昨年(2000年)5月で60才、シニアの仲間入りをした。会社は本年7月、予定から一年遅れて念願のY君に託した。
暇ができた分シニアパソコン教室(NHK文化センター東陽町教室)の講師を引き受けるやらで、相応の新陳代謝もあり、忙しさはこれまでとさほど変わっていない。
変わったことといえば、給料が年金になったことと、好きな映画を千円で見られることか。
四〇代半ばで脳梗塞に見舞われた。振り返ると明らかな前兆ありとはいえ、少々早すぎた。それが引き金となって25年勤めた会社を依願退職し、無謀なるかな、独りよがりにして一本独鈷の会社を創業。
それから50代を挟んだ10数年、妻や子供たちへの言うに言われぬ迷惑を尻目に、自分としてはわが道を行く日々で、捨てる神あれば拾う神もあり。縁の下の力持ちたる妻の支えを受けて会社もほどほどに成長し、何とか61才の今日まで続いている。
その間、もう一方で心の支えはピーチャンだった。緑のセキセイインコ、利口な小鳥。妻とぼくが二人して何とか踏ん張って来られたのも、ピーチャンとの出会いがあったればこそと同意している。
生まれたばかりでわが家の一員となったのがぼくが50才のとき。以来8年に亘り、両足の不幸にもめげず愉快な家族として生き抜いてくれた。
性格弱くくじけるのが得意のぼくを、身をもって励ましつづけてくれたピーチャン。いまもぼくの心の支えである。
一昨年(1999年11月)、脳梗塞が再発しかけた頃、静養先で数日かけて練ったのが第1章「吾輩はピーチャンである」だ。もちろんピーチャンが主役。半年ほど温めていたこともあってある程度書けた。今回これを本作品の先頭に据えた。
第二章以降は、50代後半から61才の現在まで、主として山歩きを舞台に、そのときどきの思い出・心境を吐露してみた。概ねぼくなりの中高年の青春賛歌である。
全体を通して、いまに至るぼくの約一〇年が、ピーチャンとともに浮き彫りされればとの期待を込めている。
平成13年(2001年)9月28日
朗読: 5' 04"
第1章「吾輩はピーチャンである」へ続く
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