1. 前置き、初日 3. 3日目(松本城)
2. 2日目(周辺散策) 4. 4日目(周辺散策)
4.4日目 (11月15日)
  4時にトイレに起きて、次に妻に声かけられたのが6時過ぎ。昨夜8時半には床に就いたはずだから、よく眠れたものだ。

 朝食を8時にすませ、4日分の飲み代を清算(4,410円)。
 塩尻駅行きシャトルワゴンの出発は10時だから、見残した近くの要所を見て回る時間は十分ある。晴模様だし、寒くもない。妻は旅館でくつろぐことにし、ぼくは一人でカメラ片手に出発する。

噴湯丘(ふんとうきゅう)という絵地図では名所の一つに行き当たる。

 白骨温泉の湯は炭酸石灰を多く含むため、温泉の噴出口の周囲に沈殿物が付着します。「噴湯丘」はそれが大量に重なってできたものです。なかには球状の石灰岩もあり、国の天然記念物に指定されています。(絵地図の説明)

 白骨(しらほね)でなく、往時の「白船(しらふね)」を冠したホテルが2軒、その白船荘新宅旅館前に飲泉所あり。一口いただく。

 もはや来年3月末まで当温泉郷全体が冬眠に入ろうとしている現在、どのホテルも客は少ないはず。周囲の渓流の音のみ騒がしい。

 つるや旅館近くの山すそに2つの名所があった。
 一つは「若山牧水・喜志子の碑」。

 白骨の地をこよなく愛した歌人・若山牧水。牧水の亡き後、彼を偲び一人訪れた喜志子夫人。二人の残した歌は、強く結ばれた夫婦の絆が伝わってきます。(絵地図の説明)

 白骨温泉公式のホームページの助けを借りる。

牧水の歌

秋山に 立つむらさきぞ なつかしき
墨焼く煙むかつ峰にみゆ

紀行文の一節
 (「樹林とその葉 火山をめぐる温泉」より)

 「信州白骨温泉は乗鞍岳北側の中腹、海抜五千尺ほどのところに在る。温泉宿が四軒、蕎麦屋が二軒、荒物屋が一軒、合せて七軒だけでその山上の一部落をなしてをるのである。郵便物はその麓にさかえる島々村から八里の山路を登って一日がかりで運ばるゝのである。急峻な山の傾斜の中どころに位置して、四遍をば深い森が囲んでいる。渓川の烈しい音は聞こえるが、姿は見えない。胃腸病によく利くといふので友だちに勧められ、私はそこに一月近く滞在していた」。

 その碑の真上にもう一つの名所、「薬師堂」。堂の表札は「瑠璃殿」とあった。

 江戸時代(元禄15年)に建立され、いまなお「お薬師様」と親しまれ信仰され続ける薬師堂。白骨温泉では湯の成分である硫黄と医療の王様をかけ、「医王殿」とも呼ばれています。(絵地図の説明)

薬師堂、その他の写真

 ここで近道しようとして、迷路らしき小径をたどる。そこはそこ、白骨は隠れ里的箱庭温泉郷、そんな雰囲気。迷っても大したことはない。
 「お殿様の湯」とは? 今は朽ち果てた廃屋。

 塩尻駅行きシャトルワゴンの乗客は夫婦2組の4人のみ。時間を早めて9時45分出発。本日以降の来客はいまのところないとか。
 妻は怠りなく車酔いの薬を服用しているから安心。75分の下り曲がりくねり、今度は景色を楽しんでいる。

 駅待合室で1時間ほど休憩と駅そばの昼食。
 12時8分の「スーパーあずさ16号」で新宿駅まで2時間半。

 そして東京駅経由で舞浜駅下車。6時半には帰宅できた。4日間の白骨温泉旅は終わった。


アラカルト

つるや旅館

玄関
部屋から渓流が見える
夕食

 旅館の案内書からいくつか拾う。まずは、3日入れば3年風邪ひかぬという、「絹のように滑らかで、優しい肌ざわりの」湯。
 男女それぞれに、内湯の大浴場と露天風呂がある(写真は撮り損ねた)。

 乗鞍岳(3026m)の東麓。梓川の支流湯川の渓谷沿いにある。標高1400mの山の出湯は、鎌倉時代に湧き出したという、数百年の歴史を持つ名湯。
 単純硫化水素の湯で、湧き出たすぐのお湯は透明に近いが、白船になり、いつ頃からかそれが訛り白骨になったともいわれる。

 この温泉、大正時代には中里介山、若山牧水、斎藤茂吉といった文人が訪れて、小説・詩歌を残している。
 つるや旅館は温泉上流に位置し、客室は27室。全室、目にも耳にも渓流鮮やか。

