4時にトイレに起きて、次に妻に声かけられたのが6時過ぎ。昨夜8時半には床に就いたはずだから、よく眠れたものだ。
朝食を8時にすませ、4日分の飲み代を清算(4,410円)。
塩尻駅行きシャトルワゴンの出発は10時だから、見残した近くの要所を見て回る時間は十分ある。晴模様だし、寒くもない。妻は旅館でくつろぐことにし、ぼくは一人でカメラ片手に出発する。
噴湯丘という絵地図では名所の一つに行き当たる。
白骨温泉の湯は炭酸石灰を多く含むため、温泉の噴出口の周囲に沈殿物が付着します。「噴湯丘」はそれが大量に重なってできたものです。なかには球状の石灰岩もあり、国の天然記念物に指定されています。(絵地図の説明) |
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白骨でなく、往時の「白船」を冠したホテルが2軒、その白船荘新宅旅館前に飲泉所あり。一口いただく。
もはや来年3月末まで当温泉郷全体が冬眠に入ろうとしている現在、どのホテルも客は少ないはず。周囲の渓流の音のみ騒がしい。
つるや旅館近くの山すそに2つの名所があった。
一つは「若山牧水・喜志子の碑」。
白骨の地をこよなく愛した歌人・若山牧水。牧水の亡き後、彼を偲び一人訪れた喜志子夫人。二人の残した歌は、強く結ばれた夫婦の絆が伝わってきます。(絵地図の説明) |
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白骨温泉公式のホームページの助けを借りる。
牧水の歌
秋山に 立つむらさきぞ なつかしき
墨焼く煙むかつ峰にみゆ
紀行文の一節
(「樹林とその葉 火山をめぐる温泉」より)
「信州白骨温泉は乗鞍岳北側の中腹、海抜五千尺ほどのところに在る。温泉宿が四軒、蕎麦屋が二軒、荒物屋が一軒、合せて七軒だけでその山上の一部落をなしてをるのである。郵便物はその麓にさかえる島々村から八里の山路を登って一日がかりで運ばるゝのである。急峻な山の傾斜の中どころに位置して、四遍をば深い森が囲んでいる。渓川の烈しい音は聞こえるが、姿は見えない。胃腸病によく利くといふので友だちに勧められ、私はそこに一月近く滞在していた」。
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その碑の真上にもう一つの名所、「薬師堂」。堂の表札は「瑠璃殿」とあった。
江戸時代(元禄15年)に建立され、いまなお「お薬師様」と親しまれ信仰され続ける薬師堂。白骨温泉では湯の成分である硫黄と医療の王様をかけ、「医王殿」とも呼ばれています。(絵地図の説明) |
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薬師堂、その他の写真
ここで近道しようとして、迷路らしき小径をたどる。そこはそこ、白骨は隠れ里的箱庭温泉郷、そんな雰囲気。迷っても大したことはない。
「お殿様の湯」とは? 今は朽ち果てた廃屋。
塩尻駅行きシャトルワゴンの乗客は夫婦2組の4人のみ。時間を早めて9時45分出発。本日以降の来客はいまのところないとか。
妻は怠りなく車酔いの薬を服用しているから安心。75分の下り曲がりくねり、今度は景色を楽しんでいる。
駅待合室で1時間ほど休憩と駅そばの昼食。
12時8分の「スーパーあずさ16号」で新宿駅まで2時間半。
そして東京駅経由で舞浜駅下車。6時半には帰宅できた。4日間の白骨温泉旅は終わった。
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