ダイスキ。オトーサン、ダイスキ」
 主人も負けずに、
「清原アー、打つなよオ」
 一瞬、主人は興奮してイスをずらした。
 前の片脚がぼくの右足を捕らえた。ぼくは悲鳴をあげて真っ暗になった。。。。。
 
 目が覚めると近くの病院らしい。イタイ! それよりもまた真っ暗になりそう。
 お医者さんの声がしている。
「このまま生かしておくのはかわいそうですよね。左足はくるぶしだけだし、今度は右足がぜんぜんダメになってしまいましたから」
「…………」
「痛み止めの注射と塗り薬はつけておきますが、ご本人は生きること自体、苦しいと思いますよ」
「…………」
「よろしければ、苦しまずに終わるようにしますが……」
「待ってください!」
 奥様だ。声がかすれている。震えている。ぼくはお医者さんの言うように、《ラクニシテホシイ》。
 しかし声を出すどころではない。幾分痛みは和らいできたが、本当に《ラクニナッテキタ》感じもする。。。。。

 何日経ったのだろう?
 主人と奥様が見つめている。主人のつらそうな顔。奥様の悲しそうな顔。
「あれ? ピーチャン、目が開いたよ」
「ほんとですね!」
「だけど、どんなにして生きてくれるのかな」
「ほんとですね……」
 
 二度と再び止まり木には止まれない。そう思ったに違いない。普通ならそうだ。
 ぼくはちょっと違う。あきらめるのはどうしてもできないことがわかったときでよい。両足とも指は全部ダメだが、左足のくるぶしはいいではないか。右足もそのうち何とかなる!
 
 それからまた何日経ったか。
 止まり木へひょいと乗っかる練習をはじめてみた。まず飛び上がる訓練。何とか足腰と羽根がうまく合うようになった。今度は止まり木で体をバランスさせること。落ちては飛び上がる。飛び上がっては落ちてしまう。何回も何回も、何回も。
 …………
 
 左足のくるぶしで止まり木を掴むことを覚えた。親指のような爪が一本いつの間にか生えてきていたからだ。
 右足はダメ。使えない。しかし止まり木に乗っけてバランスをとればよい。
 
 毎日が練習の明け暮れだ。飛び上がる。左くるぶしの爪で止まり木を掴む。右足をバランスさせる……。何日も何日も繰り返す。
 
 その甲斐が出てきた。何とか止まり木をものにすることができるようになったのだ。
「ピーチャン、えらいんだね」
「ほんとですよ!」
 うれしい。主人も奥様もびっくりして誉めてくれている。
 夜中、バランスを崩してよく落ちる。落ちても必ずまた飛び上がって戻る。止まり木の上がいいのだ。止まり木はぼくの寝床なのだから。

< まえがき 大空の巻(その1) >
「ピーチャンとぼくの五十代」 表紙
まえがき
第1章 ピーチャンだよ
第2章 子持山だよ
第3章 第二の人生、垣間見
第4章 もうすぐシニア
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