 初日午後、塩尻から白骨温泉まで、ホテル出迎えのワゴン車は標高差500m以上の曲がりくねった山道上りを横揺れ縦揺れを繰り返しながら75分。妻は重い車酔いを味わい、ぼくもかなり疲れた。それほど人里離れた山間の小さな温泉郷だった。
 ここに3泊。主要目的でもあった松本城見学も果たし、これといった不満なし。が、本当に陸の孤島。一応自動車道は通じているからマイカー向き。でなければ、松本城はバスと電車を乗り継いで片道2時間近くかかるし、近場の観光地といっても、上高地と乗鞍高原はバスで30分以上先。
 初夏から紅葉の季節にかけてゆっくり湯治か、観光地巡りバスツアーの途中1泊立ち寄りの温泉郷と見た。

 つるや旅館や白骨温泉自体に差しさわりあるかもしれないが、滞在中に感じたことをそのまま列挙してみる。

 山間で森林に囲まれ、流れ落ちる渓流を客室で目と耳にする宿。新緑、紅葉の季節ならとだれもが言いそうだが、季節外れも捨てたものではない。
 つるや旅館は湯治場を兼ねていないから、何日もの滞在を期待するのは難しかろう。周辺にこれといった名所にも恵まれていないことだし。
 従業員のみなさんの温かい気配りには感服。地の人がいないので、ここでは白骨という独特さは味わえなかったが。
 外人、とくに西欧人に喜ばれる気がした。切り立った崖を真向こうに見る渓谷、素朴な自然美と小径と渓流と小さな滝の数々と白濁の温泉。国際語たる英文の案内板等が道々や宿内にあれば、多少の不自由を感じさせても、彼らにいい印象を与えるのではないか。
白骨温泉郷の印象
 11軒あるホテル同士の連携はいかが? 山形肘折温泉や長野湯田中温泉でホテル同士の湯めぐりがあり、楽しんだのだが。
 白骨温泉郷としての特異な面。誇らしいことも逆のことも、やり方によっては味方になるはず。村をあげての掘り起こしに期待。
 三十三観音、竜神の滝といった心和む景観もあるが、概ね秘境の温泉郷、不便。白濁湯以外にこれといった売りに欠ける。正直そう感じ、場合によってはこれが強い味方と思えたが。

つるや旅館周辺、その他の写真

つるや旅館での食事、その他の写真

大菩薩峠と白骨温泉

 白骨温泉に中里介山の碑があるとは。介山の生まれ故郷か、それとも彼の畢生の作「大菩薩峠」の主人公・机竜之助がこの温泉に浸かったのか。どうやら後者が当たりだった。
 調べると、「大菩薩峠」にこんなくだりがあった。

 やがて白骨の温泉場に着いて、顧みて小梨平をながめたときはお雪もその明媚な風景によって、さきほどの恐怖が消えてしまいました。殊に、竜之助はここへ着くと、まず第一に『これから充分眠れる』という感じで安心しました。

 この温泉地、当時は白船とも呼ばれていたようだが、介山がこの小説で白骨と書いてから、この名で一躍有名になった、との説もある。

大菩薩峠と芭蕉の最上川

 「大菩薩峠」ときて、ずい分前に書いた紀行文の一節を思い出した。2002年の夏、〝芭蕉追っかけ〟で格好のツアーに参加し、山形県の最上川と山寺を巡ったときだ。このように書いた。
 独りよがりの手前みそだが、ここにも転記する。

 中里介山の「大菩薩峠」の冒頭文はこうだ。

 『大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
 標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた。それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、……(後略)』

 その200年前に、松尾芭蕉は「おくの細道」で、最上川をこう描写している。

 『最上川はみちのくより出でて、山形を水上とす。碁点・隼と云ふおそろしき難所有り。板敷山の北を流れて、果は酒田の海に入る。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の瀧は青葉の隙ゝに落ちて、仙人堂岸に臨みて立つ。水みなぎって舟あやうし。
 五月雨をあつめて早し最上川』

 両者にかなりの類似点? 介山は「おくのほそ道」の文体を参考にしたのかもしれない、と想像したのだが……。

Part 4 朗読: 19:11
総朗読時間: 57:32
Part 3 信州白骨4日間
おわり
1. 前置き、初日 3. 3日目(松本城)
2. 2日目(周辺散策) 4. 4日目(周辺散策)
和文 英文
再朗読(2023.08.29)
雑記帳第107話
「信州白骨温泉4日間 2017年晩秋」
part1 part2 part3 part4 total
10:59 10:27 12:51 16:48 51:05
Close